ぼやき日記


7月1日(水)

 今週発売の「週刊朝日7月10日号」に「グランド・ミステリー」(奥泉光)の書評が載っている。評者は小谷真理さん。
 評自体は納得できるもので、その考察は小谷さんらしい鋭いものだ。それに対しては特に反論するものではない。
 しかし、書き出しでうーんとうなってしまった。
 「1980年代末から90年代初めにかけて、シミュレーション・ノベルが爆発的に流行したことがある。」というこの書き出し、間違いではない。しかし、これでは「シミュレーション・ノベル(私は『架空戦記』と表記することにしているので、以下はそう書く)」というジャンルがまるで今は存在しないような印象をあたえるではないか。
 実際、架空戦記に関心のない人にとっては、現状は存在しないのといっしょかもしれない。だが、現実に毎月10冊程度は確実に出版され、そのジャンルでしか書いていない作家がおり、人気のあるシリーズは10冊以上に及んで続いているという事実がある。
 そして、その刊行ペースにはなかなか追いつかないものの、ひたすら新刊を読み続けている書評家(私のことです)も存在するのだ。
 それをこうバッサリ斬られたんではどうしようもない。
 妻が言うには、「真理という名の人はバッサリ斬るものよ」。まあ、そうかもしらんけど。
 小谷さんの眼中にはとうに架空戦記などないだろうし、私も彼女に架空戦記を読んでくれと頼むつもりはない。ただねえ、こうあっさりと過去形で語られたんでは、いくらお仕事読書とはいえそのブームの真っ最中から読み続け、語り続け、自分なりに架空戦記に対する考えを固めている者はたまらんのよ。
 文中の「1980年代末から90年代初め」を「1970年代末から80年代初め」に、「シミュレーション・ノベル」を「SF」に書き換えてごらんなさい、SF関係者はいい気持ちはしないと思うよ。でも、こう書き換えても間違いだとはいえないと思うよ。
 現在、関心がない人にとってはミステリやホラーよりもSFの存在感は、希薄だと思うのだよ。架空戦記だってそうだ。もしかしたら新刊の平積みに出ている架空戦記をちらりと見て「なんや、まだこんなの出てるんか」と思う人は決して少なくないと思うよ。
 それを承知しているから、私はこういう書き方に敏感になってしまうのであるよ。だから、この書き出しを読んでなんとも感じない人の方が多いと思うよ。
 なんとも、架空戦記を頑張って読んでいく気を失いそうになる書き出しではある。すでに終わってしまったジャンルを私は他の本を読む時間を削ってまでして読んでいるのかいな。あほくさい、てな気になるのであるよ。嫌になっちゃうよ。

7月3日(金)

 三浦カズヨシと聞けばたいていの人がサッカーの選手を思い浮かべるようになった今頃、あの「疑惑の銃弾」の三浦和義が一審判決をくつがえす二審での無罪判決を勝ち取った。
 そういえば、そういう人、いたなあという感じだ。
 妻殺しの殺人容疑で逮捕されたのが、阪神タイガースが優勝した1985年であるから、なんと二審判決まで13年の歳月がたっており、三浦氏はその間ずっと留置場での生活を余儀無くされていたという。日本の裁判の長さについて今さらどうこういうのもアホらしいので、ここではそのことには触れないけれど、なんか、バブルの亡霊がいきなり蘇ってきたみたいな感じを受けた。
 いわゆる「ロス疑惑」について、私は多くを知らないのであるが、こうやって再び掘り起こされてみると、あらためて、あの騒ぎはなんだったんだという気がする。ある日突然TVに三浦なる人物が現れ、ロスアンジェルスで奥さんが撃たれたといって泣いていたかと思ったら、レポーターたちがほんとは奥さんを撃ったのは三浦氏に頼まれた人物だったとか騒ぎだし、なんだか知らないけれど新しい奥さんのヨシエさんとかいう人が「フルハムロード」なる店の前でレポーターとやり合っている。警察官はTVカメラの前でポーズをきめながら三浦氏を逮捕していた。その一部始終がワイドショーで放送され、三浦氏がターキーこと水の江滝子の甥であるとか石原裕次郎の映画に出たとか出ないとか、よくまあそんなことまでと思われるような過去をほじくりだした。
 なんであんなに過熱したのだろうか。よくわからないのだ。バブル時代の副産物だったのかな、という気がしなくもない。同時期に話題になったのは、豊田商事の永野会長だったり、投資ジャーナルの中江会長だったりしたわけだから、バブル時代でなければ出てこないような人間ばかり。
 なんだか実体のないものがふくらんで、それは大きな話題となり、そして一気に消えていった。バブルそのものだ。
 その時代の空気を代表する人物が再登場した。
 その場違いな雰囲気は、まさしく「バブルの亡霊」というのにふさわしいのではないだろうか。

