今シーズンの開幕前、岡田監督は自信に満ちた表情でオープン戦を終えていた。昨年の課題であった先発投手陣は、開幕投手の安藤を中心に、岩田、下柳、福原、アッチソンでまわすことができ、出遅れはあったがファイターズから移籍の金村暁、昨年の新人王の上園、2年目の外国人投手ボーグルソンら予備軍も二軍でスタンバイする状況だった。得点力もFA加入の新井、バファローズから移籍してきた平野の加入で厚味を増し、走塁に対する意識改革も進んだ。
そう、開幕から4ヶ月間、タイガースは文句のつけようのない強いチームとして12球団のトップを走った。交流戦も昨年負け越していたため2位という記録になったが、実際はホークスとは同率首位だった。一番赤星の四死球を含む出塁率はリーグ1位。それを平野がつなぎ、新井か金本のどちらかで返す。五番打者には当初今岡やフォードが入ったがいずれも期待外れ。葛城、高橋光らが日替わりで打席に立つという形になったけれども、それを補う働きを見せたのが6番に固定された鳥谷で、打点は金本につぐチーム2位という結果を残した。7月には早くも優勝マジックが点灯し、タイガースの快進撃の行く手を阻むものはないかと思われた。
もっとも、先発投手陣は4月のうちに福原がバント失敗の際に指を骨折して離脱したのをはじめ、アメリカでは救援専門だったアッチソンの先発としての不安定さなどもあり、交流戦の時期には上園やボーグルソンが先発ローテーションに入り、辛うじて5回までもたせるというような展開になり、リリーフ陣への負担が結局は昨年と同様に重くなっていった。8月以降は藤川の抜けた穴をアッチソンが埋めたが、渡辺と江草がシーズン終盤はかなり疲れたようなそぶりを見せるようになった。敗戦処理の形で投げた阿部が試合を作るということもあったが、勝ちパターンには入れなかった。久保田は「久保田劇場」と揶揄されるほど自分で作ったピンチを辛うじて自分で抑えるというパターンが多く、次第にその座をアッチソンにとって代わられるようになった。ウィリアムスも往年の球の切れがなく、シーズン前に報道されたドーピング疑惑の影響もあったか二軍での再調整という時期が何度かあった。
そして8月。五輪を前に腰痛で欠場していた新井は痛みをおして北京へ。抑えの切り札でリリーフ陣の精神的支柱の藤川、正捕手の矢野の2名も五輪のためにチームを抜けた。3番には鳥谷や関本が入り、野口がマスクをかぶり続けた。抑えはウィリアムスがつとめ、中継ぎの穴を先発から転向したアッチソンが脅威的な活躍で埋めた。長期ロードの中で本来は楽なはずの京セラドーム大阪でカープとベイスターズに6連敗したが、カープには3連勝して持ち直し、当初は先発投手陣がなじみ切れなかった野口のリードがしっかり入るようになってチーム成績も向上し、8月はなんとか五分で乗り切れた。
しかし、五輪組の復帰がタイガースとジャイアンツの明暗を分けた。新井は疲労骨折が判明し、9月末になるまでリハビリに時間を要した。矢野はペナントレースモードに戻れないまま再び毎日先発出場をしなければならなかった。対して12連勝など驚異的な追い上げをはじめたジャイアンツは、前半まるで戦力になっていなかった上原とイ・スンヨプが五輪で復調し、特にイ・スンヨプの後半の活躍は恐るべきものがあった。
気がつけば13あったジャイアンツとのゲーム差は3になり、東京ドームでの直接対決を迎えた。3連敗。東京ドームという凡フライがホームランになってしまうという構造的欠陥を抱えた球場をホームとするジャイアンツは、それに見合った野球で、甲子園という本物の当たりでないとホームランにならない球場に慣れたタイガースの先発投手陣を粉砕した。優勝マジックは7度点灯し、7度消えた。そして、ただ一度だけ点灯させたジャイアンツがそのマジックをきっちり消化して逆転優勝を成し遂げた。「メイクレジェンド」なる珍妙な造語がスポーツ紙の一面を飾った。9月になって今岡と新井がそれぞれ一軍に復帰したが、一時的に活躍したものの好調を維持できず最後はブレーキ役を果たした。10月になり改装のために甲子園球場が使用できないのも痛かった。10月以降の本拠地試合はスカイマークの1試合のみ。夏のロードよりも苛酷な条件でタイガースナインは試合をしなければならなかった。
優勝を逃し、岡田監督は辞任した。タイガースを常勝チームに仕立て上げた名将はシーズン82勝という結果を残しながらベンチから退くことになった。気がつけば、ベンチの中は30代の選手たちが占め、桜井、林、上園、庄田ら期待された選手たちがシーズン通して活躍することはなかった。「アラフォー・トリオ」と呼ばれる金本、下柳、矢野は後半戦、明らかにパワーダウンしていた。そしてジャイアンツのベンチには坂本、亀井、脇谷、鈴木尚、加治前、寺内、山口、越智らがくたびれた先輩たちを押し退けるように中心選手として座るようになっていた。
タイガースの課題は、ベテランを押し退けるほどに若手が成長すること、それしかない。真弓新監督に与えられたテーマ、というよりは平田二軍監督に与えられたテーマなのかもしれない。
2008年度のタイガースの戦績。82勝59敗3分、勝率.582。優勝したジャイアンツとのゲーム差は2.0で今季2位。クライマックス・シリーズでは1勝2敗でドラゴンズに敗れ、2年連続セカンドステージ進出を逃した。
◎愛すれどTigers年間MVP
投手……岩田稔 プロ入り3年目で初めて開幕から先発ローテーションに入り10勝10敗。一度もローテーションから抜けることがなかった。糖尿病という持病を抱えながら、未体験の主戦投手としての役割を無事に果たした。クライマックスシリーズでドラゴンズ吉見と繰り広げた投手戦は圧巻だった。新人王は難しい状況だが、それよりも大きなタイトルをライシーズン以降につかむ可能性の高い投手である。
野手……関本賢太郎 常に誰かのスペアであり続けた男が、ついに規定打席に到達、3割は惜しくも逃したが、三塁、二塁、一塁を守り、一番と四番を除くすべての打順をこなした。ヒーローインタビューでは「必死のパッチ」を連発し、球場内の美化を呼びかけ、下柳と漫才のようなやりとりで満場の観客をわかせた。次代のリーダーは決まった。
タイガースの選手がとったタイトルは久保田の最優秀中継ぎ投手のみ。これだけの成績をあげながら個人タイトルにこれほど名前があがらなかったというのは不思議だが、それが今季のタイガースの戦い方だったのだ。全員がつないで勝ち取る勝利。そこに個人タイトルはつかない。だから、先頭の赤星の出塁率、二番打者平野と関本のバントの数はリーグトップ。でも、表彰はされない。平野はカムバック賞を受賞し、岡田監督が必要とした戦力として十分な役割を果たした。
だからこそ、優勝を逃したことが悔しく、名将を辞任に追い込んだことが悔しい。その原因の一つにタイガースのオーナー付シニアディレクターという役職のある星野五輪監督の用兵があると思えば、なおのこと星野SDにも同様の責任をとってもらいたいと願うのである。
(2008年10月27日記)