ぼやき日記


6月2日(水)

 公立の学校は奇数土曜日は授業があって、偶数土曜日はお休み。先週と今週みたいに第5土曜日と第1土曜日が続く週は、当然のことながら2週続けて土曜は出勤になる。
 まだ第2土曜日だけが休みやったときは休日が月に1日増えるというような感覚やったから、土曜出勤はそんなに苦にはならんかったけど、だいたい隔週土曜がお休みということになると、奇数土曜の週はけっこうしんどい。
 もっとも、私は先週の土曜は休んではいるけど、お通夜と翌日お葬式やったから、休んだという感じにはならん。
 そんな話を若い先生としてて、ふと思いついてきいてみる。
「あなたの高校時代は土曜は休みやった?」。
「いいえ、僕らが卒業してから土曜が休みになったんですよ。でも、A先生やったら、休みやったかもしれませんね」。
 A先生というのは、大卒即採用試験合格という湯気の立つような社会人1年生。
「今年23才かあ。第2土曜が休みになったんは9年前やから、そうやね」。
「そうですよ、生まれ年が昭和50年ってきいたら、愕然としますよ」。
 昭和50年というと、西暦では1975年か。待てよ、9年前には14才、中学2年……ということは、私が中学校で講師をしてた時の教え子と同い年やないか。うわあ、嫌になるなあ。教え子が同僚になるようなもんやおまへんか。自分がおっさんになったことを目の前に突き付けられてるという感じやね。そうかあ、土曜休みという学生時代を送ってきた世代が社会に出てきてるんやねえ。
 1975年生まれというと、ロッキード事件とか貴ノ花(現二子山親方)初優勝とか、広島カープ初優勝とか、田淵ホームラン王とか、そういう年ですな。
 妻と話してたら「それは『宇宙戦艦ヤマト』より前やったっけ? 後やったっけ?」ときかれた。たぶんその前年か前々年くらいにTVの本放送があったはず。「ヤマト」を基準にするところがなんとも。
 他に何かあったかなあ。妻は少し考えてこう言うた。
「『Gメン’75』をTVでやった年」。
 それは間違いやないけど。

 5月31日の日記で触れた「カラフリィ」という単語は「華やかに」という意味の副詞であるというメールをいただきました。ちゃんと辞書を引いてから書けばよかった。とはいえ、くだんの中学生は形容詞的に使っておったので、「カラフリィ」という単語の意味がわかっていたわけやないことは確かやけどね。

6月3日(木)

 鼻の頭にでけた面疔がなかなか直らん。面疔ではわかりませんか。メンチョウと読む。つまりおできのきついやつのことだ。なんでも顔のセンターラインにできるできものはかなり危険やという。
 子どものころ、やはり鼻の頭に面疔ができてほっといたら腫れるし膿んでくるしだんだんでかくなるしで弱ったことがある。その時は、父が縫い針をライターで熱して消毒し、面疔に刺して穴をあけ膿を搾り取ってくれた。膿を出したら面疔もしぼんだ。その後はあっという間に直った。
 その後で確か「少年ジャンプ」に永井豪の「怪人二十メンチョウ」というマンガが載っていたのを読んだ覚えがある。顔面に20個の面疔ができてて面疔から膿を発射するという汚いおっさんが主人公の話やったと思う。それを読んで、1個でも痛かったのに20個も面疔ができてたらさぞかし顔面が痛うてむず痒うて大変なこっちゃろうと子ども心に思うたね。
 今回の面疔はできかけの時に妻のニキビ用の塗り薬を適宜塗っておるのでそないにでかくもならんし膿もせん。しかしなかなか根が深い面疔なのか、しぼみかけてはいるんやけど完全に直るところまでいかん。もう痛みもないしさわっても芯がなくてふにゃふにゃしてるから大丈夫やと思うんやけど。
 今でも鏡を見たら鼻の頭にぽつんと小さいへこみがある。子どものころに父が針を刺した名残ですわ。
 しかし、なぶったら直りが遅いか大きくなるということはわかってるんやけど、ついついいじってしまいますな。そういう性格なんかしらん。臭いとわかってて缶詰食べるアホですさかいな。

6月4日(金)

