ぼやき日記


3月1日(水)

 先日田中哲弥さんから「ハチャトリアンの交響曲第3番はおもろいですよ。持ってますか」と言われて「たぶん、持ってないと思いますよ」などと答え、この前京都に行ったときにさっそく探した。ハチャトリアンのCDは「ガイーヌ」か「スパルタカス」ばっかり売ってて交響曲の録音は輸入盤でもなかなか見つからん。やっと手に入れたのはグルシュチェンコというきいたことのない指揮者がBBCフィルハーモニックを振ったCD。知らん指揮者やけれど、とにかく珍しい曲やからかまへんわと思い、さっそく聴いてみた。
 おお、パイプオルガンの響きにばりばりなる金管が強烈。おもろいおもろいと聴いていたけど、なんかこのメロディは聴いたことがあるぞ。待てよ……。
 CDの棚を探したら、メロディに憶えがあったはずや、チェクノヴォリアンがアルメニア・フィルハーモニー管弦楽団を指揮したCDを持ってた。いかに記憶力が低下してるかようわかるね。しかももともと持ってたCDの演奏の方が気合い満点で野趣のあるもので、これがあったらなにも別な指揮者の演奏なんかいらんやないかというようなもの。チェクノヴォリアンは私の好きな指揮者で彼の振ったムソルグスキーの「はげ山の一夜」なんかも大爆発演奏で愛聴してる。
 つまりわざわざ買うたグルシュチェンコのCDは無駄になったかというと、そういうわけでもない。ハチャトリアンの「TRIUMPHAL POEM」という曲が収録されてて、これにはわざわざ「世界初録音」と肩書きがつけてある。つまりこのCDを買わんかったら聴くこともなかった曲を聴くことができたわけやから、まあよしとしましょう。
 しかし、どんな曲のCDを持ってるかは一応把握してるつもりやったんやけれどなあ。こんなおもろい曲やったらちゃんと憶えててもおかしないのになあ。こうやって人間は老いさらばえ、異郷にて寂しく果てていくのであろうか。ああ悲しい。

3月2日(木)

 2月28日の日記に書いた「究極の汁かけご飯」を試す日がきた。昨日の夕食のおかずに「究極の汁かけご飯したいんでしょ」ふふふと笑いながら妻が出してくれたみそ汁が、今朝ちゃんと残ってたんです。ネタ枯れ気味の日記に話題を提供してくれるとは、なんと素晴らしい妻やろう。それが単純に好奇心からでたものやとしてもやね。
 やってみました。日記に書いたとおりに。
 結論から書こう。汁かけご飯はどんなかけ方をしても汁かけご飯以上のものにも以下のものにもならんということを確認しただけに終わった。ううむ。やはり絵に描いた餅は食われんか。

 1950〜60年代に「ニューリズム」と称して中南米や北米の音楽を日本に移植したものがはやった時代があって、レコード業界こぞって「今年はこのリズムがはやる」とむりやりブームを作ろうとしたらしい。ブギウギ、マンボ、チャチャチャ、カリプソ、フラフープ、ドドンパ、スク・スク、パチャンガ、ロカンボ、ツイスト、チャールストン、マッシュポテト、ボサノバ、タムレ、サーフィン、モンキーダンス、スイム、ホットロッド、ロリポップ、ロックンロール、ゴーゴー、アメリアッチ、メキシカンロックとまあこれだけリズムがあったもんやと思うくらい、毎年毎年とっかえひっかえ出してきたもんですな。
 こういうものばかり集めた「黄金のニューリズム」「魅惑のニューリズム」というCDを以前買うてて、久しぶりに引っぱり出して聴いてたら、まあおもろいおもろい。妻といっしょに笑い転げてました。傑作は「三味線フラフープ」。お座敷でフラフープをして遊ぶというとんでもない歌。「お座敷」で遊ぶというのがまだ一般の文化としてあった時代なんやろうね。「未完成ロカンボ」はあのシューベルトの「未完成交響曲」のメロディをラテンのリズムに乗せた上に日本語の歌詞までつけたという珍品。未完成のあの美しいメロディを崩さんとちゃんとラテンしてるんやから驚き。
 こういうCDは何遍も聴いてしまうし、カラオケで歌いたいとも思うんやけれど、「三味線フラフープ」なんかどこの通信カラオケでも入れてないわな。それどころか「さいざんすマンボ」やら「買物ブギ」というような名曲もあらへんかったりする。ついでにいうと、「ダイナ」「ベアトリ姐ちゃん」「美しき天然」みんなない。私の歌いたいような曲はたいていない。カラオケに行って困るのはこれやね。
 どこか「未完成ロカンボ」をリストに入れる通信カラオケはないものか。誰も知らへん妙な曲ばっかりのカラオケボックスとかあったらええのにな。そんなところはすぐにつぶれますか。あかんか。
 このCD、もうとっくに廃盤になってるみたいやし、よほどお好きな人でないと楽しめないと思うんでお薦めは特にしませんが。いやあ、こういうものは見つけたらすぐに買うとかんといかんということですな。
ゆらむぼさん田中哲弥さんあたりにお聴かせしたいぞ「未完成ロカンボ」。

