ぼやき日記


5月21日(金)

 子どものころに見ていたテレビまんがのテーマ曲(そのころはアニメとはいわなんだ)を集めたCDを最近よく買う。完全に後ろ向きな生活をしておるなあと思いつつも、私たちにとっての「懐かしのメロディ」はそういうもので、おっさんになったら懐メロを聴くというのが正しいおっさんの道やと思うことにしよう。
 そういうCDにも2種類あって、レコード用に録音されたものを集めたものとテレビで使われたものを集めたものとに大きく分けられる。
 私はどちらが好きかというと、テレビで使われたものを集めたCDやね。そういうのは例えばナレーションとかSEもそのまま収録されてるから、それを聞くだけで頭の中にそのテレビの場面がよみがえる。例えば、「タイガーマスク」やとレコード用の音源やとあの「俺は虎だ! 虎になるんだ!」という頭のナレーションがないし、ゴングの音やらチョップの音やら歓声やらの効果音が入ってない。「鉄人28号」やら「遊星少年パピイ」やと「グリコ、グリコ、グーリーコー」と最後にはいるはずの歌詞がない。「ジャングル大帝 進めレオ」の「サンヨーサンヨーサンヨーでーんき」というのもそうやね。ひどいのになると、契約の関係でオリジナル音源を使えず違う歌手が歌ったヴァージョンを収録しているものもある。リアルタイムで見ていたおっさんとしては、やっぱり「ゲゲゲの鬼太郎」は熊倉一雄の歌で聴かんとあかんというものです。
 オリジナルのヴァージョンと歌手もアレンジも違うものを収録している場合はその旨断り書きをしてほしいなあと思う。私のようなおっさんであれば、「これは子どものじぶんに聴いたのと違う!」というのがイントロの一音を聴いただけでピンとくるけど、若い人の場合はオリジナルを知らんけどCDに収録されたものでやったら知ってるということもあるやろうからね。
 オリジナル音源を使用していても物足りないのは「ウルトラマン」やったりするね。やっぱりイントロの前に「タケダタケダタケダー、タケダタケダタケダー、タケダターケーダー」「ぐっかん、ききききーき、ぐっかん、ぐっきいいい、じゃん。ジャーン」というのをいれてほしいなあ。なんのことかわからんか。つまり武田製薬のテーマがあって「ウルトラQ」のタイトルが出てそれをぶち破るように真っ赤なバックに白抜きで「空想科学シリーズ ウルトラマン」(違ったっけ?)というタイトルが出る、その音も入れてほしいというわけです。円谷プロのはたいていオープニングの前に特殊効果でタイトルを入れてるから、どれもその音楽を収録してほしいと思うてるのは私だけやろか。
 普通の人はそういうことは気にせんのかなあ。そやからCDに収録されてないんやろうね。なんで気にならんのやろう。

5月22日(土)

 由利徹さんがお亡くなりになりましたね。享年78。そんな年やったんかとちょっと驚いた。最後まで老け込むということがなかったということやね。私は「脱線トリオ」時代はよく知らんのやけど、映画やTVの名脇役という印象がある。映画「日本無責任時代」で植木等を最後に助ける社長役とか。芸人さんでは年をとると性格俳優になっていったり、渋い役柄が増えてくるというのが多いけど、由利徹さんは最後まで「軽み」と「下世話」な味というものを持ち続けてたという感じで、これは誰でもできるというもんやないよね。そういう意味では「コメディアン」と呼べる数少ない芸人やなかったかという気がする。
 私の持ってるCDに由利徹「カックン・ルンバ」が収録されてるのがあるけどどこがルンバやねんという、ただ由利ギャグの「チンチロリンのカックン」というのが入ってるだけのごく平凡なコミックソング。歌手やないんやからそんなもんかいなと思うけど、あまりその芸風を残してるとは言い難くそれこそ「カックン」となってもた。
 小林信彦の「日本の喜劇人」(新潮文庫)あたりでかなり持ち上げられていたけど、かえってそれが虚像となったきらいがなくもない。芸人さんのことを書き残すというのは実に難しい。「偉大な喜劇人」とは一線を画する芸人さんとして記憶にとどめておくこととしよう。
 謹んで哀悼の意を表します。

