ぼやき日記


12月12日(日)

 皇太子妃雅子殿下に妊娠の兆候があるというだけで大騒ぎ。やれ8月出産予定だ女の子が産まれたら皇室典範を改定せんならんともう生まれたんかと思うくらい。この調子でいくと、ご出産ともなると提灯行列が全国ででるのと違うやろうか。
 妊娠というてもまだ1ヶ月にもならんというから、大事なのはこれからでこのあとどうなるかわからん。ぶじに安定期を迎えるまではそっとしておくというのが常識やと思うんやけれど、マスメディアというのはこと皇室となると非常識なことでもまかり通るようなんで、雅子妃におかれてはお気の毒としかいいようがない。
 だいたい妊娠の兆候があるというだけやのにスポーツ新聞なんかは何ページも使うて特集を組んでるけれど、中身はというと有名タレントにお祝いのコメントを求めたり、皇太子夫妻の子どもの頃の写真を引っぱり出したりと、あまり意味のない記事を並べている。これはご出産となっても同じような記事しか載らんだろうなと思わせる内容やね。
 雅子妃の写真で、子どもの頃のものにまで「雅子さま」という尊称をつけているのは、私には違和感があった。そのころは単なる「小和田雅子ちゃん」やったんと違うのかな。さかのぼって「さま」扱いせんならんという申し合わせでもあるんかしらん。雅子妃が「さま」と呼ばれるのは皇太子殿下と結婚したからで、それ以前は外交官の娘でしかないんやから、私にはけったいな具合に感じられるんやけれどね。
 あと、芸能人にコメントを求めてもみんな「おめでとうございます」としか言いようがないんやから、あえてコメントさせる必要もないと思うんやけどなあ。
 実際、これだけ大騒ぎして、結局出産にまでいたらんかったらどうなるんやろうと思うほど、今回の報道は、私には異常に感じられるね。また、女児を出産した場合とか、どうなるんかね。騒ぎたい人は騒いでもかまわんと思うけど、騒ぐなら騒ぐで騒ぎ方があるでしょう。
 めでたくご出産となった場合、国民全体がお祝いせなならんというムードになって、お祝いせん者は非国民とかいうようなことになりはしないかと、実は今からそのことを心配してるんやけど、心配しすぎかな。でも、今回の報道のはしゃぎようを見ると、なんかそんなムードを作り出す下地やないかと勘ぐりたくなるんやけどね。

12月13日(月)

 子どもの時分はテレビっ子やった私も、最近ではとんとテレビを見んようになった。たまにテレビをつけるとコマーシャルなんか見たこともないのばっかりで、まるで小さな子どもみたいに必死でコマーシャルを見てしまうんですな。あの、子どもがコマーシャルになると必死でテレビを見るのはなんでやろね。本編なんかどうでもええといわんばかりにコマーシャルは食い入るように見てるね。それと同じ状態になるわけです、つまり。
 それくらいテレビを見んようになった私やけれど、子どもの頃は全く逆。ひまさえあったらテレビを見てた。そんな私にもわからん難題を突きつけてくるのが妻であります。
「『ワタナベ』っていう宇宙人がいたの、知ってる?」。
 そんなもん知らん。
「変なコスチュームで、普通の家に住んでて、子どもに『やーい、ワタナベ』って言われるの。『スズキ』やったかもしれへん。とにかくよくある苗字」。
 それなに?
「30分くらいの帯番組やった。これはあったの。間違いない」。
 うーむ。私と妻は年も近いし生まれ育ったのも関西やから、たいていの経験を共有してたりするんやけれど、時々食い違うことがある。今回もそうかな。ほんまに、そういう番組があったかどうか、記憶にない。
 そこで、ここをご覧のみなさまに、ぜひ教えていただきたいと思うのです。妻のいう番組が、いつ頃、なんというタイトルで放送されていたのか、ご存知の方はメールでも「てなもんや伝言板」でもかまいませんので、教えていただけないでしょうか。なにしろ、彼女の情報は断片的で、検索しようにもキーワードがないのです。
 はたして「ワタナベ」なる宇宙人は実在したのか? ぜひご一報を!

