ぼやき日記


12月1日(水)

 前々から電気ポットの調子が悪かった。というより、ふたの部分のエアポンプがいかれていたんだ。なんぼ押し込んでもお湯がちょびっとしか出えへんのや。カップラーメンを作るときなんか大変で、カップの内側についてある筋まで湯を満たそうとするだけで一苦労。ふごっふごっふごっふごっと小刻みになんべんも押さんといっぱいにならんのやからもう邪魔くさいのなんの。
 先日ひまができたんでふたを外してねじを取ろうとして原因がわかった。ねじのところからプラスチックが割れてて空気がだだ漏れになってた。そらあかんはずや。瞬間接着剤でくっつけたけど、どうにもならん。
 そこで電気ポットを外して水筒を使うことにした。ステンレス製の水筒で、構造は昔の魔法瓶とほぼ同じもの。使い始めて気がついた。
 うちは電気ポットなんかいらんやん。
 特に大量に湯を使うわけでない。湯がなくなったらやかんで沸かしたらええだけやし、それやったら電気ポットより早う沸く。保温するのに電気なんかつかわんでええから電気代は助かる。エアポンプよりも持って注ぐ方が実は注ぎやすい。
 魔法瓶というものは実に優秀なもんやと再確認したね。電気ポットの方が使いやすいと思いこまされてたんと違うやろか。企業の宣伝というのは実に恐ろしい。
 それにしても「魔法瓶」というネーミングセンスはすごいなあ。どこが「魔法」やねんと思うけど、さめたら電気で加熱するよりもよっぽど合理的で「魔法」からはほど遠いのにね。
 まあ電気ポットの場合、湯がたらんようになったら水を注ぎ足しておくだけで勝手に沸かしてくれるから、ものぐさな者にはありがたいし、急に大量の湯がいるときには便利やとは思うけど。
 というわけで、古い物の方が一見不便に見えるけど、実はそうでもないものもあるということを知らされました。いや魔法瓶というのは実に偉大な発明やと思うたね、ほんま。

12月2日(木)

 劇の発表が終わって燃え尽きたわけやないやろうけど、張りつめていた気が切れてどどどどと疲れが出てきた。おきまりの鼻風邪、熱はない。そやのにだるいしんどいえらい眠たいきつい苦しい辛いわはははは。座って本を読むとしんどいんで寝転がって読み始めたらそのまま寝てしもうた。そこへ追い打ちをかけるように原稿催促の電話が。今読んでる本を読みきらないと原稿にとりかかられへんというこのなんというか自転車操業状態はなんとかならんかね。今日はもうあきません。読書も原稿も明日。

 ここによると私を有名人になぞらえたらこうなるらしい。「本当はずいぶん悩み事が多いみたいだけど、だいじょうぶ? ずばり教えてあげるわ。あなたの男性としての価値と、これからの人生は、大木凡人 以上、村上弘明 未満ってところね」。なんのことやらようわからんが、私は大木凡人はなかなかの才人やと思うているので、それ以上というのはえらいすごいことやないかと思う。しかしこういう思わせぶりな書き方というのはなんかいらいらしますね。こういうのは解読する本人次第やから、なんとでも書けるよね。

12月3日(金)

