ぼやき日記


5月11日(火)

 5月8日の日記で「グッパ」というじゃんけんについて書いたら、長崎在住の吉武公美さんより情報をいただいた。以下、メールから引用させてもらいます。

「こちらでは、『グッパ』ではなくて、『うら・おもて』と言って、手のひらを上向けにしたり、下向けにしたりします。手の甲側が『くろ』、手のひら側が『しろ』のグループとなります。
私自身は、大阪で生まれ育ったのですが、『グッパやで!!』とか『グッパでホイ』とか結構、闘争的に叫んでいたように思います。ママさんバレーのチーム分けで、手をひらひらさせながら、『うら・おもて』と抑揚をつけて唱えていると、なにか優雅な感じがします……」

 「うら・おもて」に「くろ・しろ」ですか。なにやらオセロゲームみたい。もしかしたらオセロを考え出した人は長崎の出身かしらんとオセロに関するサイトをあちこち検索したけど、「インターネットでオセロをしよう」とか「オセロ国際大会情報」とかそんなんばっかし。本家本元のツクダオリジナルのページにはJAVAを使うたオセロゲームはあってもオセロの歴史とかそういうことについて書いてあるページは一切なし。JAVAは私のパソコンでは読み込むのが遅いんやで。えらい時間がかかってしもうたわい。
 話がそれた。つまり、「うら・おもて」の来歴とオセロゲームの関係についてはわからんかったということ。まあそんなことはどうでもええけどね。
 手をひらひらさせながらチーム分けをするというのはおもしろいね。確かに大阪人のじゃんけんは(「いんじゃん」といいますが)闘争的かもしれんね。それに、チームも白と黒に分かれるというのもこちらではあまりない発想やね。所変われば品変わる。意外にこの「うら・おもて」でチーム分けをしているところはまだあるかもしれんね。
 けっこう面白そうなので、この手のじゃんけんに関する情報をどしどしお寄せ下さい。「右回り」方面の情報もお待ちしております。
 吉武さん、どうもありがとうございました。

5月12日(水)

 昨日の日記にも書いた「グッパ」関連の情報を掲示板に寄せていただいた。「うら・おもて」は九州だけでなく北海道にもあると寺館伸二さんから。愛知では「グッパ」と曲直瀬さん。「アホ・バカ分布図」にも似てどこかを中心に同心円を描いて中心部分に「グッパ」、その外縁に「うら・おもて」という図が書けるのか? これだけではサンプル数が足りんのでなんともいわれへんけど、一考する価値はあるかも。

 昨日から家庭訪問週間が始まった。私、家庭訪問というのは苦手なんやね。他人のプライベート空間に入り込むような気がして。そやけど、養護学校の場合、家庭と二人三脚で生徒を指導していかんならん。いわゆる「お勉強」だけやなしに、自立のために総合的な力をのばしていかんならんから、家庭との協力関係はものすごく重要になってくる。そやから、どのような家庭環境なのかということを知ることも指導内容に大きい影響を与えてくる。
 それはわかってるんやけど、よそのお家にずかずかと踏み込むのはやっぱり抵抗があるなあ。学校での個人懇談やったら抵抗はないんやけどなあ。やはり「自宅」というのは私的環境であって仕事という公的なものにはそぐわないような気がする。
 それやったら訪問販売はどうやねんといわれそうやけど、あれは私的な環境に入り込むことによって一定の効果をあげることを狙ってるといえるから、ちょっと違うように思う。
 去年は高3の担任やったから、「家庭訪問でなく学校での懇談で十分」という保護者が多く、私は全て学校で事が足りた。今年は2年ぶりの家庭訪問ということになる。高1だけに一度は家庭を訪れる必要があるから「学校で懇談」というわけにもいかんし。今日と明日で3軒。これは一般の中学校の担任よりも数が少ない。でも、話をする中身はかなり濃い。どっちにしても苦手であることに違いはないんやけどね。

5月13日(木)

