「勝ちたんいやっ」を合い言葉に始まった今季は、カープからFAで移籍してきた金本、大リーグから復帰の伊良部、ファイターズから交換トレードで移籍の下柳、野口、中村豊、ドラフトで獲得した杉山、江草、久保田ら新戦力の充実、昨年実績をのばした井川、今岡ら既存の戦力に加え、昨年は怪我に泣いた矢野、片岡、赤星らが出そろい、開幕前から優勝候補の声がかかった。
4月は井川、伊良部、ムーア、藪、下柳のローテーションを確立し、先発はめどがたつ。逆にリリーフ陣はテスト入団の柴田、移籍の佐久本らが不安定な上に、新外国人でクローザーを予定していたポートが全くの誤算。急遽リガンを獲得する。それても左打者用のワンポイント吉野、中継ぎの柱に安藤、クローザーにウィリアムスという形が決まり、5月から7月まで、この形で安定した投手力を誇った。
打線は今岡、赤星、金本の1〜3番が固定され、威力を発揮した。安打製造機と化した今岡、あるいは60盗塁を達成した盗塁王の赤星が出塁すると、金本が徹底したつなぎのバッティングを見せる。4番には濱中を置き、5番以降は桧山、アリアス、片岡のうち調子のよい者を起用する。6月に脱臼でリタイアした濱中に代わり桧山が4番に定着。時には八木や片岡も4番にはいる。アリアスは5番か6番でその長打力を見せつけ、最終的には38本の来日最多タイ記録を残した。7番の矢野、8番の藤本も固定された。この2人はともに3割を打つ活躍で、チャンスを作って上位にまわすという場面も多かった。さらに、ムーアをはじめとして投手も打席で活躍。特にムーアは野手顔負けの好打で自ら決勝点をたたき出す活躍を見せた。
かくして7月までは着実に白星を重ねる。ジャイアンツが入来、清水、清原、ペタジーニら主力を怪我で欠き、ドラゴンズはエース川上のリタイアとクルーズら外国人選手の不調で生彩を欠く。スワローズもエースの藤井が怪我で働けず、カープは4番に期待した新井が機能せず歯車が噛み合わない。無惨なのはベイスターズで、吉見をはじめとした投手陣が崩壊し打線はホームランは連発するがつながりがなく黒星の山。特にタイガース戦にはめっぽう弱く、前半戦でタイガースが独走するのを助けてくれた。タイガースの独走は、こうした形で相手がみな自滅してくれたという巡り合わせの良さもあったといえるだろう。
オールスター前にマジックナンバー49が点灯。長期ロードではムーア、矢野、桧山らが故障で欠場するなどの影響もあって4勝11敗という厳しい結果になったが、前半の貯金がものをいったのと、甲子園に帰ると驚異的に強いという今季の特徴もあり、8月下旬から再び勝ち星をのばす。9月半ばのロードではマジック2としながらも連敗を重ねて優勝目前で足踏みはしたものの、9月15日月曜日、カープ戦で赤星がサヨナラヒットを放ち、マジック1。同日、マジック対象のスワローズがベイスターズに大敗し、18年ぶりのリーグ優勝が決まった。このあと、今岡が故障で長期リタイアしたりしたが、日本シリーズまでの1ヶ月は緊張感をとぎれさせないようにという形で進行した。タイトルホルダーは、最優秀選手、沢村賞、最多勝、最優秀防御率、最高勝率に井川投手、首位打者に今岡内野手、盗塁王に赤星外野手。ベストナインは投手・井川、捕手・矢野、一塁手・アリアス、二塁手・今岡、外野手・赤星。これだけのメンバーが受賞したのも優勝したからだろう。
ところが日本シリーズ直前に星野監督の辞任が明らかになり、動揺が走った。タイガースが日本シリーズ優勝を逃した理由の一つとしてこれはかなり大きなウェイトを占めたのではなかったか。
就任からの2年間で、野村前監督が蒔いた種をしっかりとのばし、FAやトレードで補強をした闘将星野の存在は大きい。どの選手も星野監督にほめられたくてプレーしているような、そんな2年間であった。そして、新しいタイガースは岡田新監督に引き継がれ、常に優勝を争うようなチームとして往時の輝きを取り戻してくれるだろう。この2年は、その準備期間に過ぎなかった。後にそう呼ばれるようになってほしいと、心から願う。
2003年度のタイガースの戦績。87勝51敗2分。勝率.630。セントラル・リーグ優勝。日本シリーズ3勝4敗。
◎愛すれどTigers年間MVP
投手……井川慶 投手タイトルを総なめ。前半は安定していたと言い難いが、ゲームをきっちりと作って打線に助けてもらい、後半は昨年とはうってかわって安心して見ていられる投球をした。20勝は投手の勲章である。
野手……金本知憲 矢野、今岡と候補は多いが、年間を通じて全試合全イニングに出場し、徹底したつなぎのバッティングで打線を引っぱった。藤本や赤星ら若手からも慕われ、移籍1年目とは思えないリーダーシップを発揮した。金本が来なければこの優勝はなかった。
かくして夢のような1年は終った。栄冠をつかんでみせてくれた星野監督は、11月3日の御堂筋と神戸の優勝パレードを最後に縦縞のユニフォームを脱いだ(ファン感謝デーにはスーツ姿で来るのだろうか?)。考え抜かれたコメントは天性のコピーライターという感じがしたし、細かいところへの心配りは誰にも真似のできないものだった。そんな監督の後任である岡田新監督にかかるプレッシャーは大きいだろうが、平田ヘッドコーチをはじめとする星野流を体得した人々とともに自分の野球を作り上げてほしい。
2003年、私はこの年のことを忘れることはないだろう。
(2003年11月3日記)