 昨日に引き続き風邪ひき。朝からだるいしんどいえらい眠たいきつい苦しい辛いわはははは。で、欠勤。一日ぐうたらと寝る。かなり回復しました。夕方から読書。なんとか1冊読み切って、これで書評が書ける。ただし、頭の中であれこれといじくりまわしてから書くので、今日すぐには書かれへん。
 他の人はどうしてるのか知らんけれど、私はだいたいメモもとらず、頭の中で書き出しやのなんやのうだうだと考えて全体の流れをつかんでから書くことにしている。書くときは書評の対象となる本を目の前に積み上げて、ぱらぱらとページを繰りながら印象に残ったところを探して、自分がなんでこの本を人に薦めたいというような気持ちになったかを確認する。ときどき「なんでこんな本がおもろかったんかいな」と考え直さんならんものもあって、そういう場合は読了後に控えておいた読書日記を引っぱり出す。ホームページ用のファイルを開くこともある。
 今日はとりあえず読み終えたところなんで、ちょっとその作業が頭の中でできてない。原チャリに乗っているときに口に出してみたりすることもあるけど、今日は休んだからそれもでけへんかった。考え事をしながら走るとは危ないなあ。
 他の方はどうやって書いてるのかということは気になるようで、実はそれほど気にならない。書き方を変えてよい書評になるならともかく、一番自分がやりやすい形で書いた方がええと思うからね。できたらとりあげる本はきっちり再読すべしと思う。しかしこういつも締切ぎりぎりになったんではその時間がとれんなあ。それも悩みの種ですわ。
 書き始めたら一気にいく。わずか数枚なので、勢いをつけて書く。数時間で書き上げる。ある書評家の人は書き始めてからが長いそうやけど、私の場合は、書き始めたら早い。
 明日くらいに構成を頭の中でまとめてしまい、日曜で一気に、と一応予定はたったんやけどね。予定は未定、決定に非ず。書き上げてしまうまで安心はでけへんのです。
 以上、喜多哲士式書評原稿書きの手順、今日はここらへんで。

 明日は所用で遅くなるので、次回更新は日曜日の深夜の予定です。その時にはもう原稿を書き終えているのか、なんかどきどきわくわくしませんか。しませんよ。

12月5日(日)

 なんとか原稿を書き上げ、一息。これでほんまに「S−Fマガジン」の書評も7年目に突入したんやね。掲載は2000年2月号の予定。西暦2000年か。そこらじゅうで2000年2000年と騒いでる割には、ぴんとこんなあ。でもあと1ヶ月を切ってるんやなあ。なんか変な感じやね。

 昨日は「日本芸能再発見の会」の懇親会。クイズ大会では「笑福亭鶴三」の手拭いをいただく。現在は松喬を襲名してはるから、値打ちがあるかどうかはともかく、新たに作られることはないんで、ちょっと嬉しい。
 2次会にも参加して、ハイヒール・モモコさんのご両親が経営するお店で飲む。新野新さんに妻は昔「ぬかる民」やったんですよ、というと、「家で『オバン』といわれてへんか」と返されてしもうた。
 ここらへん、説明が要るな。私たちが高校生やった頃、ラジオ大阪で「鶴瓶新野のぬかるみの世界」という番組をしていて、すごい人気やったんですな。リスナーのことを「ぬかる民」と呼んでたわけだ。番組の中で、「オジンの皮かむりオバン」「オバンの皮かむりオジン」「鬼畜」というような人を判断することばが作られたと、まあそういうわけで、新野さんから見た私は「オジンの皮かむりオバン」となる。一見おっさんに見えるけれど、中身はおばはんみたいな性格やねんな。「鬼畜」と言われへんでよかった。しかし、同世代の関西人にしかわからんネタでしたな。20年の歳月を超えて、新野さんから直接「オバン」と認定を受けたわけで、ここを読んでらっしゃる元「ぬかる民」の人は羨ましいでしょう。別になんとも思いませんか。そらそやな。
 あ、私は「ぬかるみの世界」は聞いてなかったのであった。京都にいるとラジオ大阪は入りにくかったんです。私が当時聞いていたのは朝日放送の「はーい浜村淳ですABC」やら近畿放送(現KBS京都)の「日本列島ズバリリクエスト」あたり。しかしこういう時代と地域を限定したネタを書いてもなにがなんやらさっぱりわからん人の方が多いやろうなあ。わかる人だけ思い出して懐かしがって下さい。
 しかし、高校生のあのころ、自分が20年後に新野新さんから親しく声をかけてもらえるなどとは夢にも思うてなかった。不思議なもんですなあ。
 とはいえ、これも関西以外の人にはなんで私が感慨にふけっているかわけがわからんことでしょう。つまりこれは高校時代には自分が「S−Fマガジン」でレギュラー書評をしているなどと思わんかったなあと感慨にふけってるのと同じなわけです。なにまだわからんか。ええねんええねん。わかるひとには、わかるはず。それでええの。

12月6日(月)