5月23日(日)

大久保駅
 今日は「原人祭り」なるものを見に明石市大久保町まで行く。
田中哲弥さん書くところの「大久保町シリーズ」の舞台となった町であります。前々から一度この祭りを見に行きたかったという野尻抱介さんの呼びかけで、小林泰三さん、田中啓文さん、地元の田中哲弥さんはもちろん参加。駅の改札を出ると、ショーウィンドウに明石原人の骨を発掘した直良信夫さんの足跡をたどる写真パネルやら明石原人の骨のレプリカやらアンモナイトやら三葉虫やらいろんなものが飾ってある。
「これは確かに明石原人の骨や。ちゃんと『明石原人』と彫ってある」。
「やはり明石原人は三葉虫やアンモナイトを食っとったんやろか」。
「いくらなんでも時代が違うで」。
「いやあ、これだけで『原人祭り』を十分満喫したな」。
 好き勝手なことを言う。
大久保駅前の盛況ぶり
 
京大SF研の原人さん(本名やないよ、ハンドルネームですよ)をはじめ岡田さん田中さんといった「たちよみの会」常連を含む4名の若者も合流し、駅の北側へおりる。写真の通り、町は「原人祭り」一色。幟が何本か立っているだけで人のにぎわいというものがない。ほんまに祭りをしている町やろうかという疑問をふりはらうように、会場広場までタクシーに分乗してゆく。
 タクシーを降りると、通路には両側にフリーマーケットが大量に出ている。いずれも地元の家庭が出しているみたいで、子供服やら玩具なんかが目立つ。時々古本もあるので目を皿のようにしてみるが、サンリオ文庫が半額でどかどかなどというおいしい話はない。そんなもん出てくるわけあらへんがな。
 会場のお祭り広場では特設ステージで多彩なイベントをしている。ノコギリの早引きコンテストやらフォルクローレの演奏やら、どこが明石原人と関係があるのかようわからんが、もしかしたら原人たちはノコギリを使用し、ケーナやギターを使って音楽を楽しんでいたのかもしれん。
明石原人の勇姿
 それどころか、会場至る所にご覧のような原人のマスコットキャラクターが立っているやないか。骨が一部分発見され、その実物も失われたというのに、明石市ではここまで明石原人の勇姿を復元できるまでに研究を進めていたのであった。明石市の人たちの努力はいかばかりのものであったろうか。そやけど、もうちょっと上手な人にキャラクターデザインを頼むことはでけへんかったんかいな。いくらなんでもこれではまるで「天才サザエボン」やね。
 なるほど、このキャラクターからみると、明石原人は狩猟民族であるという研究が進んでいるとみた。侮りがたいことである。
餅つきをする原人
 ところが、私たちは目撃したのだ。原人たちが餅つきをしている姿を。なぜこの時期に餅つきをしているのか、どうにも季節感のない原人たちではあるが、しかし、これにより明石原人が農耕の技術を持っていたことも明らかになったのであった。侮りがたし、明石原人。
 冗談はこれくらいにしときましょう。
 自治会主催の市民祭りならそれらしく「明石市民祭り」とかそういう名前にしておいたらよかったのに、「原人祭り」などという意味ありげな名前をつけるからややこしい。
 私たちおっさん5人はすみっこで車座になりビールを飲みながらインドのカレーとナンを食べたりフィリピンバーベキューやベトナム焼き鳥を食べたりしてアホな話をするしかなかったのである。
 午後3時に祭りが終了したので、私たち一行は、これではわざわざ明石に来た意味がないと田中哲弥さんの案内で市の中心部に行き、名物の「明石焼き」(だし汁につけて食べる柔らかいたこ焼き。地元では『玉子焼き』と呼ぶそうです)を食することにした。
明石焼き
 いやあ、さすがに地元の明石焼きはうまい。一気に食うてしもたぞ。妻には「子午せん」という煎餅を土産に買う。煎餅に砂糖で日本地図が書いてあってその中心を標準子午線が走っている。これは持って帰ったら妻に受けた。
 そのあとは推して知るべしで、わあわあいうておりました。笑い疲れて腹が痛い。とても楽しい一日やったということは確か。みなさん、ありがとうございました。
 というわけで、「明石原人祭り」レポート、いかがでしたか。残念ながらパレードを見ることはかなわなんだけど、まだの方はぜひ来年行くことをお薦めする。もしかしたらフリーマーケットで手ごろな価格でよい品物が手にはいるかもしれん。わざわざ明石まで行って買わんでもええといわれれば返す言葉もありませんが。

