ぼやき日記


10月1日(金)

 茨城県では青い光でてんやわんや。これまで福井県の原発で細かな事故が起こるたびに私なんかいつもひやひやしてたのに政府の動きは実に鈍かった。
 今回の核燃料工場の事故は、その管理のずさんさと結果の大きさでこれまでの原発事故をかなり上回るものになったわけやけど、この事故が関東で起きたということで政府の対応もかなり変わってくるのと違うかな。
 大震災の時も感じたことやけど、西日本で大きな災害があっても、どうにも政府の対応やらマスコミの扱いは対岸の火事という気がしてならんかった。東京中心でものを見ると、そうなるわな。その点でいうと、今回は足下から烈火が噴き出してきたわけやから、これはきっとかつてない大騒ぎになると見るね。
 被害者への補償なんかも大震災とは比べもんにならんのと違うかな。自分に直接かかってくるという意識が強くなるやろうからね。
 関西人である私は、そしたらこれを対岸の火事と見るかというと、これはもうとんでもない話で、福井にひしめき合う原発に加え、大阪にも同じ会社の工場があるから、いつ何時こちらの身に降りかかってくるかわからん。恐い。ほんまに恐い。防ぐ方法が我々にはない。そやからよけい恐い。部屋を鉛で囲み外へ出んというようなことはでけへんもんな。
 ところで、新聞の見出しの「被ばく」という表記はなんとかならんのか。「被曝」とちゃんと書かんと意味が通らんぞ。今に始まったことやないけど、常用漢字の縛りなんかなくしてしまいなさいよ。

 時事ネタを扱うとはえらい余裕があるやないか。原稿が進んでないとはとても思われへん。明日は「安倍晴明伝」を聞きに行き、その帰りに飲み会に合流する予定。原稿が進んでないとはとても思われへん。この余裕はどこからくる。
 で、次回更新は日曜深夜の予定です。

10月3日(日)

 なんとか原稿を1本書いて送稿。こちらは初めて書く雑誌なので、締切はきっちりと守りたい。そしたらなんやね、もう一つの原稿は間にあわんでもええんかというと、そういうわけやないんやけどね。何年も書いてるとデッドラインなんかもわかってきたりして……こういう悪擦れしていくのはいかんなぁ。

 昨日、10月2日はなかなか忙しかった。午前中は学校のお仕事。午後からは旭堂小南陵独演会。夜は高井信さんと新井素子さんの創作講座を聞きに行ってそのあと飲み会。
 小南陵さんの「安倍晴明伝・蘇生の巻」は実に面白かった。呪術の文句なんていうのは、活字ではいろんな小説で読んでるけど、目の前で印を切ってやってるのを見ると、これはもう迫力があってよろしいです。私の前の席にはいかにも「晴明ファン」という感じの若い女性が座ってたりする。もうかぶりつきで聞いてるわけやね。
 休憩時間に
菊池誠さんとばったり。大倉貴之さんや夢枕獏ファンクラブの方たちもまじえて話をしていたら、なんと夢枕獏さんご本人が登場。夜の創作講座の話をしたら、えらく興味を示さはりまして「それは何時までやってるの?」。実は夢枕獏さんと話をするのはこれが初めてやないんです。というても、その前に話をしたのは13年前、SF大会のスタッフをしていてゲストの泊まるホテルで受付をしていて「先生の部屋は××号室です」と言うただけやから、これは話をしたうちにははいらんか。
 独演会が終わり、天満橋へ。創作講座が始まるまで本を読んで待っていたら、
田中啓文さんと田中哲弥さんがやってきた。実は、この講座は啓文さんが誘ってくれはったのです。それから、五代ゆうさんとは初対面。揃ってゲスト控え室に入らせてもらう。ここで高井信さんと新井素子さんにあいさつ。もちろん初対面。実は新井素子さんとは初対面ではないです。もっともその前に会うたというのが、16年前にSF大会で同人誌を売ってたらそのブースの前を新井さんが通らはったんで「いかがですか」と声をかけたら、ちらっとこちらを向かはっただけやから、こういうのは対面とはいわんな。
 会場で田中さんたちとあほなことを言うていたら、
小林泰三さん、牧野修さんがやってきた。他にも草上仁さんが会場にはいてはったし、なんかアマチュア向けの創作講座にプロがこんなにおってええんかという感じ。高井さんと新井さんの話が佳境に入った頃、夢枕さんが入ってきた。もっとも、私は事前に控え室で「獏先生が来はるかもしれませんよ」と言うておいたから、それほど混乱にはおちいらんかったけどね。そやけど、五代さんは「うそー、夜はホテルで原稿を書くって言うてはったのに」と信じられんように言うてはりましたが。
 終了後、飲み会に参加。高井さんや新井さんがいてはるのに、なんでいつものメンバーでかたまってあほな話ばっかりしてるんやろ。
 いやなんか、午前中は日常の世界にいて午後からは別世界に行って、そのまま別世界にいたままという、なんとも行ったきり戻りたくないというようなそんな気分でありました。