7月4日(土)

 暑い暑い蒸し暑い。
 杓子定規にカレンダーなど守らず即刻夏休みに入ってほしい。職員室にはエアコンはなく、天井についている扇風機の風は私のデスクにはあまり届かない。完全に夏バテ状態であります。

 通勤の途上、阪急吹田駅の近くに面白い屋号の寿司屋を見つけた。
 「こけけ」というのだ。看板の端に「こけけとは、鹿児島弁で『ここへきて下さい』という意味です」とある。ご主人が鹿児島出身なのかな。
 で、思い出したのがかれこれ20年程前にラジオで聞いた歌。タイトルは「ケの歌」。鹿児島弁をレクチャーするという変な歌だった。うろ覚えだが、こんな歌詞だった。
「ぼくの田舎の鹿児島じゃ、『貝を買いに来い』というのを『けをけけけ』というのです。
 縮めていえば『け、け、け』」
 確か2番では鹿児島弁では名詞の語尾を活用するとかいう説明をしてたと思う。
 個人ではなくグループで歌っていたはずだ。なんというグループだったか忘れてしまった。かなりの珍品だから、レコードを買っておけばよかった。むろん、CD復刻なんてなされてはいないだろうなあ。
 ううむ、こうやって書いているとむしょうに「ケの歌」を聞きたくなってきた。
 どなたかお持ちの方があればダビングさせてくれませんかねえ。
 それがむりでも、歌手の名前とかフルコーラスの歌詞とかご存知の方、いらっしゃいませんか? もしいらっしゃったら、教えていただければ嬉しいのですが。
 方言で歌われた歌というのはけっこうあるが、方言をレクチャーするという歌というのはこの曲以外、寡聞にして知らない。まずヒットしそうにない。そういう歌というのが気になるというのも、性分かもしれんね。

7月5日(日)

 「BEST OF アニメージュ」というムックを買う。
 私が「アニメージュ」という名のつくものを買うのはこれが初めて。20年前の創刊号はとてもじゃないが高校生の身では高くて毎月買おうという気にはなれなかった。今は「S−Fマガジン」でイラストを書いたりしている漫画家のおがわさとしが、その頃毎月買っていて、私はそれを見せてもらっていた。いや、「OUT」なんかは買っていたな。二種類もアニメ雑誌なんて買えなかったと、まあそういうことだ。
 しかし、妻は「アニメージュ」を創刊号から買っていた人であった。彼女も乏しいお小遣いの中からなんとか「アニメージュ」だけは買っていたのだそうだ。
 で、「BEST OF アニメージュ」なんだけど、こういうのもなんだけど、巻末のインデックスくらいで後は非常に構成がよろしくない。表紙とグラビアを写真に撮って並べ、コメントをつけただけというのはいかがなものか。「アニメージュ」や「アニメ」そのものへの思い入れというものが誌面から伝わってこない。お手軽なつくりといわれても仕方ないだろう。
 創刊号は銀の箔押し。黒の表紙に銀の描線で浮かぶ宇宙戦艦ヤマトには、高級感があった。それに対して今回の「BEST OF アニメージュ」は表紙写真を並べた上に「BEST OF アニメージュ」というタイトルをかぶせた非常に見にくいもの。やすっぽい、と断言してしまおう。ビニールコーティングのてかてかした質感がその安っぽさを助長している。
 どうせなら、創刊号の表紙を復刻して文字の部分だけを入れ替えるとか、そういうことができなかったものか。
 私にはあまり思い入れのない雑誌だが、それでも「アニメージュ」という雑誌がアニメファンの裾野を広げ、アニメの楽しみ方を変えていったパイオニアであるという評価はしているつもりだ。だからこそ、もうすこしなんとかならんかったんかいなという思いで、この本を手にしているのである。

