愛すれどTigers


ぼくが阪神ファンになったわけ

 何かを好きになる理由には、環境などの条件が大きな要素を占めていると思う。
 よりによってぼくが阪神タイガースのファンになった理由は、ただ単に関西に生まれ育ったというだけでは説明できない。関西人の巨人ファンもいる。また、かつては、タイガースのほかにも、阪急ブレーブス、南海ホークス、近鉄バッファローズと4球団がひしめきあっていたのだ。今でも、バッファローズは健在だし、ブレーブスもオリックスブルーウェーブとして神戸の市民球団の地位を獲得した。
 ではなぜ、ぼくがタイガースを好きになったのか。
 ずばり、父の教育のたまものである。ぼくはいまだにアニメ「巨人の星」をちゃんと見たことがない。「あんな番組、見たらあかん」の一言でかたずけられてしまったのだ。これではジャイアンツファンにはなりようがない。
 もっと決定的な理由がある。初めて甲子園にタイガースの試合を見にいったのは、中学1年の時であるが、そこでぼくはしびれてしまったのだ。
 たしか、友だちのK君に誘われて行ったのだった。対広島東洋カープの試合で、カープの先発は佐伯だった。この試合、タイガース打線は打ちに打った。まず池辺巌外野手が外野席にほうりこむ。ハル・ブリーデン内野手は2打席連続のホームラン。そして、きわめつけは、中村勝広内野手、掛布雅之内野手、マイク・ラインバック外野手、田淵幸一捕手が4人連続ホームランを叩き込む。この試合でホームランがなかったのは、東田正義外野手と榊原良行内野手の二人だけであった。対するカープも衣笠、三村(現カープ監督)、がホームランを放ったが、焼け石に水。
 生まれて初めて甲子園に行き、そのムードを満喫した上、プロ野球記録かというくらいのホームラン合戦を見たのだ。帰りの電車での興奮を、今でも忘れることができない。
 かくして、ぼくの体は頭から爪先までまっ黄っ黄に染まり、脳味噌のしわは縦縞と化してしまったのであった。
 もし、あの試合、タイガースが逆の立場だったら、どうだっただろうか。
 こんなに負けても負けても負けても負けてもタイガースのことが気にならずにはいられないような体質になっていただろうか。

(1997年10月10日記)


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