ぼやき日記


7月11日(日)

 昨日の日記で「買ってはいけない」について書いたけど、誤解を招きそうな部分もなくはないので、若干の補足をしておく。
 私は企業が自社の製品の有害性を隠したり、あるいは自社製品によって被害が出たときに責任をとらないというようなことについては、
反対する。「買ってはいけない」が、そうした企業の実態を知らない人たちにそのことを知らしめている、その点については意義があることだと思っている。それを踏まえた上で、世の中に無害なものはないのだということを自覚して生活しなければなるまいということであります。誤解なきよう。

 今日は親戚の法事で京都へ。妻とともに京阪電車の急行に乗る。最後尾の車両に乗り、座席に座っておしゃべりをしてると目の前に車掌さんがすっくと立った。そして、いきなりわれわれ二人の間に手をのばすやないですか。いったい何事ならんと思うと、車掌さんは窓にかかっていた日よけのブラインドをひきあげた。そうやってわれわれの座ってる並びのブラインドを次々と外していき、今度は向かい側の座席へ。そちらではブラインドをおろしてまわる。
 確かに、日の射してくるのは向かい側の座席やけれど、なにも運行中にわざわざせんなんことかね。この急行は8両編成やから、われわれが乗るまでに前の7両のブラインドをそうやっていちいちあげたりさげたりしてたんかな。
 まぶしかったら乗客は勝手にブラインドを操作するやろう。日が射してない側にブラインドをおろしていることがなにか不都合なのか、ようわからんな。そんなことをしている間に車両事故が起きたらどうするんやろう。車掌室に誰もいなくてもええのかな。
 乗客サービスというのとはちょっと違うように思うがなあ。単なるお節介のように思われなくもない。とにかくいきなり会話をしている夫婦の間に割り込んでまでせんならんこととは思えんぞ。
 突然前に立って夫婦の間に手をのばしてくる車掌さん。ちょっと恐かった。

7月12日(月)

 どうも夫婦もおっさんとおばはんになると、食事時の会話も妙に後ろ向きの会話になる。
 今日は子どものころの話。われわれはあまり裕福とは言い難い(赤貧というわけやなかったけど)生活水準やったので、自分の家にはないものを持っている友だちのお家に遊びに行った記憶というのがこびりついて残ってるらしい。
 男女を問わぬ富の象徴は「レゴ」のブロックやった。うちにあるブロックは「河田のダイヤブロック」。それだけで生活ランクが違うたね。男の子の場合は、「サンダーバード秘密基地」。女の子なら「リカちゃんハウス」。一式揃うてるか、パーツしか持ってないかではえら違いですわ。「プラレール」に「人生ゲーム」。一人っ子のくせに「人生ゲーム」なんか持ってる奴がおるんだ、これが。「なあ、ぼく『人生ゲーム』持ってるねん。遊びにおいで」てなことを言うわけであります。また悲しいことにそれにつられて遊びに行くわけやね。
 私かて「怪獣のソフビ人形」は持ってましたよ。おばあちゃんにねだって買うてもろうたの。ところがやね、持ってる奴というのはもう数が違うわけだ。ウルトラマンの怪獣は全部揃うてる、とかね。私は数限られた人形でばっかり遊んでるから、耳や角が取れてぼろぼろ。ようけ持ってる友だちはきれいなもんや。とっかえひっかえして遊べるのか、持ってるだけでそれで遊ぶことがなかったんか、そこらへんはわからん。
 そしたら私や妻は家では何をしていたか。
 本ばかり読んでたんである。
 小学校の学級文庫は全クラス制覇してたりする。図書室の本も片っ端から読む。石川啄木や北原白秋の伝記、名探偵ホームズに怪盗ルパン、クイーンの国名シリーズにウェルズの宇宙戦争、西遊記に八犬伝、ああ無情に厳窟王。脈絡もなくとりとめもない読書体験というのが幼少時にある。羨ましいことに、妻の学校の学級文庫にはナルニア国シリーズがあったんやて。ええもん、私はドリトル先生を(とびとびに)読んでたもんね。いやいや話がそれた。
 別段、金持ちの子を羨んだりしたわけやない。××ちゃんのお家にはあってぼくの家にはないのはなんでかなと思わんことはなかったけど、そういうもんやと思って育ったからね。
 そのおかげで本好きの人間に育ち、現在に至るわけやからね。
 ただ、おもちゃ屋に行って怪獣のソフビ人形を見つけたりすると全種類買いたいという衝動にかられてしまうのは、幼少時に埋められなかった欲望を今満たそうとしているのかもしれんけど。ふと我に返り、なんとも悲しくなってしまい、買いはしませんけど。

