ぼやき日記


3月1日(月)

 広島県立世羅高校の校長が自殺した。
 何ともやりきれん話だ。
 文部省の出してる「学習指導要領」に愛国心を育てるために卒業式や入学式には国旗を掲げ国歌を歌わせるよう指導せよと書いてある。各都道府県の教育委員会はその「指導」に基づいて校長たちに同様の指導をしているというわけだ。
 教師からは反発がある。反対の理由は様々やけど、根幹には「卒業式の主役は誰か」という問題があると、私は思ってる。
 誰のために卒業式をするのか。むろん卒業生のためやね。そんなところにいきなり日の丸を掲げたり君が代を歌わせたりして、ほんまに「愛国心」が育つとでも思うてるんか、文部省。だいたい「愛国心」てなんやねん。ここで指す「国」いうのんはなんやねん。
 だいたい「日の丸」「君が代」が問題になるのは、学校の式の時だけで、ふだんはそんな論議が国民の間でわきおこってるというようなこともないやないか。
 広島というのは組合の力が強いので文部省が標的にしてるという話を聞いたことがある。教育委員会は「日の丸」「君が代」を実施さすために職務命令まで出したというから、ことは穏やかやない。職務命令に違反したら、免職などの処分もあるという、最後の切り札ですわ。なんでそこまでして旗をあげたり歌を歌わさなあかんねん。
「教育指導要領に書いてあるから」。
 校長たちはそう言う。自分の思想信条は決してあかさへん。
 うまいことやってる校長もいるんやで。行動のすみっこの人目につかんところに旗を立てとく人。会場には出さんと式の間だけ運動場の掲揚台に上げとく人。校長室に飾ってあげたことにしとく人。式の始まる前にBGMとして君が代を鳴らしとく人。
 それでも旗をあげて歌を流したということにはなるんだ。
 自殺した校長は、よほどまじめな人やったに違いない。新聞記事によると、教職員との話し合いで「君が代は鳴らさん」と決めたそうだ。そのあとの県教委の処分を恐れたんやろうか。
 たかが旗や歌のために定年まであと2年を残して自殺か。やりきれんやないか。生徒たちの門出の日に、校長が死ぬ。そんな卒業式にしたのは誰や。
 たかが旗やないか。たかが歌やないか。そんなもんのために死なんならんかったのはなんでや。ほんまに、ほんまにやりきれんわい。

 明日は所用で遅くなります。次回更新は水曜の深夜の予定です。

3月3日(水)

 頭の中で「だんご、だんご、だんご3兄弟」というフレーズが鳴りやまない。巷で話題の「だんご3兄弟」。さっそくCDを買うてまいりましたよ。こういう曲が売れるのは、まことに喜ばしい。最近売れてる曲というのは説教の早口言葉みたいなんが多いからね。
 ふつう「だんご」と「タンゴ」のしゃれなんぞというもんはただの親父ギャグにしかならんように思うけど、これをきっちりと歌にしたらこういう傑作がでけてしまうというお手本ですな。戸棚で昼寝をしたら寝過ごしてかたくなってしまったというのがええやないですか。春になったら花見、秋になったら月見、一年通してだんご、というのも「日本全国酒飲み音頭」を彷彿とさせる。この単純さ、教訓なんぞどこにも含まれておらず、タンゴのリズムに乗って歌える調子よさ。私、気に入りました。
 残念なのは、このシングルには1曲しか入ってないということ。この曲を生んだ「おかあさんといっしょ」にはナンセンス・ソングの傑作「イカイカイルカ」があるんやから、私としては是非カップリングしてほしかった。
 「だんご3兄弟」を気に入った方は、ぜひ「イカイカイルカ」も聴いていただきたい。イカにルを足しゃイルカになる、イカとイルカは似ているか、イルカに10本足あるか、とこの意味のなさは尋常ではない。これをイカとイルカの扮装をして歌うんだ。
 せっかく大ヒットが生まれたというのに、歌ってるけんたろうおにいさんとあゆみおねえさんは3月いっぱいで降板、4月からは新しいおにいさんとおねえさんに変わってしまう。となると、4月からは各民放の歌番組にけんたろう・あゆみコンビがばかすか出まくるんやろうか。それもすごいことではあるなあ。

3月4日(木)