 しかし、翌朝おきたら「原稿締切」という事実を眼前に突きつけられ、別世界から現実に引き戻されたのであった。ああ、まだ次の原稿が残っておる。

10月4日(月)

 仕事の帰りにスーパーに寄る。前を二人連れの女性が歩いてる。片方は今はやりの底の分厚いサンダルをはいている。と、いきなり足首をひねらせてこけそうになるやないですか。そらびっくりしたよ。もしかしてよろけた彼女が私の方に倒れてきたらどないしょと思うたね。
 そしたら、その人、すぐに体勢を立て直して歩くやないですか。そんでもって、隣を歩いていたやはりかかとの高い靴をはいてた人足首をひねらせてこける真似をする。二人してわはははと笑いながら歩く後ろ姿を見ながら、いっぺんほんまにこけたらどないや、足ぐねって入院せんとわからんやろ、てなことを思う。
 いっそのこと後ろから膝を蹴ったりたいという欲求にかられたけど、そんなことはできませんからな。
 別に底の厚いサンダルをはくのは本人の勝手やと思うし、何をはいてもかまわんけど、こける真似をしてほんまにこけたらどないなるかとか、そういうことを少しは考えてほしいもんです。そういう想像力というのは、たぶんないんやろうね。
 でも、ほんまにひやっとした。倒れかかってきて私が支えて思わず胸をさわってしもてわあこの人痴漢ですとかいうようなことにならなんでよかった。

 明日から1泊で林間学校の引率です。原稿がかけないまま旅立つのは心残りですが、仕事やからしかたない。よって、次回更新は水曜の深夜の予定です。

10月6日(水)

 林間学校で疲れてへろへろになっているにもかかわらず、仕事が終わったらその足で甲子園に行く。
 甲子園での今シーズンの公式戦最終試合で、これはもうぜひとも行かねばと決めていたのだ。これで最終戦観戦は4年連続ということになる。特に今年は、これまで野球に興味のなかった妻が「甲子園に行ってみたい」というので、現地で落ち合うことにしていたしね。
 しかし、例年なら閑散としてるのに、今年の最終戦は外野スタンドはタイガースファンでぎっしり。内野も空席が非常に少なく、まるで優勝争いでもしてるのと違うかと錯覚するくらい。
 試合は延長11回サヨナラ勝ちでありましたが、疲れた体にはいささかハードやった。

 と言うわけで、今日は対して気の利いたことも書けない。頭が働かんのだ。なのに家に帰ると原稿催促の電話が留守電に吹き込まれている。明日こそはなんとか書いてしまわねば。

10月7日(木)