12月14日(火)

 昨日の日記に書いた「ワタナベ」なるテレビドラマについて、田中啓文さん井上晋さんからいただいた情報をもとに、あちこち検索をかけてみたら、次のようなことがわかりました。

◎原作は「ワタナベ」(窪之内英策)という漫画で、かつて「ビッグコミックスピリッツ」に掲載されコミック本は3巻まで出ている。
◎テレビ放送は1993年頃で、関西テレビ(フジテレビ)系で放映されていた。
◎主演は森下じんたん(現在は改名して森下じんせい)という元「かっぱのドリームブラザーズ」(現在は解散)という小劇団にいた人である。なお、この人はNHKの朝ドラ「ふたりっ子」に警官の小石役で出演している。
◎演出には映画監督の黒沢清も参加している。

 どんなに調べてもこの程度しかわかりませんでしたが、意外に最近の番組やったんですね。その時分あたりからテレビをあんまり見んようになったからなあ。知らんのも道理。
 もっとも、情報を下さったお二方もドラマ自体は見ていないらしい。まあ、宇宙人「ワタナベ」は実在したわけで、うちの妻の断片的な情報も間違いではなかったということがわかってよかったよかった。
 田中さん、井上さん、どうもありがとうございました。
 しかし、たいていのテレビ番組はどこかのサイトに詳細がアップされてたりするんやけれど、「ワタナベ」に関してはコミックの解説で「テレビ化された」とか映画監督の仕事のリストにタイトルが載ってたとか、そんなわずかな手がかりしか見つからんのよ。あまり熱狂的なファンはいなかったんかな。ネットで調べたらたいていのことはわかると思うてたけれど、そういうわけにはいかん場合もあるわな、そら。
 しかし、妻の他にも実際に見ていたという人は必ずいるはず。「私は見ていた!」という方がいらっしゃったら、ぜひ内容なんかのもう少しくわしいことを教えてほしいです。このままではうんと気張ってもちょろりとしかうんこが出なかってなんか気になりながらトイレから出たみたいな感じがするので。例えが汚いな。
 とにかく「ワタナベ」をご覧になっていた方、ぜひご一報を!

12月15日(水)

 横山ノック知事は、たぶんあれはおさわりをやっとるで、と思う。たぶんやめなならんのやろうなあ、とも思う。思うけど、ちょっとおかしいなと思うところがある。報道の論調である。慰謝料の件なんかも含めて、なんかノック知事が人殺しでもしたみたいな非難の仕方をしてるのが、気になる。セクハラ被害を受けたという女子大生についてる弁護士の数も80人くらいいるんですか、えらいものものしいように思う。まるで強姦されたかのような剣幕で、行列で法廷に入っていく映像を見ると、なにか新興宗教の狂信者を想像させるような取り憑かれたような表情をしてるように、私には見える。ノック知事を非難するコメントが新聞に載るのは当然やとは思う。そやけど、知事に対する過剰な非難を戒めるようなコメントは載ってない。
 背景に何かあるんかな、という気がしてならん。
 最初にノック知事が選挙アルバイトの女の子を触りまくったという報道があったとき、ちょうど選挙中ということもあって「これは、はめられたんとちゃうか」という気がした。相手陣営もそれにうまく乗っかって知事を非難したけれど、落選した。
 80人の弁護士を多いと見るか少ないと見るか。私には多すぎるように思えてならんね。その女子大生が弁護士に相談したら、80人は必要やとしてそれだけの数がついたんやろうか。そやけどね、殺人事件の容疑者にもそんなに人数はつかんよ。
 はじめからそれだけの数の弁護士が用意されてた、と勘ぐられても仕方ないんと違うかな。大阪では、実は知事を糾弾する声はあんまり高くならないんやね、これ。東京の評論家が「どうして大阪の人は知事に対してもっと非難しないのか」というようなコメントを新聞に寄せてたけれど、女子大生側の弁護団を見たら、一方的に知事を非難する気は失せますわ。
 ノック知事は、たぶんやったんやろうなあと思うし、それに対しては責任はとらんならんと思う。そやけど、人殺しでもしたみたいなヒステリックな糾弾をする弁護士たちを見たら、思わず「ノックさん、大変やなあ」と同情してしまう。
 背景に、政治的な動きがあるような気がしてならん。
 そういう空気があることを、なんでテレビも新聞も報道せえへんのかなと思う。ノック知事がしたことの是非とは別に、被害者であるはずの女子大生側の弁護団がよってたかって知事をいじめてるような、そんな図に見えてしまう。
 ノック知事を弁護するわけやないけど、そんなわけで一方的に非難する気にもなれんのですよ。なんかおかしいなあと思う。そう思うてる大阪府民は、けっこういてるのと違うかな。なんでそれが報道されへんのか、ほんまになんかおかしい。