5月24日(月)

 昨日小林泰三さんに「少女小説のブームって、あったんですか」ときかれて10年ほど前の状況を簡単に説明したんやけど、自分なりにちゃんと整理しておきたいと思うたんで、ここに書く。私自身、全く関係ないとはいえないということもあるし。細かなデータは示さないけれど、自分用の覚え書きも兼ねて、というつもりなので、その点はご容赦を。
 そうか、もうあれから10年になるんやね。双葉社のKさんから「今度『いちご文庫』というジュニア小説のシリーズを出すんで書いてみませんか」という電話をもろてから、そんなにたつんか。男名前では売れないというので男とも女ともとれるペンネームをひねり出したなあ。結局自分の力不足と、ジュニア小説向きの話を作ることがでけへんかったということもあって、文庫デビューにはいたらなんだ。あれが平成元年のことやったから、少女小説ブームが10年前にあったというのは確かやね。
 火付け役は「講談社X文庫ティーンズハート」。もともと少女小説には「集英社文庫コバルトシリーズ」というのがあった。「小説ジュニア」(現「Cobalt」)という雑誌に掲載されたものを中心に古典的な少女小説を収めた文庫で、執筆陣は富島健夫、吉田としなど。20年ほど前はそういう状況やったんです。ただ、新人賞から氷室冴子、田中雅美が、それ以外で久美沙織、新井素子といったラインナップが加わり、新しい感覚の少女小説誌に生まれ変わりつつあった。1980年代の始めにそういう変化があったけど、当時の「コバルトシリーズ」のカバーは今のように漫画家の絵で飾られてたわけやなかった。久美沙織のデビュー文庫「宿なしミウ」のカバーは新井苑子やったんやから。
 そこから「ティーンズハート」のブームに流れが行くわけやけど、「X文庫」に少女小説の部門ができたのがいつ頃なんか、きっちりとしたデータがない。少なくとも「小説ジュニア」が「Cobalt」と誌名を変えたのよりは後。それは1981〜2年頃やったという記憶がある。私が浪人したか大学に入った頃やったことは確か。「いちご文庫」の話を持ちかけられたんが1989年やから、80年代中頃と考えてええと思う。
 漫画家を表紙にがんがん起用した「ティーンズハート」から出てきた人気作家が花井愛子。同じ文庫に神戸あやか、浦根絵夢と3種類のペンネームを使うて月に何冊も書いてた。他に売れっ子には織田加絵、林葉直子(女流棋士のあの人です)というあたりがいた。他社もこれに追随する。ケイブンシャ文庫から表紙も背表紙もそっくりなのが出て、そのあとに「いちご文庫」がくる。「角川スニーカー文庫」までそのころは少女小説を出してた。内舘牧子(ご存知人気脚本家)が「スニーカー文庫」に書いた作品を私はまだ持っている。後に続くは学習研究社「レモン文庫」に小学館「パレット文庫」(ただし、小学館は「パレット」という雑誌を立ち上げておいてから文庫参入した)。ほかに「徳間文庫パステルシリーズ」というのもあったはず。
 結局「パレット文庫」を除いてわずか数年でそれらの後発文庫はつぶれてしもた。過当競争やったんやないかな。書き手をかき集めて必死になってた。「いちご文庫」には志茂田景樹や横溝美晶の名前も並んだ。それどころか、川又千秋、横田順彌といった人たちが変名で書いたものもある。それでも月に4冊というペースを維持するためには足りない。この時に「いちご文庫」でデビューしたのが井上祐美子。
 1990年代の前半にあっけなく少女小説のブームが終わる。次に少女たちの選んだのは何やったかというと……。
 覚え書きのつもりがえらい長うなってしもうた。続きは明日書きます。

