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矢野燿大捕手、引退

 その捕手は大型トレードの「おまけ」みたいな感じでタイガースにやってきた。  というと、当時の矢野輝弘捕手を知らない人は、私が悪口を書いているように感じるかもしれん。そやけど、そのトレードを報じる見出しは、「久慈と大豊、交換トレード。関川と矢野も」という調子やったことは、古くからのタイガースファンはわかってもらえるやろう。  当時のタイガースの正捕手は山田と関川と定詰の間で争われ、関川は外野で使われることが増えていた。山田と定詰も決め手に欠けていた。吉田監督は一発の力をもった打者が必要と考え、守備の名手久慈を出してまで大豊獲得にこだわった。吉田監督にしたら、矢野は手薄な捕手陣に厚みを持たせたいというそのくらいの存在やったのと違うかな。  実際、矢野はドラゴンズでは中村の控え捕手で、打力を生かすために外野を守ることも多かった。敵としてみた矢野は、それほど素晴らしい捕手には見えなんだ。  野村監督が就任して、それが変わる。矢野は正捕手に抜擢され、次第に欠かせない存在になっていく。
 大魔神佐々木からサヨナラヒットを放った時の写真であります。このころの矢野はベンチで野村監督の話をよく聞き、「野村の考え」を吸収していった。  星野監督、岡田監督は矢野を信頼して使い、それぞれの監督の優勝時には、日本球界を代表する捕手になっていた。
 2005年の優勝決定時の矢野であります。なんて嬉しそうなんやろうね。  矢野は、感情を比較的はっきりと表に出す捕手で、ストライクボールの判定時に自分が思うたのと違う判定をされたら、「えーっ!」と子どもが文句を言う時みたいな表情をよく見せたものです。サヨナラ打が出たときに真っ先にベンチを飛び出し殊勲選手にとびついていくのは矢野やったなあ。そういうところが、人気の理由の一つやったと思う。  そやけど、40歳になり長年酷使してきた体が悲鳴をあげ始めたんやろう。去年は前半戦を棒に振り、今年もひじの故障で二軍生活を余儀なくされた。
 そしてついに今日、引退発表の記者会見。  覚悟はしてたよ。この歳になって故障と戦うというのがいかに大変なことか。もう今年限りやろうなあ、と。  ようやってくれた。チームを盛り上げ、投手を励まし、ファンを沸かせてくれた。できたらもう一度ヒーローインタビューで「必死のパッチで打ちました!」と言うのを聞きたかったけど、矢野自身が決めたことやから仕方ない。  ドラゴンズ時代の矢野の印象はもうほとんどのタイガースファンの脳裏から消えていることやろう。というよりも、矢野がドラゴンズにいたことを知らない人もけっこう多いかもしれん。それだけ、タイガースで積み重ねてきたものは大きいということやね。  矢野さん、長いことお疲れ様でした。ありがとう。

(2010年9月3日記)


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