 学年会計の仕事をしている。学年担任の裁量に任されている予算を管理する、というお仕事。よう考えたら今年度はけっこういろんな仕事を兼任してるなあ。
 で、予算管理ということは、今年度中にお金を使い切らんといかんということ。まあいうたら年度末になるとそこらじゅうで道路工事をするという、あれと同じです。無駄に予算を使うわけにはいかんけど、残してもいかんという、これがなかなか難しい。去年はラジカセを買うたんやけど、ラジカセは備品扱いになるので学年予算で買うたらあかんと事務室の主査に叱られた。消耗品しか買うたらあかんのや。ならばそのラジカセは生徒が卒業すると同時に叩き壊せばいいかというと、そういう問題ではないのであった。叩き壊そうと使い古して故障しようと、備品は備品。
 悩むのはここからで、どうしても残金に端数が出てしまうんですな。そこで領収書を分けて書いてもろてなんとか帳尻はあわさんならん。
 今日は某スーパーで卒業前に茶話会をするので菓子や紙コップを買いにいく。違う階で買い物をしたりしたんで、レシートが3枚になった。そこでサービスカウンターに行って、それを2枚の領収書に書き換えてもらうことにした。なに、買い物は全部同じ店でしたんやから、合計さえ合うてたら大丈夫やろうと考えてたら、こんな風に言われた。
「2枚に分けて書けますけど、お客様のおっしゃる金額ちょうどにはならなくなってもいいですか?」。
「いや、それは困る。帳簿の関係上、その金額やないと……」。
「そのレシートからおっしゃる金額になるように商品を指定していただいてその分の領収書を書くことになるんですけど」。
「???」。
 なんのことかわからんかったんやけど、説明を聞くと、電算処理をしてる関係上商品の額面と領収書の額面があわんとあかんみたいや。これにはまいったね。電卓を取り出してあれこれと組み合わせを考えてはみたけど、そんなうまいことちょうどにはならん。仕方ないから、結局レシートを合計した1枚の領収書にまとめてもろた。帳簿の方は、ほかの店で買い物をして、そこで書いてもらう領収書で調整することにした。
 こういうときは手書きの領収書の方が融通がきいてありがたいねえ。コンピュータいうやつは片意地で融通がきかん。人情というものが欠落しておる。”まあそれぐらいはなんとかさせてもらいまっさ”機能のついたコンピュータでも開発してもらわんと、困るわい。
 まだ帳尻をあわさんならん会計をいくつか抱えてるんだ。買い物をする前に、融通がきくかどうか確認してからでないとあとで困るというような店がほかにあるかもしれん。ああしんど。

3月5日(金)

 卒業式を目前にして、懸案事項が一つずつかたづいていく。それでもいっこうに仕事が減らんのはなんでや。忙しいぞ。あー忙しあー忙しあー忙しあー忙しあー忙しあー忙しあー忙しあー忙し。私は谷しげるか。
 なに谷しげるを知らんのですか。吉本新喜劇でばーさんやじーさんの役をしてた。違う違うたれ乳のバンドをつけてるのは桑原和男。肩で逆立ちするのは井上竜夫。私がいうてんのは谷しげる。「あっちこっち丁稚」で谷吉どんをやってた人やがな。違う違う悪魔ズドムが出てくるのは
「悪魔の国からこっちに丁稚」
 もうええもうええ。とにかく私は毎日忙しいから家に帰って本も読まれへんの。日記のネタもないの。疲れてるの。しんどいの。頭悪いの。顔も悪いの。ほっといてちょうだい。

 帰りに所用で江坂の「東急ハンズ」に寄る。ベルギーワッフルとか手作りクッキーとかいろいろテナントが入ってるんやけど、その中に和菓子屋もある。以前から店頭に並んでいた三色団子が「だんご三姉妹」と改名してるやないですか。ええかげんにしなさい。スーパー「サカエ」の和菓子コーナーでは「だんご三兄弟」をエンドレスでかけてる。売れてる売れてるとニュースで騒ぐ。CD発売元の親会社の株価は急上昇する。私は「だんご三兄弟」の歌は好きで売れてるのも嬉しいけど、この騒ぎ方はなんか違うんとちゃうかと思うぞ。なに紅白歌合戦出場かやて。3月に大晦日の番組の話をするなあ。ほんまによういわんわ。

3月6日(土)