 仕事がひけてから、林譲治さんと会食。林さんはハードSFの新星にして人気架空戦記作家。つい最近私の勤務地の近くに宿替えしてきはったので、これを機会に食事でも、ということになったんです。
 初対面ながらすぐに意気投合。まずは神林長平さんの話などで盛り上がる。SFファンはもうSFの話をしだしたら止まらんのです。同い年ということで、原体験が共通してるということもあるしね。その上架空戦記の話もあるし。
 「吾輩は猫である」というのは、猫を擬人化せずに完全に猫の視点で描いたら、これはもう立派なSFですなあ。ヴェルヌとウェルズをいっしょにしたらあかんね、ウェルズは発表当時は思弁的な風刺小説でヴェルヌの大衆向けの科学冒険小説とは違うもんねえ。などというような話とかここには書けない裏話で大いに盛り上がる。
 林さん自身は正統的な架空戦記よりもパロディの要素のあるもう少しおちゃらけたものを書きたいそうやけど、出版社はそれを求めてないというような話もした。その流れで出た「実は書きたい小説」の話。「大和魂」を燃料にして動く戦艦の話なんか書きたいですねえ。それはもうSF的展開にするしかないですよ。燃料タンクに「大和魂」を抽出して詰めておく。足りなくなったら乗員を並べて精神注入棒で次々に尻を叩きまくる。そしたらタンクに「大和魂」がたまるわけですな。なかなかたまらないと思ったら不忠者が紛れ込んでたりしてね。持ち物を調べたら雑誌「改×」が出てきた。などというようなアホな話をえんえんと。
 共通の知人もいることやし、今後もちょくちょくあって話をしたいなあ。実に楽しい一夜でありました。
 ところで、そんなことしてて書評用の本は読んでるかってか? お父っつぁん、それは言わない約束でしょ。
 そうや、今度はクレイジーキャッツの話をしよう! ただし、ちゃんと本を読んでからね。

5月14日(金)

 まだ大豊の代打サヨナラホームランの興奮がさめない。4−0で勝ってて9回表2死ランナーなし、あと1球で試合終了というところから一気に同点にされ、その裏に代打サヨナラホームランなんて、できすぎやなあ。しかも打った大豊は2年前には相手のチームにいたという。これ、現実やから許されるんやで。漫画や小説やドラマでこんなことしたら、「嘘臭い」とか非難をあびるやろうなあ。

 5月11日の日記に続いて、またまた「グッパ」に関する情報をいただく。なんと、「グーとパー」ではなく「グーとチョキ」の地域があるというから世の中というのはわからんもんやね。
 メールを下さったのは茨城県出身のたけうまさん。以下、引用します。

「わたしが生まれ育った茨城県中部では、グループを分けるときのじゃんけんは、グーとチョキしか出さない『グーチョ』でした。『グッパ』というものがあることは、知識としては知っておりましたが、ローカルなものだと思いこんでおりました。ところがどっこい、皆さんの反応を見る限り、関西でははるかに『グッパ』のほうがメジャーである様子。『うら・おもて』に至っては、聞いたこともありません」(中略)。
「えー、『グーチョ』のやりかたは至極簡単、何の前口上も無く、ただ『グーチョ』と声をあげ、グーとチョキを出すだけ。この『グーチョ』の発音が、なんと言うか、その、悠揚迫らざると言うか、田舎くさいと言うか、文字では『ぐっう〜ちょお』としか表せません(アクセントは「う」にあります)。決まるまで、これを何回も繰り返すわけですから、ドッジボールであろうと陣取り合戦であろうと、チームわけをした後はなんとなくほのぼのとしてしまったものです。うむ、鹿島アントラーズが強いのは、こうやって試合前にリラックスしているせいかもしれませんな。また、こう言うときに必ずパーを出す天邪鬼もいて、まわりから『おめえ、ぱーじゃねえの』(微妙に語尾が上がります)と、馬鹿にされていました。きっと『グッパ』でも、チョキを出す人はいるんでしょうね」(中略)。
「『グーチョ』が、関東一帯に広がっているか? と言う点ですが、高校の時、県南部から通っていた友人の中にも、何人か『グッパ』派がいました。ただし、勇ましい河内言葉とは似ても似つかない『ぐぅーぱあ』という、『るーぱー』と後につけたくなってしまうような発音でしたが」。

