ぼやき日記


9月11日(土)

 今日は「日本芸能再発見の会」
 例会が終わったあと、事務局長の仲先生に声をかけてもらい、打ち上げに参加する。目の前に新野新さんや旭堂小南陵さんがいてはって、親しげに話をしてくれはるなどという事態は全く予測せずに行ったんで、なんかだまされてるんと違うかと思いましたよ。
 「いや、松鶴が楽屋でね……」「かしまし娘は……」てなぐあいにぽんぽんとそこでしか聞かれへんような楽屋話が飛び出し、芸談に聞き入り……。ただ単に芸能が好きだというだけである私がこんなところにいててええんやろうかと、これはもう真剣に感じたね。
 そうやって、親しげに話をしてもろたからというて、勘違いしたらあかんで。私はあくまでいろんな芸について聞かせてもらうだけの人間なんやで。そう自分に言い聞かせながら、酒を飲む。そうせんと、生来いちびりで嬉しがりの私やから、舞い上がってとんでもないことを言うてしまいそうやもん。
 新野さんが私に言うてくれたことで、心に刻むべきことがひとつ。「あまりマニアックになったらあかんで」。視野を広くもて、好きなものだけでなく新しいものにも興味を示せということやと思う。もともとオタク気質の私だけに、これもまた肝に銘じておかなならんことやと思う。
 しかし、ほんまにあの席に私がいててよかったんやろうか。いまだに信じられへんのですよ。

9月12日(日)

 別世界に行って帰ってくると、頭を切り換えるのに難渋する。例えば、SFコンベンションに行きますな。そこには濃い濃い人たちがいっぱい集まってる。私はそこでは自分が教師であることはもう完全に忘れてて、書評書きであるところの、その場では多少は名前を知ってもらっている「喜多哲士」であるのです。で、翌日からは学校に出勤して「喜多先生」に戻るわけだ。
 さすがに出勤したら頭の中は通常の仕事ができるようになっておる。そやけど、出勤するまでが大変。まだSFなんかで頭がいっぱいなわけです。仕事に行きたくなくなる。仕事がきついとかえらいとか、そういうレベルの問題やない。自分の仕事が教師であるという意識になってない。
 昨日、やっぱり別世界の人と話をした。好きなものが集まって、というレベルやない。その道の第一線におる人と酒を酌み交わしたりしてる。この場合は、私は単なる一演芸ファンで、たまたま同席させてもろたという意識があるからまだ日常生活に戻ることはたやすいけどね。
 というわけで、今日が休みでよかったよ。1日かけて日常の世界に戻ることができるんやからね。
 もっとも、いろんな世界に行って、その世界でいろんな自分を楽しむことができるというのは、すごい贅沢なことかもしれへんね。ただ遊びに行って帰ってくるというのとは違う。気分転換という域を超えてる。そういう意味では恵まれてるかもしれへん。
 とはいえ、別世界から帰ってきたら、やっぱり通常モードに戻るのを自分の意識がすごく抵抗してるのがわかる。そっちの方が自分が生きてるという感じがするときがあるからね。もちろん、教師という仕事は好きで、やめる気は毛頭ない。こんなおもろい仕事は他にないとも思う。そこがまた難しいところで。
 そやけど明日から仕事がまた始まるんやなあ。あはは、やっぱりしんどいわ。

9月13日(月)

 あはは、やっぱりしんどかったわ。
 ああ、別世界に戻りたい。
 というわけにはいかんのが辛いところ。

 これだけでは愛想がないので、別な話題。
 昨日、掲示板に在宅でもうかる仕事の宣伝を書きこんでおるやつがいたんで、即刻削除した。そこにも書いたけど、直メールで一攫千金のチャンスがあるとかいうのがちょくちょくくる。そんなに私は物欲しそうにしているかのう。金がいらんということはないけど、金を手に入れる手段は選びたい。
 今日もそういうメールがきていた。どうせ私一人に送ってるのやないやろうから、ここで公開して突っこんだろう。
   