3月4日(土)

新井素子さん
 東京に行ってきました。何をしにいったんかというと、「日本SF大賞、日本SF新人賞」の授賞式を見に行ったんだ。
「あんた何しにきたの?」といきなり三村美衣さんに言われてしもうた。かまへんやん。私かて業界のはしっこにぶら下がってる人間やから、たまにはそういう「受賞パーティー」なんかにも行ってみたいと思うてた、ただそれだけやんか。
 今年の大賞は新井素子さんの「チグリスとユーフラテス」。ごあいさつのところを写真に撮ったんやけれど、ズームの機能のない悲しさ、ごらんのような非常に見にくいものしか撮られへんかった。しかも最初からビールをがばすか飲んだりしてて、手ぶれの多いこと。
 会場にはたくさんの作家の方たちがおいでになってました。「大薮春彦賞」の授賞式もいっしょにあったんで、ミステリ関係の人も多かったみたい。とにかく知り合いを探すだけでも会場を端から端まで歩きまわらんならん。メールのやりとりだけしててお目にかかるのは初めてという方や10数年ぶりにお会いする方やら全くの初対面の方やらまあとにかくいろんな人にごあいさついたしました。その名前を書き並べるだけでしんどなるので書かへんけどね。
 東野司さんとお話ししたかったけど、私はお顔を知らない。小浜徹也さんに「東野さんを探してるんやけど」ときくと、「ああ、君によく似た顔の人を探しなさい」という返事。そんなに似てますか。2人とも眼鏡をかけてヒゲを生やしてるだけやんか。結局「S−Fマガジン」の塩澤編集長に東野さんのいてはるところまで連れていってもろた。
三雲岳斗さんと青木和さん 杉本蓮さん
 新人賞を受賞した三雲岳斗さん、佳作の青木和さん、杉本蓮さんにも直接お話を聞く。私もかつて童話で新人賞をいただいたことがあるけど、第2作を書くのに「受賞作を超えるものを!」と肩に力が入りすぎて苦労したことがある。そういう経験をまじえて話をする。
 杉本さんは、なんと、この「ぼやいたるねん」を読んでくれてはるとのこと。なんかすごく嬉しかった。名刺を渡して「文庫の解説はぜひ私、喜多哲士に」と先物買いの営業活動もする。写真左から、三雲さん、青木さん、杉本さん。杉本さんはなんと私と同い年。またまた昭和37年組が1人増えましたぞ。
 授賞式のあとのことなんかで、まだまだネタはある。ただ、実は寝不足で頭が働かん。続きはまた明日に。

3月5日(日)

 うーむ、まだ寝不足は解消されず。眠い。なんで寝不足になったかというと、SF大賞授賞式のあと、三次会で徹夜でカラオケしたからであります。そこらへんのネタを今日は何発か書くことにしよう。

 カラオケの面子は山岸真さん、北原尚彦さん、さいとうよしこさん、堺三保さん、福井健太さん、福井さんの後輩さんと私。北原さんと私以外は最近のアニメソングを次々と歌う。私ら2人は何の歌かさっぱりわからんかったりする。北原さんはいちいち「あの、恥を忍んでききますが、これは何の歌なんですか……」と山岸さんに尋ねる。「ああ、これはね、『カードキャプターさくら』」とどんな歌でも一発で答えが返ってくる。ええい、歌うている堺さんもさいとうさんも山岸さんもみんな毎日アニメばっかり見ておるのか。「僕は仕事に関係ありますからねえ」と堺さん。そらまあそうかもしれへん。さいとうさんも「着メロ」本の関係でくわしいのは、まあわかる。問題は山岸さんでありますね。彼はちゃんと仕事をしているんやろうか。人ごとながら心配してしまった私であります。
 とはいいながらも、北原さんと私は古いアニメの歌を歌うていたわけやけれど、「ウラーッウラーッ、ウラウラウラウラーッ」と絶叫する北原さんの姿を熱烈なシャーロッキアンが見たらどない思うかとさんざん言われてはりました。まあ北原さんも昭和37年生まれなんやから仕方ないと思うぞ。
 そこのカラオケボックスには「買物ブギ」も「私の青空」もあって、私は嬉々として歌うておったんでありますが、そういうのを聞いた堺さんが手を大きく広げ、「いやあ、喜多さんと僕のあいだにはこれだけの年齢の差がありますから」てなことをいう。「なんでやねん、一つしか違わへんがな」とやり返すと、急に山岸さんがあわてだした。「いや、こんなところでそんな……落ち着いてよ」。いや別に喧嘩してるわけやなかったんやけど。相手がしょーもないボケをかましたら「なんでやねん」とちゃんとつっこんであげんといかんでしょう。東京で大阪ノリの会話をやるとこういう反応が返ってくるのか。ところで、他の人とは標準弁で話をする堺さんは私と話をするときはきっちり大阪弁になってたりなんかする。私の周辺だけ空間が大阪になってたんやろか。うーむ。
 残念ながら「未完成ロカンボ」はここのカラオケボックスにもなかった。あらへんあらへん。