 林間学校までに読まなならん本を2冊もかかえて1泊2日、行きのバスと帰りのバスで少しは読めるやろと甘いことを考えてたけど、行きはバスの中でゲームがあったりしてとても本を読める環境ではなく、林間学校では当然読める時間なんかないし、帰りはでろでろにつかれて爆睡してしまい、甲子園へ行く途中の電車では少ししか読めず、帰りの電車ではのたのたに疲れていて読書にもなんにもならず、回復休暇である今日は昼過ぎまで寝てしまい、これでは原稿が書けんと必死になって1冊目を読んでしまい、本を買いに本屋に行ったあと、2冊目をひたすら読んで後5分の1というところまできたところで編集部より催促の電話があり、「今日明日中には書きます」と約束をして本を読みきる。原稿を書き始めたけど、なかなかまとまらん。

 1泊2日とはいえ、情報から遮断されてたらいろんなことが起きていて驚く。小渕改造内閣発足はまあ予想されていたことやからともかく、SPEEDの解散にはびっくり。バラ売りをしだした段階で解散は近いかなとは思うてたけど、こうも急とはね。
 あの「グリコ・森永事件」の青酸入り菓子を置いた事件が時効を迎えていよいよほんまに事件全体が未解決で終わるということになりそうだと、これも新聞に書いてあった。警察のコメントが笑うね。「今だったら携帯電話などがあるから、きっと逮捕できる。あの当時は連絡が難しかったから、逮捕ができなかった」という趣旨のコメント。ほたらなんでっか。パトカーには無線は積んでなかったんですか。そういった連絡網を出し抜いて逃げおおせた犯人なんやから、今同じことをしても犯人かて携帯電話を使うよ。タイプライターよりも足のつきにくいコンピューターやワープロもあるしね。警察は盗聴法みたいな人権無視の法律をつくらんと捜査がでけへんと思われてもしかたない。まあ、今やったら「かい人21面相」は盗聴法にもたぶん対処できるように計画をすると思う。知能犯というのはそういうものです。時効に際して自分たちの力不足を素直に反省できずにこういう負け惜しみめいたことを言うているうちは同じような知能犯がまたでてきても、逮捕できるかどうか怪しいものやと心配になってくる。警察に対する国民の信頼感がなければ、治安なんか守れんでしょう。こういう不信感を抱かせるコメントを公表する神経というのがなんかわからんね。これでは「けいさつのあほどもえ」と揶揄されても文句は言われへんのと違うやろうか。

 こんなことをだらだら書いてんと原稿を書けば、とあなた思うたでしょ。私も思うた。なんでこんなことを私はだらだらと書いているのでしょうか。
 答え。現実逃避。さあ、あほなこと書いてんと、書評しましょ。

10月8日(金)

 やっと原稿を脱稿。5枚ほどの原稿を書くのになんでこんなに苦しむか。世の中には40枚の依頼に100枚も書いてしまう人もいるというのに。しかしほんまに今回は落とすかと思うた。やれやれ書けてよかった。

 5月8日の日記に書いて、その後かなり反響のあった「チームを分けるためのじゃんけん」について、意外なところでまた違うヴァージョンを見つけてしもた。
 これまで確認されたものには「グーとパー」「グーとチョキ」「うらとおもて」などがあったんやけど、今回発見したのは「
グーなしジャン」。「週間少年サンデー」連載のマンガ「パスポート・ブルー」(石渡治)を読んでたら、NASDAの施設で宇宙飛行士体験をする子どもたちがチームを二つに分けるシーンがでてきた。

「でも…ふたつに分けるって…どうやって?」
「そりゃ文句なしの
グーなしジャンやろ!!」
「だな」
「じゃあ行くぜ!! 
グーなしジャン!!」

 次のコマにはパーとチョキを出した手の絵が描かれてる。石渡治さんがどちらの出身かは私は知らんのやけど、このマンガでは子どもたちは全国各地から集まってきてるはずやから、中には「グッパ」の子も「グーチョ」の子も「うらおもて」の子もいてるやろうに。もしかしたら、石渡治さんはこの日記を読んでないな。あたりまえや、読んでない読んでない。
 それはともかくこれまで必ず入ってたグーやったけど、ここにきてその特権的地位を失ったのであった。そんなたいそうなもんやないか。「グーとパー」「グーとチョキ」があって「パーとチョキ」のパターンがないのはおかしいと思うてたんやけど、ここにめでたく揃うたわけですな。いやあ、これで私も枕を高くして眠れる。いやその別にそれほど気にかかってたわけやないんですけどね。