5月25日(火)

 少女小説についての覚え書きの続き。
 双葉社「いちご文庫」が廃刊になると編集のKさんから電話で聞かされ、私は愕然としたね。既に何本か作品を送り、一応「魔法使いの少女が女の子の恋を助ける」というパターンとキャラクターを作り上げ、しかもその魔法少女をとりまく美青年キャラクター二人を創造してその3人の物語も作ったところやったのに……。
「ところで喜多くん、異世界ファンタジーを書く気はありますか」。
「異世界ファンタジーですか。僕、苦手なんですよ」。
「もし異世界ファンタジーを書くのなら、T書房に紹介しますよ」。
 このころ私は「てんぷら・さんらいず」という同人誌に新書ノベルズばかりを追いかける書評ページを連載してた。そやから、T書房が出してるノベルズでひかわ玲子や麻城ゆうといった人たちが活躍してることも知ってた。読んでて思っていたのは「こういうのは読むのも書くのも俺には合わんなあ」というようなことやった。
 少女小説を書いてて感じたのも、実は「俺には合わん」という思いやった。合わんと思うてはいたけど、せっかくチャンスをもろたんやから、そのチャンスを生かさなあかんと書き続けてたわけやね。そやから「いちご文庫」が廃刊になったら他の少女小説の文庫に挑戦してみようという気にならんかった。また、「合わん」と思うものを書いても面白いもんは書けへんということを身にしみて感じてたんで、T書房への紹介は丁重に断ることにした。
 というわけで、しばらく続けてた少女小説ウォッチングもここでいったん切れたんだ。
 ただ、ノベルズ批評を続けてはいたんで、それに関連して少女小説の文庫に異世界ファンタジーがかなりの割合を占めてきてることに気がついた。1990年代中頃、「講談社X文庫ホワイトハート」「集英社スーパーファンタジー文庫」の登場、小沢淳、小野不由美、前田珠子らの活躍を私は横目で見ていたということ。また、それと並行していわゆる耽美小説が台頭していて「角川ルビー文庫」というのが出てきてもいた。こちらは私には無縁の世界やったし、少女小説の本流になるものというようには考えてなかった。
 1994年から私は「S−Fマガジン」に「ヤングアダルト小説」の書評をすることになった。異世界ファンタジーについては三村美衣の担当ということやったので、私は少女小説に関しては伝奇アクションを主に読むことになる。そこで私は再び少女小説文庫に注意を向けるようになった。まず気がついたのは風水や陰陽師などという題材が女性読者に好まれているらしいこと。新人の女性作家でそういうものをオカルトアクション小説として書く人がけっこう出てきた。
 ただし、私が書評を始めた頃はまだそのような小説に同性愛の要素はほとんど含まれてはなかったし、「ルビー文庫」「花丸文庫」は別として、「コバルト文庫」「パレット文庫」の新刊にはあからさまにボーイズ・ラヴ小説を打ち出したものもなかったように思う。
 いやそやけど、ここ2年ほどのボーイズ・ラヴ小説の主流化はすごいものがあるね。伝奇アクション、オカルトアクションでも美少年がおたがいにひかれ合うというようなものがもうぼこぼこ出てきてるからね。「ホワイトハート」や「パレット文庫」は今ではボーイズ・ラヴ中心の文庫になってるね。
 ただ、10年ほど前の少女小説ブームの時と同様、ボーイズ・ラヴ小説の文庫もいくつか創刊され、どんどん新人が起用されてる。歴史は繰り返すとは限らんけど、似てるという感じがする。現在は隆盛のボーイズ・ラヴ小説が10年前の少女小説と同じ道を歩まんとは限らんという気が、私にはしてならんのやね。ある意味で異世界ファンタジーや伝奇アクションが少女小説で一つのジャンルを形成をしてはいても爆発的な人気にならんかったというのは幸いやったかもしれんという気もするね。ある程度固定した読者を対象に実力のある作家が生き延びてきてたりするからね。
 今後、少女小説がどういう道を歩んでいくかは、私には予想がつかんけど、ともかく私の体験をまじえた覚え書き、これにておしまいということにいたします。