 九九のCDを買う。「英美ちゃんのレッツゴー九九」というタイトル。最近頭がぼけてきて九九も言われんようになってきたから、ではない。「おはようパーソナリティー道上洋三です」というラジオ番組の製作したプライベート盤でありまして、番組で聞いてものすごくほしくなったんだ。
 ずっと以前に「声の宅配便」という企画でリスナーから道上洋三アナウンサーとアシスタントの秋吉英美ちゃんに実用的なものをリクエストして……留守電の着信メッセージ、目覚まし時計がわりに「起きろ起きろ」と連呼したテープといったようなもの……録音してもらい、プレゼントしてもらうというのをやっていた。その中に、「九九を覚えるのが苦手なので、英美ちゃんに九九を録音してもらい、耳にたこができるほど聞きたい」というようなものがあり、スタッフが鳴らす太鼓の音をバックにラップ風に英美ちゃんが九九を録音したのだ。
 番組中で紹介されたのを聞いて、私もこれはほしいと思うたね。「さあ、一の段、レッツゴー」とかけ声をかけながらやっていくわけなんやけど、一気に録音したものとみえて最後はやけっぱちみたいになってて実に楽しい。テープをプレゼントという企画もあって応募したけど、はずれた。ところが、その後もテープがほしいという要望が多数集まったんでもともとの録音と新たに録音したものを合わせてCDを作り、頒布することにしたわけだ。番組では最初1000枚だけプレスしたんやけど、申し込みが多く、追加追加で最終的には20000枚のプレスになったというからすごい。
 私は学校の授業用に2枚と自分用に1枚を申し込んだ。ところが、申し込んでから3週間たってもCDも届かんし振り込み用紙や申し込み用紙の一枚すら送ってこんやないですか。実は追加プレスに時間がかかって申し込みを受けてもすぐには発送でけへんかったらしい。
 新録音はオリジナルと比べるとより実用的になってるからさほど面白くないけど、やっぱりオリジナルはなんべんきいても面白い。ただ九九を言うだけでこないにスリリングで面白いというのはすごい。これは英美ちゃんの素人臭い天然ボケキャラクターに負うところ大なんやけど。その上おまけについてる「英美ちゃんの早口言葉」というのがこれまた壮絶。「坊主が上手に屏風に坊主の絵を描いた」というのはとちりまくり、何度も言い直してやっとこさ言えたかと思うと、「みんな、上手に言えたかな?」とくる。NGも何も関係あらへん。何度も録音してええのだけ使うというような発想でないのがええんや。
 なんと、このCD、レコード会社から声がかかって、全国発売が決まったらしい。関西ローカルのラジオ番組のアシスタントの九九のCDなんか全国に並んだからというて売れるかね、というように思うんやけど。
 で、全国発売が決まったということを道上アナウンサーが発表した時、英美ちゃんは真剣な口調でこう言うた。
「紅白に出られますかね」。
 そういう天然ボケのキャラクターなんである。CD店に並ぶのはもう少し先みたいやけど、このCDはもうお薦め。たかが九九と侮るなかれ、であります。

6月5日(土)

 大阪では目の不自由な人向けの信号は「とおりゃんせ」のメロディが流れる。ものによってはめちゃめちゃ音がひずんでて割れててかなわんのがある。だいたいなんで「とおりゃんせ」やねんな。通りなさい、という意味では間違うてはおらんのやろうけど、「行きはよいよい、帰りはこわい」なんちゅう横断歩道は渡りたないね。途中で引き返したいと思うてもなにか起こるかもしれんやないですか。
 ところが、今日、太子橋今市の交差点で信号待ちをしてたら、なんとメロディが変わってるやないですか。「故郷の空」が流れてる。「夕空晴れて秋風吹き」というスコットランド民謡ですな。もっとも、曲を聞いて私の頭に浮かんだ歌詞は「だーれかさんとだーれかさんが麦畑。ちゅっちゅちゅっちゅしている、いいじゃないか」というザ・ドリフターズの「誰かさんと誰かさん」やったけど。
 この選曲はなんやねんやろ。どう考えても「さあ交差点を渡ろう」というような歌やないぞ。「故郷にいる私の家族はいったいどうしているのであろうか」というようなことを考えながら渡ったら危ないぞ。「僕には恋人はいないがいつかはすてきな人とめぐりあいたいなあ」と言われても、配偶者や恋人のいる人には関係ない。
 もっとも、「とおりゃんせ」のもつなにかまがまがしい雰囲気は払拭されるから、私としては「故郷の空」の方がまだええなあとは思う。問題は、それを聞いた後、頭の中で加藤茶の歌声が鳴り響くことで、私はドリフよりもクレイジーキャッツの方が好きやからできれば「ゴマスリ行進曲」かなんか流してほしい。もう交差点を渡るのが楽しいて楽しいてしゃあないというようになること必定やね。
 そんなん思うの私だけですか。こりゃまた失礼いたしました。