12月16日(木)

 田中哲弥さんが子どもの頃に教師にいじめられた思い出を日記に書いているのを読んで、私も同じような経験をしていることを思い出した。ネタがないのでそれを書く。
 小学校の3年と4年の担任やった女の先生がいて、この先生は実に子どもへのひいきがきつい人やった。気に入った生徒は指名で学級委員にする。気にいらん生徒はちょっとした理由で廊下に立たせる。私はこまっしゃくれた一言多いガキやったんで、特に気にいらんかったんやろう、しょっちゅう廊下に立たされた。最初は何人かいっぺんに立たされるんやけど、そのうちに「あんた入り」と一人ずつ指名して教室に入れていく。最後に一人残されるのは常に私だ。教室でどっと笑いが起こるといてもたってもいられん。廊下の窓は確かすりガラスになってたんで、天井に近いかなり高い明かり取りの窓からのぞいてやろうと傘立てかなんかを踏み台にして頭を窓に突きだしたとたん、それを見てすぐに廊下に現れ、「もうそろそろ教室に戻そうと思うてたんやけど、そんな危ないまねをしてるんやったらまだ入れたらへん」などと最初から入れる気もないのに言う。
 ある時、なにをしたのかわからんけれど教室に居残りにされたことがある。誰もいない教室で一人寂しく与えられた課題をしてたんやけれど、校内放送で「下校時間です。学校に残っている生徒は帰りましょう」などというのを聞くと、もう心細くてたまらんようになった。それでもその先生は教室に来ない。辛抱たまらず職員室に行き、とにかくなんやわからんけれど一生懸命あやまったら家に帰してくれるやろうと必死になって「ごめんなさい」したらその先生は隣の席の同僚に向かって「な、この子、うまいことあやまるやろ」。
 よおし、俺は大人になったら教師になって気にくわん生徒を徹底的にいじめたるぞと決心して現在教師をやっている、というのは嘘で、あのころは私は漫画家になりたかった。まさか自分が教師になるとは夢にも思うてなかったな。何の因果か教師になったけれど、今あんなことをしたら人権問題になって新聞沙汰になるぞ。
 こうやって書いてたら、なんかめちゃめちゃ怒りが増幅してきたぞ。怒りのあまりに暴れ出したら積み上げた本が崩れて下敷きになってしまうのが嫌やから、これくらいにしておこう。しかし、ひどい目にあわされたもんやなあ。ああもうむちゃくちゃに腹が立ってきた。あ、いかん、本がこちらに、わあああ。

12月17日(金)

 ラジオのニュースで「町職員が回春」と言うていたので、最近はインポテンツが治ったのまでニュースになるのかと思うていたら、どうも違うらしい。「買春」というのを「かいしゅん」と読んでいたんやった。これはどう読んでも「ばいしゅん」でしょう。ラジオの場合、そのまま読んだら「売春」と間違われるんでわざわざ「かいしゅん」と読んでいるのかな。そやけど、違和感があるな。いわゆる「湯桶読み」というやつで、不自然やし、もともと「回春」「改悛」「悔悛」という言葉があるんやから、そちらと間違えると意味が全然通らんようになるやないか。こういう読みかえは言葉に対する感覚の鈍さを感じさせて嫌やね。
 これはわざわざ読みかえているんやないけれど、「代替」という言葉を「だいがえ」と読む人にちょくちょくお目にかかる。これもなんか言葉に対して無神経な感じがするなあ。「だいがえ」と読むのなら「代替え」と送りがながつくでしょうが。ちゃんと「だいたい」という正しい読みがあるんやからね。
 以前産休講師として勤務していた中学校の校長が私のことを紹介するのに「××先生のダイガエで今度来てもらった喜多先生です」などというので唖然としたことがある。だいたい代替というのは品物に使う言葉やと思うてたから「私は物か」とがっくりきた上に読み方まで間違っている。この校長、年賀状に自作の俳句を書いてくるような人物やけれど、こういう粗雑な物言いをする人に俳句なんか作ってほしいことないぞ。
 「買春」か「売春」かは文脈から判断できると思う。へたな読みかえなんぞする必要はないと思うね。
 ところで「買春」を「かいしゅん」と読むのなら、「売春」は「うりしゅん」と読まなならんことになるでしょう。そういうことには思い及ばなかったんかな。