5月26日(水)

 授業でNHK教育テレビを活用するのは生徒にも教師にもいい気分転換にもなってありがたい。「おかあさんといっしょ」を子どもに見せておいてその間に家事をするお母さんの気持ちがわからんでもないね。
 最近活用しているのは「ストレッチマン」。これは知的障害養護学校むけの番組なんやけど、なんともチープで面白い。もともとはやはり養護学校向けの番組の1コーナーやったんが人気が高いんで独立したようだ。製作はJOBKことNHK大阪放送局。そのため出演者も関西系の人がほとんど。
 どんな番組かというとまずお花畑のセットの中にまきりん(前田真紀)としかりん(若草鹿)が登場して「こんにちはこんにちは」と連呼するテーマ曲を歌う。二人が「ストレッチマーン」と呼ぶとクロマキー処理をしたCGをバックにストレッチマン(宇仁菅真)が「むはむはむははは」と椎名誠のエッセイのように高笑いして登場、全国各地の養護学校に現れた怪人の情報を受けてそこに飛んでいく。この怪人を演じているのが、その学校の先生やねん。教師というのは大変ですわ。ストレッチマンは子どもたちといっしょに簡単なストレッチをする。「ストレッチパワーがここに、ここに、たまってきただろう」などと言いながらたまったストレッチパワーを怪人にぶつけてやっつける。
 ストレッチマンが自分の星に帰っていくとスタジオに画面が変わり、珍妙な衣裳を着たらん(えもととしこ)、たいへいよう(旭堂南太平洋)、みゆ(斉藤みゆ)の3人が養護学校の生徒向けの遊びをやってみる。これなんかかなり参考になるね。今後の授業で実際にやってみようかなと考えている。
 まあこういう番組なんやけど、この出演者たちについて調べてみたら、うーむ、みごとなまでに小劇団の役者などを使いこなしてるんやね。たとえば、らん役の江本敏子は「劇団新感線」のメンバー、しかりん役の若草鹿は「上海太郎舞踏公司」のメンバー、みゆ役の斉藤みゆは「アクタープロ」の若手女優で「新・部長刑事」にレギュラー出演していた人。たいへいよう役の旭堂南太平洋は名前からもわかるように旭堂小南陵門下の若手講釈師。まきりん役の前田真紀だけは不明なんやけど、歌が非常にうまい。あるア・カペラの合唱団にその名前があったので、特定はでけへんけどその人なんやと思う。ストレッチマンの宇仁菅真はけっこうキャリアのある役者さんらしい。なんとストレッチマンのファンサイトがあってそこでインタビューなんかもしてるんでそちらを参照していただきたい。つまり、名前は通ってないけど、それなりに実力のある人を集めてるんやね。そういう配役ができるんがNHKの強みかな。
 NHK教育の番組は常々侮りがたいと思うてるけど、この番組も見出したら癖になってやめられん。衣裳のチープさとCGの美しさのギャップなんか、言うに言えん味があるね。お暇な方は一度見てはいかがかな。

5月27日(木)

 朝から豪雨。午前7時現在で大阪府に暴風波浪警報が出ていたので、私の勤務先の学校の規定では臨時休校になる。休校が決まったら、即電話連絡がまわってくるはずやのに、いつまでたっても連絡がない。6時半頃、ラジオでは天気予報士さんが「この1時間が暴風のピークで、次第に治まるでしょう」というてる。となるとや、様子を見て授業をすることにしたのかもしれん。とにかく出勤することにする。
 こんな日に原チャリで行くのは自殺行為。電車で行くとなると1.5倍以上の時間がかかる。連絡があったら携帯電話でしらせてもらうように妻に頼んでおいて、バスと電車を乗り継ぐ。いっこも座られへん。ああえらいだるいしんどい。そやけど携帯には全然電話はかかってこない。雨はかなり弱まってるし、こら学校あるでと思うて校門をくぐると「本日、臨時休業」の掲示を発見。脱力しましたよ、ほんまに。
 警報はとっくに解除され、仕事を終えて変える頃には薄日が射してるやないか。帰りの電車のしんきくさかったこと。原チャリやったらビューッ、やのになあ。降るんやったら1日中降っとれ、低気圧のどあほ。ああえらいだるいしんどい。