 大相撲の元小結、大翔鳳が逝った。死因は膵臓ガン。享年32。断髪式の写真を見たときに、あまりにげっそりやつれているのに驚いた。この時点で、彼はガンであることを公表していた。
 日大出身で、兄弟子の大翔山(現・追手風親方)に続いて立浪部屋に入門、同期生にやはり元小結の舞の海がいる。大翔山が数多くのタイトルを手に大相撲入りをしたのに対し、大翔鳳は大きなタイトルを勝ち取ったこともなく、兄弟子に比べると、ほとんど期待されていなかったというていい。そやけど、相撲の筋のよさでいえば、文句なしに大翔鳳の方がよかったと思う。大翔山が小器用な分だけ勝ち星を拾うことは多かったやろう。そやけど、大翔鳳は押しの一手のみ。出足のよさと不器用に前進するだけの相撲、そういう一芸のある力士の方が大成するものやということは、長い相撲の歴史では常識というていい。期待され、入門時から年寄名跡を与えられていたといわれる大翔山は、結局平幕止まり。対する大翔鳳は、時には横綱大関を苦しめる相撲を取り、小結にまで昇進した。相撲ファンも大翔鳳の印象の方が強く残っていることやろうと思う。
 兄弟子の大翔山は追手風部屋を再興し、弟子の追風海を早くも関取に育てた。大翔鳳は準年寄として協会に残り、病気を治してから後進の指導にあたりたいと希望していた。しかし、それもかなわぬまま、逝ってしまった。同期生の舞の海は引退してタレントに転向している。器用な兄弟子や同期生とは違い、大翔鳳はその相撲ぶりそのままに一直線に突き進んだような気がする。
 大翔鳳親方に謹んで哀悼の意を表します。

 明日は所用で遅くなるので、次回更新は水曜の深夜になります。なんかここんとこ、こんなんばっかしやね。

12月8日(水)

 最寄り駅高架下の単車置き場に、最近一人の老婆がいつも座っている。
 いくつくらいなんやろう。ホームレスの人の年齢というのはわかりにくいけれど、私の母よりは年上と見た。日の明るいうちにだけいて、敷物の上でつくもっている。昨日見たときは、画用紙に色鉛筆でなにやら絵を描いていた。あまりじろじろのぞきこむのは失礼かと思うたけれど、一心に描いてるんでついつい見てしまう。
 女の子の絵やった。「きいちのぬりえ」みたいな感じの女の子を何枚も描いてる。着物を着た子、フランス人形みたいな子、どの子も同じような顔をしている。決してうまいとはいえない。が、稚拙というほどひどくもない。
 この老婆はきっと昔、こういう絵が好きやったんやろうね。寒風の中、まるで自分の他には誰もおらないというような感じで紙に鉛筆を走らせている。
 夜には見かけないんで、どこか寝泊まりするところは決まっているのかもしれん。昼は居場所がなくて、高架下に自分だけの部屋を見つけたんやろうか。いったい、描いているときは何を考えてるんやろう。子どもの頃の自分の姿なんやろうか。きくわけにもいかず、決めつけたくもない。
 単車置き場に行くたびに、その老婆はいる。彼女がどんな人生を送ってきたかは、わからへん。その答えは彼女の描く女の子に隠されているのかもしれへん。そやけど、私にはそれを読みとることがでけへん。つい類型的なイメージを描いてしまう。
 話しかけることもできず、老婆の横を通り過ぎていく。駅の入り口で若い女性がカラオケボックスの割引券を私の手にむりやりねじこんだ。

12月9日(木)