 というようなことを一晩やっていて、堅気の仕事で昼型人間の私はすっかり寝不足。しばらくは身を慎むことにしよう。

3月6日(月)

 久しぶりに散髪。この前髪を切ったのはいつのことやったか。少なくとも1999年やったことは確か。なんか頭がふくらんだみたいな感じで、そろそろ切りに行きたいなとは思うてたんやけど、とにかく寒うて寒うて今切ったら首筋がすーすーして一発で熱を出すんと違うかと思い、のばしっぱなしにしてた。
 おかげで毎朝起きたらたまらん寝癖がついてしまうようになった。NHK教育TV
「ストレッチマン」で踊ってるしかりんの衣装みたいにふくらむんです。なに、そんな例ではわかりませんか。しかし他にたとえようがないもんで。
 いつも行く理髪店のお兄さんに「やっと温くなったんで、切りにきました」と言うと、「みんなそう言わはりますけどね、お客さん。のばしてる方が風邪をひきやすいんですよ」とのこと。なんでです、ときくと「変にのばしてるとね、頭の中でかいた汗がいつまでたっても乾かんから、かえって冷えて風邪をひくんですわ」と明解な答えが返ってきた。
 ううむ、やはり私は物を知らん。つまり風邪ひきを怖れるあまり、風邪をひきやすい状況を自ら作ってたと、そういうわけか。それやったらうっとしがってんと早いとこ切ったらよかった。
 お兄さんが続けて言うには、「特に子どもさんはまめに切った方がよろしいね。よう遊んで動いて汗をかきやすいから。もともと大人より風邪をひきやすいしね」。そうか、子供たちがしょっちゅう髪を切ったさっぱりした頭をしているのはそういうわけやったんか。
 私の子ども時代は坊主頭にしていた。私の頭を見ては「サボテンの花、咲いてるう」と歌う嫌な連中がいたくらい、短く刈っていた。よう考えたら、今の方が風邪をひきやすい。実は髪形に関係があったんか。まあ、あの頃はスイミングスクールに行ったりして体をよう動かしてて、今はほとんど運動しないということもあるんやけどね。
 ということは、牧野修さんなんかは風邪をひきにくいのかもしれへんぞ。今度会うたら聞いてみよう。
 というわけで、小さなお子さまをお持ちのみなさん、子どもさんの散髪はまめにしてあげましょうね。
 ううむ、こういう結論にするつもりやなかったんやけれど、なんか書いてるうちになりゆきでこうなってしもうた。なにいつものことです。

 明日は所用で遅くなります。次回更新は水曜日の深夜の予定です。それまでみなさんごきげんよう。

3月8日(水)

 元南海ホークス監督、鶴岡一人さんの訃報に接する。死因は心不全。享年87。
 私は鶴岡さんの監督時代は知らない。NHKの解説としてあの独特のだみ声を聞くばかり。作戦評など、実に合理的であるのに感心していたが、最近はあまり出番がないので寂しいと思うていた。野球関係の本を読むと、新聞記者であった尾張久次さんを専属のスコアラーとして採用しデータ野球の基礎を作ったり、無名選手を発掘したりと、非常に目のつけどころがよかったという。
 「グランドには銭が落ちている」という名言や「親分」と呼ばれて慕われたところから、なにか前時代的な根性野球の人みたいな印象を持ってしもうてたけど、そうやないんですね。なにしろ同一チームで23年も続けて監督をし、歴代監督1位の通算1773勝を記録してる人だ。根性論だけでそんなに勝てるわけはない。
 南海ホークスを愛し、ホークスのためなら憎まれ役もかってでた人やったという。野村克也監督(現タイガース)を沙知代夫人の口出しが過ぎるということなどから、チーム成績がよかったにもかかわらず解任を指示したという噂もある。野村監督が記者会見で「ドンに吹っ飛ばされた」と口走ったため、関西方面では鶴岡さんの勘気に触れるのを怖れて、以後どこも野村さんを監督に迎えようとせんかった、という。「関西球界のドン」としてその影響力は大きかったらしい。
 その「ドン」もホークスがダイエーに譲渡され本拠を福岡に移してからは、めっきり元気がなくなった。私の印象に残る写真がある。南海ホークスが大阪球場での最後の試合を終えたあと、通路のベンチにうつむきながら座り込んでいる写真。「日刊スポーツ」の3面あたりに掲載されていたその写真は、「ドン」がよるべきところを失った孤独感をありありと写し出していて、その辛さがこちらに伝わってくるものやった。
 私にとっての鶴岡さんは、名監督でもなく、だみ声の解説者でもなく、自分が全てを賭けたものを最後の最後に失った一人の老人、やったかもしれへん。あの一枚の写真は、そういう人間の悲哀を写して余すところのないものやったと、今でも脳裏から離れへんのです。
 謹んで哀悼の意を表します。