 あーやっと1週間が終わった。やれやれ明日は休めるわい。嬉しいなーあ嬉しいな。

 ここんとこ、学校関係の買い物をしにしょっちゅう「東急ハンズ」に行ってる。今日は卒業生に贈る記念品を買いに。写真立てと目覚まし時計を買う。
 包んでもらってる間、店内をうろうろ。おお、どこのCD屋でも品切れの「だんご三兄弟」を売っておるぞ。「東急ハンズ」というのは盲点やったな。そういえばおもちゃ屋で軒並み品切れやったときにハンズで「たまごっち」を見かけたことがあったぞ。
 訳のわからんCDを見つけた。聴くだけでプラス思考になるCDてなんやねん。アルファ波とかリラクゼーションとかそういうCDはよく見るけど。
 歌のうまくなるCDというのは効能書きがすごい。聴きながら指示通りに練習したら、4オクターブ音域は広がる、声量がつく、声が太くなる、高音が出る。いっしょに買い物にきてたのは音楽の先生。いっしょになってつっこみまくる。
「こんなCDでこれだけのことが身につくんやったら、音大なんかいらんがな」。
「なにこれー。付録『UTA棒』。こんなん何に使うのお。『上野直樹の』て、この人誰よ」。
 話の種に買うてみてもよかったんやけど、話の種だけに2500円も出すのはもったいないからやめた。
 仕事帰りに普通のCD屋に寄ったんやけど、そこには「絶対音感」というタイトルのCDがおいてあった。なんでも子供にこれを聴かせると絶対音感を身につけることがでけるねんて。ほんまかいな。話の種に買うてみてもよかったんやけど、話の種だけに3000円も出すのはもったいないからやめた。
 こういうのは実用CDというんかなあ。ちょっとジャンル分けしにくいねえ。

3月7日(日)

 休みや休みや。一日中本を読んだり眠たなったら寝たりしてだらだらだらだら。ああ、だらだらだらだらするのんてほんまに気持ちいい。
 こういう日に限ってお誘いの電話とかかかってきたりするんやね。
「喜多くん、あんた今日、京都に出てくる用事ないか」。
「喜多くん、タイガース激励会参加申し込みのハガキ書いたか」。
 しらんしらん。今日はゆっくりさせてくれ。卒業式まであと3日。高熱を出しても休まれへんのやから、1日くらいゆっくりさせてくれえ。それが過ぎたらなんぼでもお相手しますよってに。

 ところで、卒業式の日の丸君が代実施率が100%にならへんからというて、法律で正式に国旗国歌にしましょうというような話になっておるね。問題はそんなところにあるんやないというのに。中央集権的なものを改めて地方分権を進めようというのが行政改革の目標と違うの。なんで教育については逆行するような方向に行くのかね。
 問題は日の丸君が代に象徴される愛国心の強要と違うのかね。たとえ法律で日の丸君が代が正式に国旗国歌として制定されても、それを入学式卒業式に掲揚斉唱せなならんということはないはずですわ。桜を法律で国花として定め、公営の施設には必ず植えなならんというてるようなもんと違いますか。植えない施設の職員は愛国心がないので処罰するとか。いやいやウチの庭の土壌では桜は育ちまへんねんと言うても、法律で決めたことやからやってもらわんと困るとか。まあそういうこと。
 なんで学校の式ばっかり愛国心の標的になるかね。成人式とか葬式とか結婚式とか式はほかにもあるでしょう。
 国というのは制度でしかないのに、その制度を愛したり忠節を誓ったりするのはおかしいのと違うかね。国民がいてこその国でしょう。国がまずあって、そこに国民が集まってきたんとは違うでしょう。国を愛することを強要するよりも国民に愛される政府になりなさい。野党として戦うと選挙で公約しといて選挙が終わったら連立与党になるような政党の入ってるうそつき政府が愛されると思いますか。
 学習指導要領に「国旗国歌」を盛り込んだ文部官僚のトップの人、文部事務次官・高石某はリクルート株をもろうといてそのことを追求された時に「私やない、妻がやったこと」と誰がみても責任逃れとしか思えんようなことを言うた人だ。そういう人に「国を愛せ」とかいわれても、「その口でそれを言うか」と思うわなあ。

 卒業式まであと3日。うちの学校ですか。校長は自分で君が代のテープのスイッチを押すそうだ。好きにしたらええけど。

3月8日(月)