突然のメール大変失礼します。このメールはビジネス関係の掲示板で拝見
   した方や、過去に情報を頂いた方に配信しています。

 私、ビジネス関係の掲示板を開いてもいないし書き込んだこともないし、この相手に情報を流した憶えもない。
   
今からご紹介する情報は、全世界の全人類をターゲットにした、大変グロ
   ーバルなビジネス情報です。地球上のどこに住んでいようと一切関係なく、
   全ての人々に成功へのパスポートが用意されます。

 インターネット自体が全世界の全人類に発信したグローバルなものやないですか。わざわざこういうことを書くとは、私のことをよほどものを知らん人間と馬鹿にしておるな。けしからん。
   
既に欧米をはじめ海外では大爆発しており、日本でもこれを契機に飛躍的
   に盛り上がると予想されます。億万長者が続々誕生しているところです。
   皆様は、大変幸運なことに他の方に先駆けて、この素晴らしいビジネス情
   報を得たわけです。

 そんなええ話やったら、マスコミがほっておかん。大爆発とはなんぞや。億万長者の基準はなにか。幸運やと。いったい何人にこのメールを送っておるのか。他の方とは誰や。具体例を示せ。
   
報酬プランは、投資額の$100が、僅か90日足らずで、$748,9
   60(約9千万円)に膨れ上がる誠に画期的かつダイナミックです。商材
   も、よく見かけるMLMのように、健食や化粧品等ありふれたものではな
   く、5種類の特殊情報(ファイナンシャルレポート)です。これらの特殊
   情報は、普段皆様が就かれているお仕事やまた日常生活にもきっと役立つ
   ことでしょう。

 どういう計算でそのように金が増えるのか、これではわからん。その金は風が吹いたらふくれるんか。5種類の特殊情報というが、特殊な情報がなんで日常生活に役に立つ。日常とは違うから特殊なんやないの。
   
リスクは僅か$100だけ。人脈も、資金も要りません。成功への鍵は始
   めるか、否かだけです。
   このグローバルビジネスプランでもって、世界戦略と行こうではありませ
   んか!
   ご参加、ご健闘をお祈りします。

 その$100のことを資金というんやないかなあ。MLMということはメールを送る相手やらメールアドレスという情報をもってないとあかんように思うが、それは人脈とはいわんのか。矛盾しておるぞ。ご健闘をお祈りするのはわかるが、ご参加は普通祈らんぞ。
 いやしかし、日本語の文法もむちゃくちゃ。この程度の知能しかない人間から保証される成功なんぞいかにもあてにならんと、まともな読解力のある人間なら思うのと違うかね。
 これでもひっかかる人がいるんかなあ。いるんやろうなあ。いるからこの手のメールがあとをたたんのやろうなあ。1週間に1度はこういうメールかアダルトサイトの宣伝メールがくるんやで。もうええかげんにほしいと、私は断固主張するものであります。

9月14日(火)

 今日は蒸し暑かったですねえ。雨が降ったら涼しなると思うやないですか。それがかえって蒸すんやから、まだ秋はきまへんな。
 今日は朝イチの授業は運動会の全校練習。ほんまやったら運動場でやるところが、雨やというんで体育館に。一足踏み入れただけで汗が吹き出る。サウナみたいなところに金出していく必要ないぞ。入ってじっとしてるわけやないからね。最近はやってるらしい曲に合わせてかなりきつい体操をしたあとで、オリジナルの「わかば音頭」というのに合わせてまた踊る。
 昼の給食はカレーライスですわ。カレーというのはスパイスのせいで発汗作用がある。飯を食う段になってまだ汗をかかすか。汗だくになって昼食をとり、午後からは高等部の運動会練習。雨がやんで晴れてきたんで運動場でする予定が、突如大雨。また体育館だ。ここでは私の好きでないマスゲームの練習。生徒といっしょになって踊らんならん。普通課程の学校やったら、教師は「そこしっかり動いて」と声でもかけてたら事足りるわけやけど、養護学校ではそういうわけにいかん。教師の動きを見て生徒が動く。服はどぼどぼ。着替えをもっていっててよかったよ。
 サウナの中で全身運動をするような一日が終わり、帰宅。夕食に出てきたのは海老のチリソース煮。なにもこういう日にそういう汗がだくだく出るようなメニューでなかってもええやないか。今日は暗剣殺かいな、ほんまに。
 妻によると最初はブタのゆでたのに梅肉のソースをかけたあっさりしたものにするつもりやったんやて。そやのに、料理の本を開けたらチリソース煮の写真が目に飛びこんできて、気が変わったらしい。なんでそこで気が変わる。
 妻によると、今日の私は「そういう運になってるの」やそうで、私がそういう運を連れて帰ったために突如ゆでブタ梅肉ソースがけが海老チリソースになったんやて。「なんで塩をまいてから家に入らへんのん」。
 知るかいな、そんなこと。