12月18日(土)

 昨日は疲れた。学校の行事で餅つき大会というのがあって、なにをやるかというと餅をつくのであります。説明せんでもわかるか。
 私は係を担当してたんで、買い出しやら準備やらで走りまわっていて今年は餅はつかんかった。そのかわり白蒸しを「あつあつあつう」と高石太のごとくほたえながら臼のところまで運んだり「はい、次は3組。食べ終わったクラスは教室に戻って!」と交通整理のようなことをしたり。自分のクラスの餅をついている方が疲れへんかったかもしれへん。
 臼や杵は借り物。団地の自治会の持ち物を拝借しているわけやけれど、最近は子供会の催しなんかで餅つきをしたりするみたいですね。学校でするのは珍しいかもしれへん。相撲部屋では必ずするけど。
 つきたての餅はうまいなあ。私らのような素人がついた餅でも杵つきの餅はほんまにしっかりしてて食べでがある。生徒はあんこやらきな粉やら大根おろしやら醤油やらなんやらつけて食べてたけど、つきたての餅はそんなもんをつける必要はないと思うね。これがお相撲さんのついた餅なんかやったらどんなにうまいやろうか、想像もつかへんな。
 こういう餅を食べるとスーパーマーケットで売ってるパックの餅なんか食べる気にならんね。雑煮にしてたいたらとろとろにとけてしまうような餅を「餅」と思うてるような生徒が一人いて「俺は餅は嫌いや」と頑として食べへんかった。なんて不幸な子やろうか。口がおごってしもうてるのかもしれへんけど、パックの餅を餅というなら、私かて餅は嫌いやということになるやろう。つきたての餅は違うよ。
 養護学校に勤務してるおかげでいろいろなことを身につけたけれど、その際たるものが餅のつき方で、蒸すところから丸めるところまで、手順もコツもひととおり知りました。杵の下ろし方にもコツがあるんですな。一言でいえば重力と遠心力を利用するということ。これやと腕もそれほど疲れへん。そのかわり難しいのが臼とり。私は子どもの頃から「臼とり」という言葉で憶えてたけれど、学校では「手返し」というてたんでちょっと違和感があったね。大阪ではそういうのかな。言い方はともかく、餅をタイミングよく返すのはリズム感と反射神経がいる。私は掌がいつもぬくいんで手に着ける水がじきに乾くから、餅が指にひっついてべちゃべちゃになる。あれだけはうまい人に任さんといかん。
 今年の餅つき大会は係でばたばた走りまわってたおかげであんまりゆっくり食べてる間がなかったのが残念。そうでなかったら生徒といっしょにばくばく食べてたんやけどなあ。

 明日は「たちよみの会」の例会です。年末でお忙しいでしょうが、興味のあるお方はのぞいてみて下さい。

12月19日(日)