7月13日(火)

 京都の夏というたら祇園祭ですなあ。大阪に宿替をしてから、なかなか行く機会がなく寂しい思いをしてたんやけど、今年は願ってもないチャンスをいただいたんで、さっそく行く。
 妹たちが
平成女鉾の囃子方をしている関係で、函谷鉾の上に登れる券を用意してくれるというんですわ。妻といっしょに、夕刻、四条烏丸へ。
函谷鉾の勇姿
 これが函谷鉾であります。「かんこぼこ」と読む。鉾の由来は遠く中国は戦国時代、斉の将軍が函谷関を突破するのに鶏のときを作る声色のうまい部下が一番鶏の真似をして関所を開かせたという故事によるという。実はこの函谷鉾の方たちが平成女鉾の後押しをして下さっているということもあって、妹たちもちまき売りを手伝ったりしているという次第。私は鉾に登った経験はあるけど、妻は初めて。
 祇園祭の鉾には女性は登れない、というのは現在では長刀鉾だけの話。女性であろうと男性であろうとちまきや券を買えばたいていの鉾には乗せてくれる。また、ビルには鉾の引き幕などを展示してあってこれがまたみごとなもの。動く芸術品とはよういうたもんです。しっかり見学してからいよいよ鉾に乗り込む。
鉾への入り口
 ビルの2階から渡り板がさし渡してあり、そこを通ってご覧のような鉾の入り口に。釘を1本も使ってないということでぎしぎし音がするが、巡行の日にはこれが動くのですぞ。しかも囃子方はヘリのところに腰をかけるわけやから、よくまあ落ちんもんです。バランスをとりながら笛を吹いたり鐘を鳴らしたりするというような難しいことをわが妹たちはようやっているものよと関心。
鉾の上から道路を見る
 これが鉾の上から道路を見た写真であります。手前の提灯がどのような状態で下がっているかは
1枚目の写真を見てもらえばわかると思う。風もよく通り、気分はいい。
 このあと主要な鉾を見て歩き、また函谷鉾のところまで戻ってきたときに、お囃子が始まった。むろん鉾に登って奏楽しているのですよ。今四条通りから河原町通り周辺はテープで祇園囃子を鳴らしているけど生はええよぉ。
 私は学生時代にこの近くの百貨店でアルバイトをしてて、お中元のシーズンにはバイト学生が揃って宵山を楽しんだりしたもんです。そういうことを思い出したりした。いや、幼い頃に祖母に連れていってもらった宵山の記憶も蘇る。古本の夜店が出て古雑誌を買うてもろうたりあてもので一等賞をひいて小さな扇風機をもらったりしたことだ。
 私は今日だけしか行かれへんけど、妻は17日の巡行も見に行くそうだ。しかもお囃子の専門家である妹たちの案内付ですぞ。ええなあ。仕事を……休まれへんのやなあ、忙しい時期で。
 ともかく、何年かぶりに鉾に登り、お囃子をきき、厄除けのちまきを買うて、私は満足。
 そのほかにもあれこれ面白いものを見たりしたんやけど、それはまた明日以降に。

7月14日(水)