10月9日(土)

 大学時代のゼミの同窓会をやるというので発起人会議の打ち合わせにでてほしいという依頼のハガキが届いていた。私の同期だけやなくてその前も後も全てひっくるめた同窓会をやるらしい。
 困ってしまう。何が困るかというと、私はそのゼミを途中でリタイアしてるからやねん。実に恥ずかしい話でこんなことを世界に向けて発信するというのも情けないとは思うけど、事実やから隠しようがない。私の行っておった学部は卒論を書かんとゼミの単位を落としても専門科目で単位を取ったら補えるというシステムになっていて、私は結局ゼミの単位を落としたまま留年して専門科目をよけいに取ってなんとか6年かけて大学を卒業したと、まあこういうこと。
 就職活動をしたときに、一番困ったのは「卒論のテーマはなんですか」という質問やね。書いてへんもん、答えられんがな。あまり正直に「書いてません」というとまずいかなと思い、テーマとアウトラインだけは考えてはいたから、その時につけた仮題を答えたりしてたけどね。
 ゼミをリタイアした者が同窓会の発起人になるというのも変な具合やね。実はこれ、いろいろと事情があって、リタイアしながらも卒業後もゼミの教授とは接触があったんです。そのせいか教授の還暦を祝うパーティーではなぜか指名を受けて司会をやらされ、それ以降同窓会の幹事の人から連絡があったりしてる。で、私の同期のゼミ生はそのパーティーに参加したかというと、誰も来とらんのですよ。リタイアした私が司会をして、ちゃんと論文を書いてた者が出席しないとは何事かと思うたね。
 その上発起人でしょう。もし私の同期のゼミ生でここを読んでる人がいてはったら、連絡をしてくれへんかな。なんだかんだいうて論文を書かんと卒業したというのは、私にしたら心残りやし、いくぶん後ろめたいものも感じてるんだ。ゼミ生の代表の一人でございと発起人に名を連ねるのはいくらなんでもあつかましいと思うのね。ほんまに困ったことやねえ。

10月10日(日)

 ホームページを公開してから、まる2年がたち、今日から3年目に突入。トップページのカウンターもなんと85000をこえている。公開したときは、こんなページ読んでくれるやろか、いっぱい項目を作ったけど、書くことがあるやろかと心配したりもしたし、ある人からは自分は更新が面倒だから閉鎖した、実に更新は面倒だという話も聞いた。ほんまに更新は面倒だ。そやけど、まめに更新するから読んでくれる方がいるんやと思うと、この日記を書くのも日常生活の中での優先順位が高くなってますね。
 ホームページを作ってから変化したなあと思うのは、交友関係やね。SFのイベントでいろんな方に会うと、以前よりも親しみをこめて話しかけてくれはる人が増えたからね。作家の方でも同じで、たぶんインターネットをしてなかったら親しくなることはなかったやろうという方が多い。
 おそらく「S−Fマガジン」の書評家だけやってた時と比べると、私に対する興味や関心を持ってくれはる人は増えたのと違うかと思う。正直、書評なんていうものは反響のないもので「S−Fマガジン」の連載が始まってから最初の4年間とホームページ公開からここ2年間を比べると、最近2年の方が読者の方たちからの手応えというものがあると思う。つくづくネットというものの力を感じたりするね。
 というわけで、今後も毎日しょうもないことばかり書き続けていくやろうと思いますが、寛大な心でお読みいただければ幸いでございます。
 ほんま、意外なところで意外な人が読んではったりするからね。油断ならんのよ。うかつなことは書かれへん。でもうかつなことばかり書いているなあ。まあそういう人間です。これからも「ぼやいたるねん」をご贔屓にお願いいたします。


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