「サイコですかぁー?」「サイコーッ!」というのを思いついたけど、どうでしょうか。

 今日は「たちよみの会」の例会。会員Y氏、細井威男さんかつきよしひろさん京大SF研岡田英之さんといつものメンバーが集まる。今一番信頼できる年間SFのランキングは、「S−Fマガジン」のベスト投票→星雲賞→日本SF大賞の順番やないかなどとけっこうマジな話をしたりする。例会のあとは書店に寄ってから夕食をとり、今回は三条京阪のところに開店した「ブック・オフ」という古本屋に行くことにした。
 実はここで私は大収穫を得たのです。「バッタ君町へ行く」のビデオを見つけたんですよ。もう感激で手が震えたね。以前ここで書いた、あの「バッタ君町へ行く」ですぞ。あのフライシャー兄弟の「バッタ君町へ行く」ですぞ。「ガリバー旅行記」同様、子ども向きの安売りアニメビデオの中に埋もれてたんですわ。「ガリバー旅行記」を手に入れたときはまさか「バッタ君町へ行く」までが安売りビデオになってるなんて思わんかったけど、いやあ、あるもんですなあ。「ガリバー旅行記」も並べて売っていたぞ。しかも値段は550円やないか。これを買わんで何を買うというんですか。おがわさとし君、まだ「バッタ君」も「ガリバー」も「ブック・オフ」にあるぞ。急げよ。あ、興奮のあまり私信を書いてしもうた。漫画家のおがわさとし君もフライシャーの作品が大好きなのです。彼の絵柄は宮崎駿風であるが、そのルーツはフライシャー兄弟にあるのだ、と断言してしまおう。何、おがわ君、否定するか? でけへんでしょう。私は誰に向かって書いておるのだ。というくらい、興奮している。
 しかし、きっと価値観の違う人にとっては550円の子ども向きアニメでしかないんやろうなあ。アニメの歴史上に残る大傑作がそんな風に売られているなんて思いもよらんことなんであろうなあ。そういう人にしたら、ひげを生やしたおっさんが古本屋でビデオを手に興奮している様子なんか、気持ち悪い奴という風にしか見えへんのやろうなあ。それでもかまへん。
 思いもよらず「バッタ君町へ行く」を手に入れてしもうたわけやけど、まさか「くもとちゅうりっぷ」やら「桃太郎の海鷲」は子ども向きの安売りビデオでは出てへんやろうな。これは出てるわけないよな。あ、でも「雪の女王」や「ナージャと海龍」あたりは間違って市場流出してるかもしれへん。「ガリバー旅行記」と「バッタ君町へ行く」がこんな形で市場流出してるんやから、あり得ない話やないと思うけど、どうかな。なんか期待してしまうぞ、私は。

12月20日(月)

 いやまさか「レコード芸術」にメトロン星人の写真が載ってたりするなんて思わんかった。びっくりしたなあ。
 説明が要るな。「レコード芸術」というのは、クラシック音楽専門の雑誌で、新譜CD月評やら新録音情報やら音楽の専門的な特集やらが満載されている。新譜のザッピングCDの付録が目当てで買うている人もいるかもしれん。しかし、原則としてはお堅い雑誌やったはずです。最近マンネリ気味やったんで、もう買うのをやめようかなと思うていたところやった。ところが、1月号から方針が変わったのか30代のライターを中心にかなりオタク度の高い連載記事が増えて、俄然面白くなった。
 その象徴が、中央のカラーページに掲載されている実相寺昭雄と冬樹透の対談やね。この二人はそうあの「ウルトラセブン」の監督と作曲家なんですね。で、「ウルトラセブン」や円谷プロ作品の音楽について語っているという、これまでの「レコ芸」では考えられん企画やね、これは。
 実相寺監督がクラシックのファンであることや、冬樹透がクラシック畑の人であるということは知ってたけど、これまでの「レコ芸」やったらそんなことだけでこの二人に「ウルトラセブン」の音楽について語らせようなどという発想はなかったはず。どないなったんかしらんけど、こういう路線変更は私は大歓迎。
 今回特に嬉しかったのは、「ウルトラセブン」最終回でダンがアンヌに自分の正体を告白するクライマックスシーンで奏でられる「シューマン、ピアノ協奏曲」の音源がわかったこと。CDでこの曲を聴く度にあのシーンが目に浮かぶというくらい印象的な使われ方をしていた。そやけど、あの感動的なピアノはいったい誰が弾いてるんか、とても気になってたんだ。
 なんとあのシーンのシューマンはディヌ・リパッティのピアノにカラヤンが伴奏をつけた天下の名盤やったんです。これがどれくらい名盤であるかというと、クラシック雑誌でこの曲のCDのオールタイム・ベストを選ぶと、たいていこの演奏が1位になるというくらい評価の高い録音やねん。なるほどなあ、そら感動するわ。CDで聴いただけでも感動するのに、あのシチュエーションで使われたら、感動も数倍になる。さすが冬樹透ですなあ。
 その他にも、ウルトラシリーズのファンにはこたえられない秘話があれこれと語られている。ファンならば、特にクラシックに興味のない方でもぜひ読んでいただきたいと思うね。
 しかし、「レコ芸」がこういう特集を組むとは時代が変わったなあ。ああ驚いた。

 先日の日記に書いたテレビドラマ版「ワタナベ」ですが、「見た」ということでメールを下さったのはお一方だけです。「私は毎週見ていた」というような人はいてはらへんのやろか。そういう方がいらっしゃったら、どんなことでも結構ですんで教えて下さいね。まとまったところでご紹介したいと思うてますので。

 明日は所用で遅くなります。次回更新は水曜日の深夜の予定です。


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