3月9日(木)

 今日は勤務校の卒業式。昨年は3年生の担任やったんで年甲斐もなくだらだらだらだら涙を流しておりましたが、今年は余裕。
 実は昨日、最終の卒業式練習をしたんやけれど、校長役を頼まれた。卒業生約30名一人一人に卒業書のレプリカを渡す。たとえ練習といえども、なかなかじんとくるね。私も現任校には割と長くいてるので、彼らが入学してきたときから知っている。それだけにそれなりに感慨がある。ああ、明日はこの生徒たちとお別れやねんなあ、と思う。彼らにしたら私はたまたま練習の相手に過ぎんわけやけれど、私にしたらこれが彼らとの最後の授業というようなことになるわけでね。アルザス・ロレーヌ地方は明日からドイツ領になります。フランス万歳! 元ネタがわからんと唐突すぎて何のことやらわかりませんな。最近の国語の教科書には「最後の授業」は掲載されておるのであろうか。
 それはともかく、あの卒業証書の授与というのはなかなか気持ちええもんやということが、やってみてわかった。満面に慈愛の笑みをたたえながら「はい、おめでとう」てなことをいいもって渡す。ああ、彼らの門出を私が飾るんや、というような気になってしまう。実は大いなる勘違いやとは思うんやけれど、その気にさせてしまう魔力があるね、あれは。校長みたいなしんどいもんになんでなりたがる人が後を絶たんのやろうと思うてたけど、実はあれをやりたいがためになりたがるんと違うか。なんかそんな気がしてくるくらい。
 実は、式の終わりの方で、フラッシュバックのように昨年のことを思い出してしもうた。すると、昨年のあの涙腺だだもれの感情が蘇り、胸が詰まるような気持ちになった。眼前では今年の卒業生が歌うている。横には今担任をしている生徒が座っている。それやのに、私は1年前の卒業生のために泣きそうになっておるのだ。なんというか、自分がこんなにウエットな人間やとは。困ったもんです。

3月10日(金)

 デビットカードというやつ、私はあんまり使いたくないなあ。銀行のキャッシュカードで買い物ができるという、あれです。店が認証するときにどうしても自分の暗証番号を知らせんならんというやないか。知られたらあかんから「暗証番号」というんやから、知られへんようにしたい。
 だいたい私の銀行のキャッシュカードの暗証番号は、生年月日や電話番号なんかを避けて、誰にも推測されへんような番号にしてある。悪意のある第3者の手に渡ったときにそいつが私の身辺に関係のある番号を調べださへんとは限らへんからね。そうまでして決めた暗証番号をやすやすと人に教えるような無防備なことはしたくない。
 そういえば、学生時代の友人にやたらキャッシュカードを持ってる奴がいたなあ。彼のカードには1枚ごとに女性の名前が書いてあった。なんでも1枚ずつ暗証番号を変えてあって、カードに書かれてる女性の電話番号をそれぞれ暗証番号にしてるらしい。そこまで女性の電話番号を覚えているというのが私には驚異やったね。世の中にはそういうことに情熱を注ぐ奴がおって、それを暗証番号に使うているという、まず私にはでけんことやからね。まあ、独創的な発案ではあるな。誰がカードに書いてある女性の名前を暗証番号のキーワードやと思う。
 私はわざわざそんな個人情報を教えるようなまねをするくらいやったら、やっぱりクレジットカードを使うし、現金があれば現金を使うよ。
 そやけど、無警戒にデビットカードで支払いをして無邪気に暗証番号を人に教えたりする人もいてるんやろうなあ。気にならへんのかなあ。横から暗証番号を盗み聞きして、買い物がすんだ後で財布を盗み、カードから預金を全部下ろすような奴がいるというようなことは想像もせんのかな。まあ、人の預金の心配をしても仕方ないけどね。私は恐い。


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