 昨日、京都で見かけた変なものを2題。

 これはずいぶん前から京都ではしょっちゅう見かけるものやけれど、京都に行く機会のない方にご紹介しとこうと思うて撮った写真であります。
 これはなにかというと、京都市バスの胴体に描かれた絵ですわ。胴体に絵の描かれたバスは多いけれど、これほどわけのわからんもんはあまり見ないね。妻が初めてこのバスを見たときに「さすがは京都、バスに式神が描いてある」と感心し、いまだにこのバスを見ると「わぁ、式神」というて喜んでいる。
 このキャラクターはいったいなんなんやろう。神社で大祓の祭事を行うときに使われる紙のお札を擬人化したもののようにも見えんことはないけど、そんなものを擬人化するかね。陰陽師が式を打つときに使うお札やと妻は見ているんやそうですが、そんなものをバスの胴体に描いてどうする。
 このバスはほんまにもうずいぶん昔から京都の町を走ってるんやけど、京都市交通局に「あのキャラクターはなんですか」というような問い合わせは来んのやろか。心臓がくっきりと描かれているところも変や。これの正体をご存知の方はいらっしゃいませんか。
入るな!
 この雀(?)はいったいなんのためにここにとまっているのか。この立入禁止のマークがついている柵はなんなのかというと、非常用の消火栓を囲っている柵なんですな。消火栓のまわりに自転車なんかが停められんようにしてあるのやろ。
 それにしても、なんで雀なんかがようわからん。もしかしたら鳩あたりがやってきてすみかにされたらたまらんというので、止まり木にしにくいようにこんなものをひっつけてるんかもしれん。なにも雀でなかってもええように思うけどなあ。こんなもんをほんまもんの鳥と間違う鳩がいるとは思われへんし。
 ただの柵では味気ないので装飾としてつけたとしても、なんで等間隔に雀をくっつける必要がある? 事情をご存知の方は教えて下さいな。
 これは比較的新しいものなんで、私も初めて見た。見つけたのは妻。妻は京都の四条通を歩くのは久しぶりとあって、目新しいものを見つけるとは喜んで立ち止まる。祇園祭に行ったのに路上観察に行ったみたいやね。また京都というのは、路上観察の種の尽きん町ですわ。こんなもんを喜んでみる夫婦、しかも旦那はカメラで写真を撮ってる。端から見たらけったいなことやったでしょうなあ。

7月15日(木)

 TVのコマーシャルで見た「テレビマガジン」の付録、「ウルトラマンガイアなりきりセット」なるものが無性に欲しくなり、つい買ってしまう。「なりきりセット」というても単にガイアとアグルのお面にカラータイマーの部分の前掛けがついているというだけのものを中年のおっさんが欲しがるというのは世間一般から見れば非常に怪しいという気がするが、この年になると「テレビマガジン」を買うても子どもへの土産に見えると思う。年をとって得することもあるもんですなあ、わはは。
 で、買うてきたんはええんやけど、その付録を組み立てるのがなんやもったいない気がしてまだ手つかずのまま。なんのために買うたんやら。幼い頃に満たされなんだ物欲を満たすため、かな。
 本誌を見ると、怪獣の体内を図解したページがあったりするのは伝統を守っててよろしいな。とはいえ、大伴昌司編の「怪獣図鑑」とは比べうるべくもない。絵の丁寧さ、解説の細かさ、うさんくさいまでのもっともらしさ、どれをとっても昔の怪獣図解の方が上やと思うね。あのこれでもかこれでもかというほどのしつこさというものが、現在の怪獣図解にはないなあ。
 さて、「なりきりセット」はどうしようか。どうせSFのイベントに持っていったとしても話題は「スターウォーズ」中心でガイアとアグルのお面なんぞ受けへんやろうしなあ。衝動買いというものは、そういうものだ。

7月16日(金)

 昨日、仕事で(中略)の時、左足の親指を扉につめてしまい(中略)仕事の帰りに医者に寄る。X線写真では骨折はみとめられんかったけど、医者がいうには「爪のところがこれだけ内出血してるということは、折れてるかわからんな」。そういいながら、親指をむんずとつかむ。「痛いか」。痛い痛い。今度は左右から挟みつけるようにつかむ。痛い痛い痛い。
「その痛がりようでは、たぶんどこか折れてるな」。
 というわけで、痛み止めと炎症止めと湿布薬とその上に胃薬まで処方してもらう。
 なんで(中略)やねん。ほんまに(中略)やで。
 今朝、起きたら、痛いだけやない。昨日の(中略)なわけで体がだるい。一日休む。
 足に負荷をかけてはいかんと一日寝転がってたが、薬がよう効いて寝られる寝られる。本も読まずひたすら寝る。
 よって、昨日の愚痴しか書くことがない。大量に愚痴を読まされて、ここを読んでる方たちはさぞうんざりしたことでしょう。すまんすまん。

7月17日(土)