9月15日(水)

 午後、ラジオ大阪の「桂九雀のじゃーなる」という番組を聞く。特集で「日本のノストラダムス安倍晴明」というのをやると新聞のラジオ欄で見たのだ。こういうなにか勘違いをしたタイトルやとたいしたことを言わんのではないかと危惧されるところもあるんやけど、ゲストが旭堂小南陵さんというので、大丈夫やろう。
 実際、ホストの桂九雀さんは陰陽道のことも晴明のこともほとんど知らんと自分で言うし、説明も「『陰陽師』というのは、占いなんかをやる……」てな具合である。そこは小南陵さん、実に丁寧でわかりやすい説明。誰が聞いても安倍晴明についての基礎知識が身につくというような内容でありました。
 今でも陰陽師はいるのかと言われ、「高知県の物部村に『いざなぎ流』というのが残ってるというのを知ったんです。大学時代の友だちがそこの出身やったことを思い出して連絡を取ったら、なんとその家系やった」というエピソードを披露。学生時代はそんなこと一言も聞いたことがなかったという。知らんだけで実は身近にそんな人がいてるかもしれん。
 10月2日に「ワッハ上方」で独演会をしはるそうやけど、お題は「晴明蘇生」。いっぺん死んだ晴明が生き返るという晩年のエピソードやそうで、ちゃんと現役の陰陽師の人に復元してもろた呪文を採り入れたりするという。おもしろそうや。「僕だけではお客が入らんので、
夢枕獏さんと小松和彦さんをゲストに呼んで鼎談をしたり、晴明の友だちの源博雅が作曲した曲を雅楽の笛方の人が演奏したりするんです」。
 これは行かねば、とさっそく「チケットぴあ」で前売り券を買う。今はもうコンビニに行けばそこから「チケットぴあ」につながっててほんまに近所ですぐに券がとれるんでありがたい。面倒なんは「ファミリーマート」の端末には検索機能がついてないんで、前もって入力せんならんコードを調べとかなならんということくらい。もっとも「ぴあ」は雑誌のコーナーにおいてあったから、立ち読みで調べられる。そこらへんがコンビニの便利なところ。
 前から小南陵さんの「安倍晴明伝」はききに行きたかったし、そこへ夢枕獏さんやら小松和彦さんやら豪華ゲスト。これで前売り2000円は安い。今から楽しみやね。

9月16日(木)