 なるほど。「グーとパー」があれば「グーとチョキ」があってもおかしくないわなあ。もしかしたら「パートチョキ」の地域もあるかもしれん。別になんということもなく始めた話題やったけど、けっこうバリエーションがあってびっくりする。掲示板での情報も含めると関西地方、愛知県方面は「グッパ」、長崎、北海道では「うら・おもて」、茨城県方面は「グーチョ」(一部「グッパ」あり)ということになるわけやね。サンプル数が少ないから分析も何も今のところでけへんけど。
 なんか面白くなってきたんで、まだまだ募集は続けます。ひとつよろしく。
 たけうまさん、どうもありがとうございました。

 16日の日曜日は「たちよみの会」の例会。毎月書いてますが、興味のある方はのぞいてみてやって下さい。お待ちしております。

5月15日(土)

 えらいこっちゃえらいこっちゃえらいこっちゃ、〆切や、えらいこっちゃえらいこっちゃえらいこっちゃ。なんでこんな日に職場の歓送迎会があるんや。いやいや歓送迎会のせいにしたらあかん。出席するもせんも自分の腹一つやったんや。えらいこっちゃえらいこっちゃえらいこっちゃ、〆切や、えらいこっちゃえらいこっちゃえらいこっちゃ。なんでタイガースはあんなに勝つんや。本を読もうと思うてもついつい野球を見てしまうやないか。いやいやタイガースのせいにしたらあかん。こんなに気持ちのいいシーズンは久しぶりなんやから。えらいこっちゃえらいこっちゃえらいこっちゃ、〆切や、えらいこっちゃえらいこっちゃえらいこっちゃ。なんでいろんな掲示板にややこしいけど読まんといられん書き込みがようけあるんや。いやいや掲示板のせいにしたらあかん。私が読まなんだらええこっちゃないかいな。えらいこっちゃえらいこっちゃえらいこっちゃ、〆切や、えらいこっちゃえらいこっちゃえらいこっちゃ。

 今晩は徹夜かな。

5月16日(日)

 なんとか午前中に書評の入稿をすまし、やれやれ。ほっとしすぎて時計を読み違え、「たちよみの会」には1時間の遅刻。電車に乗ってたら携帯電話が鳴った。なんじゃいなと出ると、友人Y氏が「喜多くん、今どこにいるんや」。なんや、君えらい早いやないか。「何言うてんねん。今1時やぞ」。うわあうわあ。間を置かず京大SF研岡田さんからも電話が。「喜多さん、今例会の場所にきてるんですけど」。あわあわあわ。Yくんがいてるから、先にやっといて下さい。ああ、なんかもう大ボケ。
 今日は初めて細井威男さんが参加するというのに、親玉がおらんというのは恥ずかしいことです。
 なんとか2時には着く。Y氏、岡田さん、細井さん、そして京大SF研の田中さんが楽しそうにお話中。いやあ、まいったまいった。とんだ迷惑をかけてしまった。申し訳ない。そのあとかつきよしひろさんも加わり、「SFセミナー」の話など。
 福岡出身の出身のかつきさんに聞いたら、福岡ではチーム分けじゃんけんは「うら・おもて」であるとか。岡山出身の田中さんは「グーとパー」と「うら・おもて」が混在しているという。境界はそこらあたりか? 広島の人がいたらはっきりわかったんやけどね。かつきさんは「うら・おもて」の節回しも教えてくれた。ふむふむ。確かにゆったりしてて優雅な感じがするね。
 というわけで、原稿はぶじ書けたけど、なんかもうへろへろのむちゃくちゃ。ほんまにこれ1日ゆっくり休まんと身がもたんのと違うやろか。

5月17日(月)