 スタンリー・キューブリックさんの訃報に接する。享年70。
 キューブリックといえば映画「2001年宇宙の旅」ということになるんやろうけど、私の好みからいくと「博士の異常な愛情」かな。主演のピーター・セラーズが好きということもある。
 「2001年」を初めて見たのは、高校生の時。初公開以来久々の上映というようなこととか、「スターウォーズ」の大当たりでSF映画のブームが起こってたというようなこともあって、かなり話題になってた。SFファンでこの映画を見てない者はSFを語る資格なしとまではいかんけれども、それに近い雰囲気はあったね。感受性がまだまだすり減ってなかった高校生の私には、かなり衝撃的な映画やったことだけは確か。
 モノリス、スターチャイルド、HAL1000……あれおかしいぞ、なあなあ、HALは1000でよかったかいな。「9000と違うの」。あ、そうか、9000か。「そこにある『SF百科事典』で調べたら?」。それもそうやな……なんやこれ、クルートのどあほ、なんにも作品解説してへんやんけ、こんな役にたたん「事典」があるか。「それやったらネット検索したらええやん」。めんどうくさいなあ……おお、HALは9000やったか。最近物忘れが激しい。HAL1000などという間違いをしでかすだけでSF者失格やな。
 私がTVから録画した「2001年」は解説が淀川長治さんやぞ。なんで3倍速なんかで録ったんや。もったいない。
 とにかく、高校生にとってはもうなんというか圧倒されて映画館を出たのでありました。そんでもって同級生で映画マニアを自認するOという男にいかに「2001年」はすごい映画かということを話したら、そいつもとっくに見てて「おお、キューブリックらしいこけおどしやったな」などとぬかす。どこがこけおどしやねんと反論すると、「船長が木星に突入する場面で光の奔流がくるところなんか、こけおどし以外のなにものでもない」とぬかした。そこで私はうーむと首をひねってしもたんだ。あれは果たしてこけおどしか、深遠なる哲学を映像化したものか。
 何年かして「シャイニング」を見たときに、うーむやっぱりあれはこけおどしやったんかもしれんなあとは思うたけど、再度ビデオで見返すと、あれはあれでよかったのだなあと思うし、そこらへんのさじかげんの実にうまい監督やったんやなあ。
 とにかく、「2001年宇宙の旅」というSF映画の規範を作ったという意味で、スタンリー・キューブリックの死を惜しむものである。謹んで、哀悼の意を表します。

 いやしかし、まるで追悼文になっておらないぞ、今日の日記は。

3月9日(火)

 明日は卒業式。前日の今日までばたばたばたと忙しく、疲れもそうとうたまってる。実際、この1ヶ月弱、気を張りっぱなし。
 原チャリに乗っていても集中力を欠くことこの上ない。先月の末は自転車と接触事故を起こしてしもた。幸い、相手に怪我はなく、物損事故ですみ、自転車の修理代をこちらでもつことで示談も成立、大事にならんですんでほっとしてるんやけど。ひとつまちがうとおおごとになるわけで、以来安全運転を心がけてる。
 しかし、明日が卒業式という、このなにか実感がわかんのだ。今日も朝いつものようにおはようをいい、いつものようにさようならをして生徒を送り出し……。なんか明日も同じようにおはようをしてさようならをするような気がする。
 なんでも生徒の間ではどの先生が泣くかとかいう話で盛り上がってるそうで、女子生徒によると「喜多先生はぜったい泣く」らしい。生徒がそう言うんやから泣くんかもしれんけど、全然泣いている自分が思い浮かばん。
 むろん、入学から3年間担任を持ち続けた生徒たちやから、いろいろと思いは深い。そやから、その時になったらきっとこみあげてくるもんがあるに違いない。違いないけど、今はもうやっと前日にまでこぎつけたなあという思いだけ。
 そうかあ、明日は卒業式なんかあ。私、ほんまに泣くんやろか。

 というわけで、明日は卒業式のあと、3年の担任だけで打ち上げ。たぶん遅くなるので、次回更新は木曜日の深夜の予定であります。

3月10日(水)

 本日、卒業式。予想どおり、泣いてしまいました。もう涙腺だだもれでございます。打ち上げ二次会のカラオケボックスで学習発表会で歌うた「サウンド・オブ・ミュージック」の歌をまた同僚の音楽の先生が入れるんだ。なんだかんだと思い出されてまたまた涙腺ゆるゆる。歌なんか歌われへん。明日も仕事はあるのに。大丈夫かいな。


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