6月6日(日)

 「S−Fマガジン」の書評、やっと送稿。
 いやあ今月は苦しかった。毎回苦しいのは苦しいんやけど、今月は特に苦しかった。だいたい今回は「チョンクオ風雲録」全16巻一気読みなどというアホなことをしたおかげで全体の読書量が少なかった上にとりあげようとしてた本が「それはOさんがとりあげる予定になってまして」てなことを編集長に言われたりMさんに「今まであんたがやってたシリーズやけど、今回は俺がやってええか」「やってもいいけどねえ、残しといてくれたら嬉しいんだよなあ」というような電話をしたりしてどんどんとりあげる本が削られていったから、目玉商品があらへんでほんまに困ってしまってもうなにがなにやら。
 心を入れ替えて明日からはもっと書評用の本をしっかり読みましょ時間まで。読みたい本はいっぱいあるけど本業をさぼるわけにはいかず、書評専業なんかできるわけもなく、経費はかかるしギャラは安いし。好きでないとやってられんよ、ほんまに。それやのに、ある作家の方のサイトで「書評家は寄生虫だサナダムシだ」というようなことを書かれたりしてるのを読むと「アホらしいて書評なんかやってられるかい」と思うたりするねえもう。

6月7日(月)

 TVやラジオや雑誌なんかで「あなたの青春の一曲は?」という使い古されてくたびれたような質問がいまだに繰り返されたりしますね。
 私の場合、即答できる歌が一曲ある。それは、矢野顕子の「ごはんができたよ」。
 この歌を初めて聴いたんは受験勉強をしている最中のことやったと思うけど、勉強なんか頭にはいらんぐらい、KO食らってしもうたね。高校の友だちが、あなたが稲妻のように私の心を引き裂くというような歌やとか、そこに行けばどんな夢もかなうというような場所を求める歌に夢中になってる時に、私はなんかしっくりこないで、意地悪なあなたがいつも坂の上から微笑みだけを繰り返す歌やら、誰も見たことない大きな森の小さなお家の歌にうつつを抜かしていた。
 そこにご飯ができたと母さんが叫びボールが見えなくなって父さんが帰ってくるという、あなたが好きやの私を愛してやのとはもう全然違う世界の歌詞が世にも不思議な歌声で耳に入ってきたんやで。義なるものの上にも不義なるものの上にもいい人の上にも悪い人の上にも静かに夜が来るんやからもうびっくり。
 ちょうどYMO全盛時代で、テクノポップは面白いと思い、ジューシィフルーツなんぞも好きでよく聴いてはいたんやけど、とにかくもう根源的に心を揺さぶる矢野顕子サウンドにいかれてしまいましてね。あなた、どんなものにも感動してしまうような高校生に、今日も寂しかってちょっぴり笑ったけどそれがなんになる、などという歌詞をてらいも何もなく明るく元気にきこえるサウンドで歌われた日には、もうこれKOされずにいられようか。
 これはもうアルバムを揃えねばなるまいと新聞雑誌の投書欄に、いかにも掲載されそうな投書をして小遣い稼ぎをし、送られてきた稿料で当時手に入る限りの矢野顕子のLPを買いまくったね。一番聴き込んだのが2枚組の「ごはんができたよ」。次いで「ただいま」。とどめに「愛がなくちゃね」。ここらへんはもう矢野顕子黄金時代という感じがする。
 時は過ぎ、社会人になってCD時代になると、今度はCDで再発売されたセットを買いましたよ。
 理屈もへったくれもない、やっぱり根源的なところに響いてくる。
 実は、今日夕飯時にCDを取り出して聴いてみたんだ。ああ、これこそが私の「青春の一曲」やと改めて感じたね。
 その次になにかあげろといわれると、ホルストの「惑星」かなあ。おっといきなりクラシックにいくか。

6月8日(火)