 つまりなんやね、人間体力が尽きると、頭は働かんしやね、気力ももたんとこういうわけやね。今年度最後のプール授業があって、よせばいいのに雨が降ってきてもあがらんと入っておって、ただでさえ体力を消耗するのに身体が冷えて、くしゃみは出る鼻水は出るよだれは出る小便は出る。
 あのねえ、私は今月はようけ本を読まなならんの。家に帰ったらへろへろで本を開いて字面を追うても中身が頭にはいらんのよ。ぼーっと読んでて意味のわからん文にあたって、あわてて前のページを見返して、やっと意味がつながって、しばらく読んでたらまた意味がわからんようになって、またあわてて前のページを見返して、ああそういう意味やったんか、そやけどもう読むのしんどいわい、やめじゃやめじゃ。一冊の本に何日かかってるんや。こんなことで今月末と来月頭にたてつづけにくる締切に間に合うんかいな。
 と、ここまで書いたところで、心臓が止まりそうなことが我が身に降りかかった。
 肩のところをごそごそと黒いものが動くので、なんやろうと見たら、
油虫がいるやないですか。黒光りする触角を振り振り腕から肩へ、そして今まさに首筋へ登らんとしているやないか。大声を出しましたよ。全身を振るわせて振り落としましたよ。私の声にびっくりした妻に殺虫剤をもってきてもろて、思い切り吹きつけたね。逃げる油虫に対して、今度は妻に殺虫剤を渡して、腹を上にしてもがくまでかけてもろうたぞ。
 いやほんま、肩にいるのが油虫、あ、ゴキブリの方がわかりやすかったか、まあええわ。とにかくあれが私の身体を這いまわっておるのですぞ。ああ気持ち悪い。おそらく今後ホラー小説で油虫が大量に床を這いまわってるとかいうような描写を読んだら、今日の記憶が蘇り、卒倒するに違いない。油虫にたかられたのなんか、生まれて初めてや。
 ああ疲れた。心身ともに疲れた。早いとこ風呂に入って便所に行って歯磨きして寝よ。

9月17日(金)

 私の身体は運動場で炎天下に長時間さらされるようにはでけてへんのですよ。
 焼けつくか熔けるか蒸発するかどないなるかしらんと思うたね。ほんでもって、午前中はあれだけかんかん照りやったのに、帰りはざざぶりの大雨やて。逆に身体が冷えてしもてなんやねんほんまに。昨日に続いて体はへろへろ。
 おまけにタイガースはボロ負けでこれで落ち着いて本を読めという方が無理じゃ。おまけにそこらじゅう蚊に食われる。今は8月か。うおおお。

 これでは愛想がないので、気分を変えて別の話題。
 朝、ラジオを聞いてると、アシスタントのお嬢さんが「
ファン」のことを「フアン」と発音してた。これは若い人には珍しいなあ。「ファ・フィ・フェ・フォ」みたいなもともと日本の発音になかった(というより、消えてしまった)拗音を、年輩の方が直音で言うというのはよくあることで、うちの母は「ディナー」という発音をどうしても「デイナー」としかよう言わんし、小学校の時の担任の先生が「フィリピン」と言わずに「フイリッピン」と言うていたのもそれやろう。
 それどころか、戦前、戦時中の公式文書かて「
フィリピン」と書いてなかって「フイリピン」とある。もっとも、これは当時の表記が拗音も促音も文字を小さく書かないものやったことからきてるんかもしれん。今でも丸谷才一はそうしてゐるよね。外国式の拗音を発音する習慣のなかった人たちが表記のまま直音で覚えてしもたというのは、ありそうなことではあるね。
 架空戦記では軍人さんも民間人さんもみんな「
フイリッピン」とは言うてないけど、これは書き手がお年寄りと話をしたことがないのか、知っててわざと書いてないのかどっちやろう。
 ともかく、今でも若い女性で「
フアン」という人がいるというのは、驚きやった。もっとも、私が子どものころ、本に書いてあるとおりに「ファン」と言うたら、親に「それは『フアン』て言うんや」と訂正された記憶がある。彼女もそうやって親に教えられて染みついて離れんというようなことがあるのかもしれん。そうやって言葉というのは受け継がれていくものなんやなあ。たとえ間違うてても、そうやって伝えられるような言葉に対しては、私はあまりその誤りというようなものを指摘してぎゃあぎゃあ言いたないというように思う。

9月18日(土)