 忘年会の季節ですね。私もこの週末はたてつづけに忘年会がある。
 以前、宴会芸についてここに書いたことがあるけど、今日は、カラオケボックス全盛時に贈る楽しい隠し芸を伝授いたしましょう。
 カラオケボックスに行きますな。曲と曲の間に妙な沈黙が訪れることがありますな。次の曲を選んでいるときというのは、なんか妙な間があくものです。そこで、その間を利用して物まねをやるわけです。
 エコーを目一杯に響かせて、腹の底から声を出し、のどで少しくぐもらせながら「ヒュィアー」と低い声で叫んでみましょう。あら不思議、ウルトラマンの声になります。間違っても「シュワッチ」と普通に言うてはなりません。このやり方で「シュワッチ」と言うてもウルトラマンに聞こえへんのやから不思議ですな。
 これはずっと以前にデーモン小暮閣下がTVでやっているのを見たことがあるけれど、同じ事を考える人がいるもんやなあと感心した記憶がある。私の場合は、人のいない体育館でやったら偶然うまくいったんやけれど。
 この「ヒュィアー」をちょっと高めの声で「ダアーッ」に変えてみましょう。これはウルトラセブンの声ですね。ここまでやるとオタクであることがばれてしまうのでやらない方が無難でしょう。太い声で「ウィヤァー」と言うとウルトラマンAになるんですが、ここまでくるとその違いがわかる人にしか受けませんから、やめときましょう。バリエーションにメフィラス星人の声というのもありますが、そういう芸はSF大会にでも置いておきましょうね。
 さて上級編です。舌を下から上に巻き上げ、口をゆっくりとぱくぱくさせながら「うーふあふあふあふあ」と言うてみましょう。バルタン星人の声になります。巷間伝えられる「ふぉっふぉっふぉっ」だと少し感じが違います。舌で上顎をするようにして「シュッポーン、シュッポンポーン」と言うとゼットン星人の断末魔の叫びになりますが、そんな芸をしても誰も気がついてくれないので気をつけましょう。
 いきなりやって似てないと悲惨ですね。練習はお風呂場の中で湯船につかりながらやるとエコーがきいていてよろしい。さあ、これであなたも人気者になれますね。そやけど、注意して下さいね。場の雰囲気を読んでやって下さいよ。間違えてもカラオケボックスに入っていきなりやったり、「残り時間10分です」という電話のあとというようなときにやってもたぶん受けません。話が弾んで歌なんかどうでもええというようなときにやったんでは遅すぎる。そこそこに盛り上がりかけてきたときにやらんとただのアホです。
 ご健闘をお祈りいたします。

12月10日(金)

 いやあ、今日はちょっと恐かった。
 職場の忘年会の帰り、梅田の南、太融寺のあたりを3人ほどでかたまって歩いてたんやけど、道をはさんでそこらじゅうに高そうなコートを着た女性が立って客引きをしてるんやね。街娼というのか、あれは。花道を作って通りゆく人を待ちかまえてる。
 だいたいあの近辺はラブホテルやらピンサロやら覗き部屋やらフィリピンバーやら男の下半身を狙ったような商売がようけ立ち並んでいる。行きにはピンサロの呼び込みに何回か声をかけられたけど、それはまあ恐いというほどやない。街娼かポン引きかなんか知らんけど、ああいう女性たちに待ちかまえられて、しかも一度はすっと近寄ってきて肩をぽんと叩かれたりするのは、ちょっと恐い。
 こちらは3人連れやったんで、それ以上強引なことはされへんかったけれど、一人やったら腕のひとつも捕まれてたかもしれへんね。振り切って逃げたらええだけのことやけれど、待ちかまえてるのは女性だけやないかもしれへんからね。バックにどんな紐がつながってるかわからん。日本のやくざよりも恐い団体かもしれへん。
 これ、何時のことかというと、午後8時過ぎのことです。もっと遅い時間帯やったら、どんな状況なんやろう。普段あちらに飲みに行ったりすることがないから、想像もつかん。
 その近くに警察の出店みたいなもんがあった。何人かの警察官が風よけのビニルシートの内側で、ストーブにでもあたってるんやろうか、車座になりかがみこむように待機していた。人数は待ちかまえている女性たちよりもはるかに少ない。ちょっとくらい取り締まってもいたちごっこなんやろうな。
 普段から安全な場所にしか近づかんのでこういうものには免疫がないということもあって、なんかちょっと恐かった。もし一人で歩いていて、あのまま誘われるように着いていってたら、どうなるんやろう。ちょっと知りたい気もせんでもないけれど、高すぎる授業料を払わされたくはないんでね。

 明日も忘年会。遅くまで飲んでいると思うので、次回更新は日曜日の深夜になります。


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