 「KAWADE夢ムック 文藝別冊 手塚治虫総特集」(河出書房新社)なる本を買う。
 この手の手塚本はもう無条件に買うてしまう。そして、いろんな人たちが手塚治虫をいろんな視点から賛美するのを読んでは、この世の中に手塚治虫の影響を受けていないクリエイターは(直接にも間接にも)おらんのやないやろかと思う。
 とはいいつつも、例えば絶対悪の組織やら軍団やらが出てくる話を読むと、そんなんを書いた人は手塚治虫の影響なんかかけらも受けておらんのやないやろうかというような気がするね。
 あれは「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」がヒットしてた頃やからもう20年も前になりますか。私が高校生の時ね。京都の「シルクホール」で手塚治虫作品の上映会というのがあった。虫プロ製作のテレビアニメでお蔵入りになったもののパイロット版やとか「火の鳥」(市川昆監督の実写版の映画です。一部アニメ合成あり。そんな映画のことなんか知らんという人もいるかもしれんけど)のアニメ部分だけを上映するというかなり濃い催しやった。現在は漫画家のおがわさとしくんも確かいっしょに行ったはずやったと思うけど。その上映会に手塚先生もゲスト出演してたんやね。
 今でも忘れられんのはそこで手塚治虫が「ヤマト」批判(正確には「さらば宇宙戦艦ヤマト」批判)をしてたその言葉。

「ヤマトが白色彗星に突っ込んで、相手を全滅させますね。でも、もしかしたらあの中には地球侵略に反対するものもいるかもしれない。それもわからないのにああいう形で全滅させるのはどうかと思います」。

 記憶に頼って書いてるんで細かいところはちょっと違うかもしれへんけど、大筋こういうことを言わはったのは確か。ここに手塚思想が端的に示されてると思うね。一見悪と見えるものでも必ず多面性を持ってる。その点をきっちり描かなければいけないという、そういう考え方だ。だから、絶対の正義というものも描かない。あの「鉄腕アトム」にしても敵と戦うことに苦悩している。自分は正しいと単純に信じ込んで敵と戦うヒーローはほとんど描いてない。
 ないとはいわんよ。いわんけど、「手塚治虫漫画全集」の本人による解説でそういうものについては「この作品はあまり好きじゃないんです」なんて書いたりしている。
 だからかなあ、ヤング・アダルト小説で「敵の組織」というようなものが出てきて単純に主人公と戦うようなものに対して私は拒否反応を示してしまう。
 ちなみにその時「未来少年コナン」についてきかれたのには「大塚(康生)さんはいい仕事をしてますね」というような意味のことを言うていた。ちゃんと見てないともいうてたかもしれん。
 ところで、「手塚治虫総特集」に「手塚治虫絵コンテ大全(全7巻)」(河出書房新社)の広告が載っていた。こういうのは「全集」には収録されてへんからなあ。なんやかんやで結局買うてしまうんやろうなあ。買わずにはいられんわなあ。

5月18日(火)

 TVで野球中継を見る。今日のタイガースは米子でカープと対戦。米子は雨。
 坪井が大きな当たりを打った。カメラがロングで打球を追う。な、なんや。いきなりTVの画面に雨粒が付着してなんも見えへんぞ。思わずタオルでブラウン管をふきに行きそうになったぞ。カメラのレンズをなんぼふいてもじきに雨がたまってしもうたんやろなあ。
 これは、私が雨の中で原チャリを走らせてるのと同じ状況ですわ。私は眼鏡をかけてるからね。雨粒がじきにレンズにたまる。前が見えんようになる。時々指先でぬぐっても、じきにたまる。めんどくさいとほっといたら、前方が歪んで全然見えんようになる。それでは事故を起こしてしまうから、こまめにふいてんならん。あれと同じやと思うたね。
 ところが、カメラの面白いところは、ロングやと雨粒がくっきり見えるのに、同じカメラがそのままズームインして選手をアップでとらえると、雨粒が見えへんようになることやね。ピントがずれていってだんだん雨粒がぼやけていって、しまいには全然わからんようになるんだ、これが。
 明日の予報では、大阪の天気は雨。下手したら雨の中、合羽を着て原チャリ出勤せんならん。私の眼鏡にもズームアップの機能がついてたら、雨粒がぼけて見えへんようになるから便利でええのにな。
 いや、ちょっと待てよ。ズームアップのまま走ったら距離感がおかしくなってまともに走られへんようになるやないか。その方が事故につながりやすいぞ。道理で眼鏡にはズームアップの機能がついてないはずですな。いや、そんな理由やないか。