 足の指の痛みはほとんどひいた。明日のたちよみの会にはぶじ出られる。よかったよかった。ご用とお急ぎでない方は、のぞいてみて下さい。

 夜の10時半にもなってえんえんと調子っぱずれの河内音頭を聞かされる身になってみろ。盆踊りの季節になると、そこの公民館、あそこの小学校とそこらじゅうで夕方から夜遅くまでやっておるのだ。スピーカーの音が割れるくらいがんがんでかい音でやるんです。蒸し暑いから窓を開けていると否も応もなく聞こえてくるわけだ。これは無形の暴力やないかと思う。
 そらあんた、新婚当初妻と甘い語らいをしようにも「はあーあああんあー、さあてえもこのおばあのみいなあさああまあがあたああにいいー、えんやこらせえのどっこいせえ、びろろんびろろんじゃんじゃんびろろん」とわけのわからん音頭取りにびんびん響くエレキの音が襲いかかってくるわけですわ。腹立ちまっせ。
 だいたいここらの人たちは夜遅くまで騒いでも平気である。以前も深夜に馬鹿笑いをするおばはんのことを書いたけれど、それだけやないねんで。さあねましょ、うとうとうと、「あんだらあなんしてけつかんねんじゃからっしいい」、酔っぱらってケンカをするな、やかましいとはこちらが言いたいわい。やっと静かになった、うつうつうつ、「ききーっがっしゃあーん、ぴーぽーぴーぽー、なんじやおまえはどっちみとんねん、ばりばりばりぶるるーばりばり、うーうーうーそこのたんしゃとまりなさい」、事故やなんか、昼のうちにすまさんかい。「どんどんどん、わしやわしやあけろおお」、あんたなんか知らん、自分の家の戸を叩け。
 まあ、夜の訪問者は一回だけやった。事故やケンカは時間が短い。しかし、河内音頭は3時間以上もやっておるのだ。いくら季節限定というてもなんとかならんものか。

7月18日(日)

 今日はたちよみの会細井威男さんかつきよしひろさん京大SF研岡田さんと田中さん、亀井さん、そして漫画家のおがわさとしくんに私と妻の8人が集まる盛会。
 おがわくんが「スターウォーズ ファントム・メナス」を見に行ったそうなんやけど、他のものは一人として行っていない。ネタをばらしちゃいかんと遠慮するおがわくんに「かまわんかまわん。どうせそんな複雑な話やないんやろ。それに、主人公はおっさんになったらはげを隠すために鉄兜をかぶって『ふごーふごー』いうけったいなんになるのはわかってるんやから」などというて、見てもいない映画について論評を加える。
「結局、エピソード3までかけて銀河皇帝が勝つって結果は分かってるんだよね」。「エピソード4に直接続くところまで描くんじゃないですか」。「まさか、レイア姫は出ないでしょ」。「そこそこ。キャリー・フィッシャーを引っぱり出してきてね、特殊メイクでしわを隠す。アレック・ギネスはエピソード4よりも老けて出てくる」。「そこは名優、演技力でカバーする」。「ハン・ソロも出てくるんじゃないですか。確か宇宙軍を退役したはずですよ、彼は」。なんのことはない、作られてもいない映画の予想をしている。
「『となりの山田くん』は閑古鳥らしいね」。「ほんとにディズニーは全米公開するのかなあ」。「それが全米で『ファントム・メナス』をしのぐ大ヒットになるんや」。「凱旋再公開で、たちまち大ヒットする!」。違う映画の話になっておるではないか。
 おがわくんによると、SF映画の最高傑作はソ連製の「不思議惑星キンザザ」やそうです。「『ストーカー』も『ソラリス』も目じゃないんだよ。これを見たら、SF映画の50%を見たに等しい」。「そんな傑作ですか、その『ギンギラ』は」。「『キンザザ』だよ」。「『TSUTAYA』に置いてあるかなあ、その『ギラギラ』」。「『キンザザ』だってば。うーん、普通のレンタルビデオの店にはないなあ、京都では一軒しか見たことないなあ」。「わざわざその『キンババ』を借りて返すために京都まで行くのはしんどいで」。「だから『キンザザ』だって。それだけの値打ちはあるね、うん」。
 おがわくんの鑑識眼は信頼できるものであるので、一度その映画は見なければなるまい。どこかに置いてないだろうか「不思議惑星キンザザ」。

