1998年10月25日、野村克也前スワローズ監督が、来季の阪神タイガース監督就任要請を受諾し、晴れて来季の監督が決定した。
野村監督といえば、南海ホークスではプレイング・マネージャーとして移籍選手をうまく使いこなしがたがたになったチームを立て直した男。トレードでくさっていた江夏豊をリリーフに転向させ球界に革命を起こした男。のんきな野球をやっていたヤクルトスワローズを3年で優勝に導き、ID野球を旗印にして3度の日本一を勝ち取った男。
忘れもしない1992年のシーズン、中村勝広監督のもと、あと一歩でタイガースが手にするところであったペナントを横からひったくるようにして優勝したスワローズの監督である。
そのノムさんが、ムースが、タイガースのユニフォームを着る。私はなんだか複雑な気分である。
しかし、味方にしたらこれほど力強い男もいないのだ。野村監督の率いるチームではこれまで選手たちの意識改革が行われ、自分たちで考える野球をするようになった。実は、20年前、タイガースはブレイザー監督を招いてそのような野球をしようとしていたのだ。ところが、アホなファンが「ブレイザーはなんで岡田を使わへん」と騒ぎ立て、嫌気がさしたブレイザーは自分からやめてしまった。
そのあと、タイガースは野球の王道を行くというような感じで監督候補として二軍監督をさせて育て上げた指揮官を監督にすえるという方法をとる。安藤統男監督、中村勝広監督がそうだ。藤田平監督も短い間だが二軍監督をした。しかし、結果は出なかった。村山実監督や吉田義男監督は一度失敗したのを呼び戻した。真弓、バース、掛布、岡田が爆発した1985年を除いて、タイガースの監督人事は失敗を繰り返してきた。
だから、見栄も外聞も気にしようとせず、野村監督を求めた。
これは20年前のやり直しなのだ。
前の年まで同じリーグの監督をつとめた人物を指揮官に求めた例は、1973年に大洋ホエールズから広島カープの監督になった別当薫、1974年に阪急ブレーブスから近鉄バファローズの監督になった西本幸雄の2人がいる。西本監督はバファローズを優勝できるチームに育てあげた。ただし、それには少し時間がかかった。
野村新監督は「3年後にはAクラス、もしくはそれ以上を狙い、阪神も変わった、と言われるチームにしたい」と言っている。
だから、待とうではないか。岡田監督待望論などを持ち出して、性急に交代を求めたりしては、ブレイザーの二の舞いになる。我々は前の優勝まで21年待ったのだ。待つことには慣れている。
だから、待とうではないか。野村監督は長嶋茂雄とジャイアンツをぶったたくことを生きがいとしている。それで十分ではないか。来季の開幕は東京ドームのジャイアンツ戦だ。新生タイガースがむきになってジャイアンツをぶったたこうとする姿が見られることを期待するだけで十分ではないか。
待とうではないか。3年後、誰からも「ダメトラ」などと呼ばれなくなったタイガースになることを。
私としては野村監督が投手コーチに江夏を呼んでくれないかと期待しているのだ。もう一度、タイガースのユニフォームを着ている江夏を見たいのだ。むろん、卓越した野球理論をタイガースに注入してくれることは間違いない。
(1998年10月26日記)