5月19日(水)

 予報では今日大雨ということやったんに、大阪ではほとんどふらず。おかげでズームイン機能のついた眼鏡はかけへんですみました。最初からそんなもんは持ってへんがな。

 今日、本屋で衝動的に「Cobalt 6月号」を買う。なんでかというと、田中啓文さんの連載が始まったからやね。ああ、そこ、あわてたらあかんよ。小説の連載やないんよ。1ページのエッセイでタイトルは「タカラヅカはわけわからんけど面白い」。
 その1ページのために大枚560円はたいてええ年をしたおっさんがそんな雑誌を買うかといわれると返す言葉もない。その1ページは560円分の値打ちがある、とまでは言い切れん。そやけどね、立ち読みだけですますんやなしにちゃんと手元に置いときたかったんですよ。まさかあんた、その本持って本屋の向かいのコンビニに行ってそのページだけコピーしてまた本屋にその本を戻しとくというわけにはいかんでしょうが。
 なに、図書館を利用せいとな。どこの図書館に「Cobalt 6月号」が置いてあるかわざわざ調べてる余裕はないんだ。
 いずれ「田中啓文エッセイ集」が出版されたらそこに収録されるかもしれんけど、そういうものが出るかどうかは現時点ではわからんからね。
 というわけで、1ページのために560円を払う値打ちがあるかはともかく、私は「これはおもろい、ちゃんと買うて保存しておかな」と思うたわけやね。
 関係ないけど、久しぶりに読んだ「Cobalt」にもボーイズ・ラヴ小説がかなりの割合を占めてるなあ。そういう時代やねんなあ。なんですて、田中さんのエッセイ以外のところも読んでるやないか? そらあんたせっかくお金出して買うたんやから、1ページだけ読んでしまいというようなことするアホがどこにいてますか。私ならしそうですか。そうかもしれんけど、ねえ。

5月20日(木)

 てなもんや掲示板に続々とじゃんけん情報が集まっています。出した指の数で分けるというのが加わり、これで「グーとパー」「グーとチョキ」「うらとおもて」「1本と2本」という4つのパターンが出そろったということになりますね。こんなに種類があるということが驚きやし、それぞれがシンクロしてる地域もあれば、他のやり方を知らない地域もある。マスコミの発達で日本全体がミニ東京化しているなどということは決してないと思うね。マスコミに乗りにくいこういう部分はやっぱりその地方独特のやり方やら節回しやらが生きて残ってるんです。まだまだいろんな地域のやり方を知りたいなあと思うので、今後も募集は続けます。ひとつよろしく。

 生徒が私にむかって「ナギタ先生」などと言うんでなんのこっちゃいな、勝手に人の名前を作る生徒なんかなと思うたら、そうやなかった。彼はこう言うておったのである。
「なぎら先生」。
 確かに私は鼻の下にひげを生やしてるし眼鏡もかけてるよ。そやけど、なぎらけんいちさんといっしょなんはそこだけやないか。
 どちらかというと、私はヨーヨー・マに似ている、と言われたことがある。ひげをはやす前の話だ。なんかこの顔のパーツもさることながらいつも嬉しそうにニカニカ笑っておるところが実にヨーヨー・マの持つ雰囲気に似てるんやそうです。
 そうやねん。私の顔は「笑い顔」なんです。いつもなんか笑うてるような顔なんです。それもいかにも楽天的に。緊張すると、普通顔は引き締まるはずやねえ。ところが私は笑うてしまうんだ。もともと笑い顔の人間の顔の筋肉がこわばるとますます笑うたような表情になるわけだ。
 そんなもんやから、どんなに緊張してても(だいたい私はあがり性で足が震えるほど緊張することもある)なんか余裕があるように勘違いされてしまうんや。絶対これは損だ。
 ヨーヨー・マはチェロを弾くときも実に嬉しそうにしてる。内面のわからん「アジアン・スマイル」と欧米の人には思われてしまうんやけど、実はあの笑顔はものすごく緊張してるんかもしれへんね。
 それはともかく、私の顔はなぎらけんいちには決して似てません。誤解なきよう。


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