 「Cobalt 10月号」を買う。目当ては田中啓文さんの小説とエッセイ。妻が言うには「私でもこの年になったら『Cobalt』をレジにはよう持っていかれへんわぁ」というほど恥ずかしいことらしい。なに言うてますねん。私は毎月「コバルト文庫」「X文庫」「パレット文庫」「キャンバス文庫」なんかをいっぺんに何冊も持ってしょっちゅうレジにいってますねんで。慣れたらどういうこともない。「S−Fマガジン」の書評を始めた頃は、さすがに照れくさかったけど、もうまる6年もなると、気にしてられへんもんね。
 せっかく買うてるんやから、楽しまんといかん。つっこみがいがあるのは「星占い」でしたね。担当は小泉茉莉花さんという方。
 例えば「獅子座」には「
勉強面は苦手科目をやらずにいるうちにますますわからなくなってしまいがち。毎日少しずつやっていればある日突然進歩はやってくるはず」とある。それから「乙女座」。「勉強面は復習を重点的に。わかっているところも何度もやっておくと大人になっても忘れないくらいバッチリ頭に入ります」。
 いや別に、獅子座やとか乙女座やのうてもいえませんか、そんなこと。今月に限ったことやないと思うんやけど。こういうことを教師が言うても、まあ聞いてくれへんよ。占いやったら聞くんかなあ。全体に運勢というよりは生活アドバイスという感じの文章が並んでる。今、占いにはそういうものが求められてるのか。
 占いというと「青いものを身につけていると吉」とか「吉方は北東」とかいったい何でそれを断言できるかというような一見根拠もなにもないように見えるようなことが書いてあるのやないんですか。要は、迷っているときに踏ん切りをつけるきっかけになるようなことが書かれてるもんやとばっかり思うてた。
 まあ、歌にしろ小説にしろ、若者向けのものにここ数年やけに説教臭い傾向があることは確かやけどね。占いにも説教をいれる時代ですか。占い師の方も大変ですなあ。
 私が高校生やったら、こういう占いを読んだら「そんなことはわかってるわい。わかっててもでけへんから苦労してるのやないか」と激怒しそう。こういう占いを読んで、素直に苦手科目に精を出したり復習に力を入れたりする読者というのもいるのかなあ。それはそれで気持ち悪いなあ。

 明日は「たちよみの会」。なんと創設10周年ということで、記念の宴会をする予定。だから、たぶん更新はできないと思います。次回更新は月曜の深夜の予定です。

9月20日(月)

 二、三日前から右の足首が痛かった。ここんとこ、運動場やら体育館でずっと立ってる仕事が多かったから、疲れが出たんかなと思うてた。
 で、きのうは「たちよみの会」の宴会。午後5時に居酒屋に入って、出たのは9時半。えらい長いこと同じところにいたもんです。飲んで笑うてわあわあいうて。おがわくんは霞を喰うて生きてるんかいな、あの霞って天ぷらにして食べるとうまいんだよね、あそれおいしそう。というようなアホなことをいうておったわけであります。
 店を出ると、痛みがぴたりと治まってる。店にはいる前、私、足をひょこたんひょこたんと引きずったりしてたんやで。
 この痛み、ストレスからくるものやったんかいなあと思う。
 ストレスがたまると、私の場合は体の中で一番弱いところにくるんですな。胃が痛む、ということはない。まだ採用試験を通る前、毎年違う学校を講師で転々としてたころ、4月の後半になるとどこかが傷んだもんです。虫歯やとかね。右足首が痛んだ時もある。
 なんで右足首かというと、これは学生時代に骨折したところなんであります。いまだに梅雨時は重く感じたりするくらいやね。
 で、そういう時に飲みに行って騒いだりすると、その痛みがすっと嘘のようにひいた。今回もそれと同じ。正直、仕事の上できついことがあったり、ようけ本を読まなならんのにその疲れが尾を引いて家でだらだらしてしもうてこれではいかんといらいらしたり。
 それが知らん間にストレスになって足にきたんかな。
 でももう大丈夫。昨日飲んで騒いでストレス解消したからね。
 と思うたら、今度は左足親指の付け根が痛み始めた。例の爪をはがした指であります。まあ、しばらくはストレスがたまりやすい状況かもしれんな。
 そやのに今日、「S−Fマガジン」の編集長より電話があり、あの本とこの本はもう読まれましたかなんていうんです。まだ読んどらん。どうもその本の書評をしてほしいみたいや。ああああ、またまた読まんならん本が増える。足の指がよけいに痛むわい。


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