 「SFオンライン」5月24日号に書評を書いております。「フリーダムズ・チョイス」「グッドラック 戦闘妖精・雪風」「エリコ」の3本です。普段まわってこないジャンルの本なので、ちょっと気合い入れすぎという感じですが、よろしかったらお読み下さい。また、同じ号に掲載されてる「街道」という小説のイラストをおがわさとしくんが描いております。そちらもひとつよろしく。

5月28日(金)

 今日「闇がざわめく」(瀬川貴次)という小説を読んでたらボーイズラヴ小説ファンの女の子に主人公の女の子が言うせりふが面白くてつい笑うてしもうた。
 どうしてもボーイズラヴ小説が好きになれない理由として「わたし、肛門性愛には興味ないわ」といい、なおかつ肛門を傷つけたときの痛さを切々と語り、「その痛みを想像しただけで……」と言うんやね。相手の女の子はもちろん反論するんやけどね。
 確かに肛門が切れたら痛い。私も経験があるが、トイレで鮮血が白い便器にぽたぽた落ちるのもたまらん。血を見て思うたね。
「ああ、俺にもとうとう生理がきたか」。
 そんなわけあらへんけど、(結婚前やったんで)妹のナプキンをこっそり拝借してパンツに血がつかんようにしたもんだ。ああこれは妹も実家で読んでたんやった。もう時効やろうからまあええわ。あの時はごめんなさい。「ナプキン借りたよ」とはよう言わんかったんです。
 もっとも妻に言わすと生理は「ぽたぽた」やなんて可愛いもんやないそうやけど。
 ともかく肛門が切れたら痛い。それがわかるだけに微に入り細を穿つような痛さの描写、思わずうなずいてしまいました。あれはほんまに痛い。嘘やと思うたらおなかをこわしてへん時に正露丸をたらふくのんでみて下さい。誰ものまんか。

5月29日(土)

 身内に不幸がありましたので、今日と明日の2日間は更新できません。
 次回更新は月曜日の深夜を予定しています。

5月31日(月)

 一昨日、通夜に行く途中の電車での話。
 私と妻は2人掛けの座席に座ってたんやけど、その後ろに中学生らしい男の子の二人連れがいた。声変わりしかけの高いようなかすれたような声でなにやら話をしてる。私は本を読んでたんで話をちゃんと聞いてたわけやないんやけど、妙な言い回しを時々使うんで、そこだけ耳についてしまう。
 一つは「カラフリィ」。おいおい、「カラフル」にわざわざyをつけんでもええって。たぶん「カラフル」が形容詞やということがわかってないんやろうね。形容詞にyをつけたら副詞になるような感じやけど、そんな言葉はあらへんで。
 続いては「スポーティ的」。つまりそれは「スポーツ的」的ということになるんかな。なんでも「的」をつけたらええというもんでもなかろうに。私はなんにでも「的」をつけるのはあまり好きやないんやけど(例えば「オレ的」のような)、いくらなんでも「スポーティ的」はないでしょう。
 彼ら2人が下車したあと、ついつい妻と二人で吹き出してしもうたよ。ただ、ああいう言葉を使うてしまうのはわからんでもない。もともとの言葉の意味がようわかってないんやけど、そこに語尾にyや的をつければ形容詞として使えるということは感覚的にわかってる。そやからああいう言葉を自分らで作ってしまうわけやね。造語というのはたいていはそういうもんやろうし、一時はやった「超〜」という言い回しが発生したのも同様な理由やと思う。
 しかしなあ、「カラフリィ」に「スポーティ的」ですよ。ヤングアダルト小説の書き手の方たちはそういうような言葉を使う中学生にもちゃんとわかるような言葉で小説を書かんならんということになるんやね。これはほんまに大変なことと違うやろか。

 明日は所用で遅くなります。次回更新は水曜日の深夜の予定です。


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