7月6日(月)

 映画化を機に角川スニーカー文庫から「ねらわれた学園」と「なぞの転校生」の2冊が復刊された。ともに眉村卓さんのSF史上に残ると言っていいジュブナイル作品だ。これが永らく絶版になっていたというのも不思議なことである。
 しかし、映画の出演者を使ったカバーであるが、なんとかならんのかという感じのもの。特に「なぞの転校生」のカバーを見た妻は、「なに、このダサい制服」とばっさり。私は角川文庫の旧版を持っているのでわざわざ買うというようなことはしなかったのであるが、なぜか角川書店からいただいてしまった。いただいておいて悪口をいうというのもなんだが、ま、それはそれ、これはこれ。
 できれば、いっしょに「まぼろしのペンフレンド」「地獄の才能」といった他のジュブナイル作品も復刊してほしかった。もう四半世紀前になるが、NHKの”少年ドラマシリーズ”で映像化されたものが多く、三十代以上のSFファンの中にはここらあたりがSF入門という人もかなりいるだろう。たぶん、今になって映画化されるということは、大人になった当時の視聴者たちが自分の手で”少年ドラマシリーズ”を復活させたいということなんだろうと思う。
 となると、だ。もう次は光瀬龍さんしかないね。「明日への追跡」「暁はただ銀色」あたり、”少年ドラマシリーズ”でも眉村作品とはまた違った渋めの系統であった。「時をかける少女」「七瀬ふたたび」といった筒井作品や「ねらわれた学園」が何度も再映像化されているのに対し、光瀬作品はちょいと冷遇されているんじゃないかね。不思議なことだ。
 実際、過去の名作を復刊してもらうための一番の策は映像化であることは、何もSFに限ったことではない。時代小説でもNHKが金曜時代劇の枠で取り上げると、それまで絶版だったものでもすぐに復刊している。
 今の若い読者にどれだけ受けるかはわからないけれど、おっちゃんとしてはただノスタルジーにひたるというだけではなく、自分たちを育ててくれたものを再評価し新しい世代に引き継ぐという意義があるように思うのだが、どうだろうか。

 明日は所用で遅くなるので、次回更新は8日の深夜の予定です。

7月8日(水)

 もともと結婚したときは私が入浴剤を買ってきて、妻が「そんなん、入れるのン!」などと驚いていたのであるが、最近は妻の方が変な入浴剤を買ってきては喜んでいる。選ぶ基準は「値段が安い」。単純明快である。それだけに、聞いたことのないメーカーの妖しげな入浴剤も多い。
 今日買ってきたのは、強烈だった。
 「パリスバン 香華湯(こうげとう)」という小袋がセロテープで二つはりあわせてあって50円。「湯快な仲間」なんてキャプションがついているところがなかなか妖しげでよい。「ホワイトローズの香り」「ジャスミンローズの香り」とあるが、どこがローズなのだ。
 抹香臭いのである。インドネシアのみやげなんかで強烈な臭いの香をもらったことがあるが、それと同じたぐいの臭いだ。製造発売元は京都市東山区とある。東山のお寺から出てくるお婆ちゃんがこんな臭いをただよわせているような気がする。
 これはまだいい。小袋で2セット買ってきただけだから、4回ですむ。もうひとつ缶入りの入浴剤も買ってきている。見た目は「バスクリン・クール」だけど、よく見たら「バスソフト・クール」だ。製造販売元は「インピレス」。ホウ酸だんごの会社ではないですか。ううむ、もしはずれだったらどうしよう。毎日使ってもひと夏もつぞ、きっと。うわあ。
 妻が「安かってん」といいながらなにか謎の品物をだす度に、私はこのうえないスリルを味わう。けっこう楽しみになってたりするのだから、我ながら困った性分である。

7月9日(木)