7月19日(月)

 本日は終業式。1学期がなんとか終わった。家に帰ったら速攻で昼寝。緊張の糸が切れる音が聞こえた。ぶちっ。

 昨日、妻が「たれぱんだ」の絵本を買う。私も見せてもらったが、作者は非常にいいギャグセンスを持ってるね。特にストーリーはない。ただただ「たれぱんだ」の設定みたいなもんを書いているだけやねんけど、それがうまい。
 この前TVを見てたら、なんでも東京方面では「たれぱんだ」は「癒し」系のアイテムとして受けてるんやそうな。高校生の女の子が「癒されるう」てなことを言うわけですな。私は別に「たれぱんだ」では癒されんぞ。ただ「おもろいこと考えるなあ」と思うだけ。気持ちがすさんできたら「たれぱんだ」よりも「ダイラケ」の漫才のビデオを見た方が癒される。
 CD屋に行ったら「ヒーリング・ミュージック」とかいうて久石譲やの「アダージョ・カラヤン」やのとCDが並んでるけど、あれ聞いて「ああ、気持ちいい」とか思わんね。きれいやなあとは思うけど。α波が出るとかいうらしいけど、物の本によるとCDは上下の周波数をカットしてるんでα波は出ないらしい。聴いてる本人が「おお、今私の脳内はα波で満たされている!」と思いこむ分には害はないと思うけどね。
 「たれぱんだ」が「癒し」というのは、単に語彙が減っておるだけやないかね。私の若い頃やと「かわゆいー」と言うておったのが、「癒されるう」に変わっただけやないかというのが私見であります。「癒されるう」というと「かわゆいー」というより高級な感じがする(と思いこむ)というだけのことやないかと。
 「たれぱんだ」は「ようこんなアホなこと考えよるなあ」と感心して笑うといたらよろし。ほんまに心を癒したいときはおなかいっぱい食べてたっぷり寝ること。それが一番。

7月20日(火)

 朝刊のチラシに混じって、スクラッチカードが2枚はさまってた。近所のスーパーマーケットが大売り出しをする、そのためのプレゼントの抽選券らしい。
 スクラッチカードというのか銀はがしというのか、それ自体は昔からあったけど、印刷代が安くなったんでしょうかな、最近はそこらじゅうでもらうようになったなあ。この前CD屋でもろたのは「ハズレ」「¥200 OFF」「缶バッジ」なんかが隠されてた。割り引きは嬉しいけど、バッジの当たり券が3枚もある。そんなようけバッジはいらんぞ。若い子みたいに鞄にバッジをいっぱいくっつけて歩く趣味はないしなあ。その当たり券はゴミ箱行き。
 さて、今朝のチラシのスクラッチカードは、1等〜3等までは携帯電話(最新超人気機種やて。ほんまか?)が当たるというもの。それにその店だけで使える商品券がついてくる。1等〜3等の差は商品券の値段となってる。
 妻は銀をはがす前から「2枚とも1等」と予言しておったけれど、案の定というかなんというか、予言は的中。「どうせ1等以外は印刷してないんやて」と手厳しい。まあ、何等であっても、携帯電話は当たるわけで、そんなに携帯電話ばっかりもろてもしゃあない。だいたいそんなにようけ電話を用意してるんかと思うたら、小さい字で「限定100名様」と書いてある。まあそんなもんです。
 これもゴミ箱直行かと思われたが、携帯電話はもらわんでも商品券だけはもらわんと損やから、まだ置いてある。なんやったら「契約しないでいいから、電話の機械だけくれませんか」いうて2台携帯電話をもろて、SF関係のイベントに持っていって、ビニールテープを顔に巻き付けてこの電話を顔の横につけ「警告あります」とかいいながらうろつく「偏執の芳香」ごっこというのをやって遊ぶというのはどうかな。あまりしょうもないことをして人格を疑われてはいかんな。
 しかし、スクラッチカードに携帯電話と今はやりのものを揃えれば客が喜ぶと思うところがいかにも「近所のスーパー」らしい安っぽさでありますね。携帯電話なんか契約したらマージンが入ってくるんやからちっともサービスやないと思うぞ。「有馬温泉1泊2日」の方がよっぽど嬉しいね。


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