 最近コンビニの前を通るたびに「美しいカラーコピー」というポスターが目に入ってくるんで、おうそうか、コンビニにもカラーコピーが置かれる時代になったんかいなと思いつつ、いったい1枚いくらぐらいするんかいなと気にはなっていた。
 今日ちょいと野暮用で寄ったときに確認したら、1枚50円やねんなあ。えらい安いやないか。つい3、4年前に印刷屋で必要に迫られてカラーコピーをとったときには500円ぐらいかかった覚えがあるぞ。1割か。えらい安いやないか。
 コンビニに大量に機械を置くことでコストダウンがはかられてるんかな。
 そやけど、カラーコピーの利用者なんか、コンビニに置かなならんほどたくさんおるのかいね。デザイン関係の仕事をしてる人とかで自前のカラーコピー機のない人なんかは助かるかもしれへんけど。そう需要があるとは思われへんのやけどなあ。それともコンビニにカラーコピー機を置くことで新たな需要を掘り起こそうということなんかなあ。
 しかし安いなあ。これやったら私の画素の少ないデジカメで撮った写真を家でプリントアウトして教材に使うよりも、使い捨てカメラで撮った写真を同時プリント0円の写真屋で焼いてもらってコンビニでカラーコピーをとった方がきれいで手間も楽で金もかからんかもしれへんなあ。
 おお、確かにこうやって新たな需要が掘り起こされているではないか。恐るべしコンビニの威力。

6月9日(水)

 タイガースが首位に立った。
 わあーい、タイガース強いなあ、ばんざーいばんざーい、てな具合に無条件にはしゃがれへんのです。
 これは夢や、夢に違いない。そのうち、結局去年までと同じことになるんや、きっとそうやそうに違いないなどと思わずにはおられんのです。
 そう、去年やったら……ああ連敗ストップしたよかったよかった。今日も負けたけど、桑田から3点取ったからよかったよかった。1点も取られへんかったけど坪井は3安打打ったからよかったよかった。1安打完封されて10点取られたけど7回の無死満塁のピンチだけは0点に抑えたからよかったよかった……というようなささやかな喜びをかみしめてたんやから。
 はしゃぐまいはしゃぐまい。まだまだ4ヶ月もシーズンは残ってるんや。そやからこの先どんなことになってもかまわんように何事にも動じない心でおらなければ。
 てなことをつぶやいていると、横から妻に言われてしもうた。
「これやから阪神ファンは……」。
 えええん。好きでこないなったんと違うわい。みんな貧乏が悪いんや。
 おおそうや、明日は朝コンビニに寄って、首位になった記念にスポーツ新聞を全種類買いそろえねば。ただし、「スポーツ報知」だけは買わんぞ。ジャイアンツが勝ったのが1面にくるに決まっておるからな。何が嬉しゅうて「報知」をもうけささなあかんのや、ふん。
「これやから阪神ファンは……」。

6月10日(木)

 ズボンを3本いっぺんに買う。黒の綿パンばっかり。3本買うたら1割引ということで、最初は2本だけ買うつもりやったんやけど、1本増やした次第。
 なにも同じものを3本も買わんでもあれこれと取り合わせたらええんやないのといわれそうやけどね。これはまあ好みの問題。私は太ってはおらんけど年相応にぽってりしてきておりまして、白系統でまとめるとぼわっとふくらんで見えそうやから、黒系統の服を着るようにしている。それと、黒と決めといたらあれこれ悩まんでええ。めんどうくさい。だいたいごてごてと飾り立てるよりも黒一色の方がすっきりしててええと思いませんか。それは人によるか。
 妻に言わせると、私はおしゃれに関心はないけど、センスが悪いわけではないらしい。金や手間をおしゃれにつぎこむよりも本につぎこんでいるというところ。着るものを探すのに時間をかけてる間に本の10ページでも読んでいたいね。
 どうせ着飾ったところで土台がたいしたことないんやから、という気持ちもなくはない。背が高いわけでなし、足が長いわけでなし。出っ尻鳩胸の上におなかがぼこりんと出てしもうているわけですから。
 今まではいてた黒の綿パンはかなりくたびれてきた上にお尻のところが薄くなって破けてしもうたんで、とうとうお役ご免。あれもけっこう長い間はいてたぞ。今日買うたのもすり切れるまで何年も同じものばかりはくんやろうねえ。
 シャツは最近は妻が買うてきてくれるんで、それを着ることが多い。こちらもなるべく黒系統のものを買うてもらうようにしてるけれど、必ずしも黒ばかり買うてきてくれるわけやない。その時ちょうど安売りしてる色のものになるんであった。何色のシャツでも黒の綿パンやったらたいていは合うんで、結局黒の綿パンは手放せない、ということやね。
 しかし、自分のことながら、黒のポロシャツに黒の綿パン姿のヒゲを生やしたおっさんというのは、なんか怪しいというかいかがわしいなあ。


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