 暑い暑い蒸し暑い。
 朝からクマゼミがシャアシャアと鳴いている。
 などと書いても東日本の方にはピンとこないだろうなあ。クマゼミというのは主に西日本でよく見られる、夏真っ盛りのときになると鳴きだすセミで、やかましいことこのうえない。
 シャアシャアシャアシャアシャアシャア。というのがえんえん続く。
 暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い。とたたみかけてくる。暑苦しい鳴き声なのだ。
 こんなものを朝起きていきなり聞かされるのだ。たまらんよ。天気予報など見ないでも「今日の最高気温は30゜Cを超えますよ」と教えてくれるのだ。ああなんて親切なセミなんだろう。
 セミの声が季節を感じさせるという実感は、もう6年前に教員の新任研修で高野山で合宿をした時に最も強く感じた。8月下旬で、残暑の厳しい時期であった。しかし、高野山ではヒグラシが鳴いて、槙の木陰にその声が響くのは涼し気で風情のあることであった。ところが、研修が終わって南海電車にのり山を降りたとたんにクマゼミの大合唱を聞かされた。むわっとしけった空気とともに、「おらおらどうや、暑いやろ。下界に帰ってきたんやド」といわんばかりのシャアシャアシャア。あれにはまいった。
 朝からそんなことまで思い出してしまった。
 アブラゼミくらいで十分である。クマゼミはクマゼミらしく、夏の盛りに鳴いてくれえ。せめて昼間だけにして、朝からなくのはやめてよ、ほんまに。

7月10日(金)

 7月8日の日記に抹香臭い入浴剤のことを書いた。そしたら、京都市東山区在住の近藤雅子さんからメールをいただいた。私が「製造発売元は京都市東山区とある。東山のお寺から出てくるお婆ちゃんがこんな臭いをただよわせているような気がする」と書いた部分についての感想だ。
「京都東山はお婆ちゃんくさい・・みたいな。京都市東山区の住民の私としては、なんか傷つくなぁ」
 ええと、補足しておくと、つまり、私の家の墓は東山区にあってですね、それから清水寺をはじめとする京都を代表するお寺も東山区にたくさんあってですね、あと、お寺といえば東寺で(東山じゃないけど)毎月21日にある「弘法さん」の日にバスの中がお婆さんで満杯になっているという強烈な記憶があってですね、次のような思考回路が出来上がってしまったわけであります。
 「抹香臭い」→「お寺」→「東山」、「お寺」→「お婆さん」
 で、あのような記述になったと、こういうわけ。べつに東山がお婆ちゃんくさいというつもりはなかったのでありますが、記述が軽率だったことは確かであります。
 近藤さんはこうも書いてます。
「でも、『抹香』というのをよく知らなかったので辞書で調べてみますと、
抹香臭い・・・1)抹香のにおいがするようだ。2)仏教らしい感じだ。坊主くさい。
とあったので、『東山のお寺から出てくるお婆ちゃんがこんな臭いをただよわせているような気がする。』というのは京都のお婆ちゃんは信心深いという意味なのかと思い直った次第です」

 そうですよ。京都のお婆ちゃんは信心深い。「弘法さん」もそうだけど、北野天満宮で毎月25日にある「天神さん」の日にもバスはお婆ちゃんに占領されてしまっているのだ。昔骨折した時に天神さんの近くの病院にリハビリに行っていたけれど、25日には座席はお婆ちゃんたちで埋まっていたことを思い出す。
 いったい普段はどこに隠れているのだというくらい、お婆ちゃんがお参りにくるのである。あの中には毎月お参りを欠かさないという人もかなりいるに違いない。
 近藤さんは心の広い方なので、こんなふうにしめて下さった。
「地元の会社が大阪にまで販路をのばしているな、と喜んでおきます。
『ローズの香り』で抹香くさいからいけないのであって、『静寂な古都の香り』とかにしておけばいいのでは、しかしインドネシアのおみやげと同じたぐいというのではね、静寂からは遠いでしょうか」

 東山はいいところですよ。いやいやこんな書き方では取ってつけたみたいだけれど。茶わん坂から清水さん、二年坂から三年坂にいたる道は京都の中でも私の好きな場所のひとつなのである。ただし、梅宮辰夫の漬け物屋がなければもっといいのだが。そこだけ抹香よりも俗っぽい臭いがただよっていて嫌だ。
 それはともかく、軽率な記述が私の場合多いかと思うので、気をつけなければ。


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