ぼやき日記


2月1日(木)

 1月27日の日記に歯医者で「アーンしてくださあい」と言うたのを「歯科技工士」の女性と書きましたが、「歯科衛生士」の間違いであるというご指摘のメールをいただきました。それもそうです。私が間違えていました。というわけで、日記本文の方も訂正いたしました。ご指摘ありがとうございます。

 我が家は洗濯機を家の中に置くスペースが作られてへんので、排水口のあるベランダに設置している。我が家だけやない。団地全部の所帯がそないにしてはる。
 ところで、築35年になろうかというこの団地で、今年に入ってから大掛かりな改修工事が始まった。壁面を塗装したり、ベランダの柵を外したり、なかなか大変。人が住んでへんのやったらともかく、生活しているところに工事の手が入るんやからね。
 土曜の昼にゆっくり休んでたらドガガガガガガガガと壁面のコンクリートを掘る音がやかましい。ベランダに出て煙草を一服してたら目の前を工事のお兄さんが横切る。それでもしばらくの辛抱というわけやけれど。
 で、いよいよベランダの本格的な改修が始まるというので、洗濯機もどけんとあかんということになった。なったはええけど、どけた洗濯機をどこにおいたらええねん。風呂場に置いたら風呂に入られへん。反対側のベランダには排水口も水道もない。洗濯でけへん洗濯機なんか邪魔以外のなにものでもない。妻がキャスターつきの台車を買うてきた。洗濯機を台所にでんと置いたら炊事がでけへんから、台車に乗せておいて必要な時には簡単に動かせるという寸法やね。我が妻ながらなかなかうまいこと考えると感心する。
 一人では動かすのは無理なんで、二人がかりでベランダから撤去し、台車に乗せた。これがでかい! ベランダに置いたきりにしてたからその大きさを実感することはこれまでなかったんやけれど、部屋に上げるといかに洗濯機がでかいものか実感しますよ。うちは洗濯機だけやからええようなもんやけれど、乾燥器もある部屋のところは大変です。乾燥器は何軒分かを空き部屋にまとめて置かれるらしいけど、その移動が大変やと思うね。
 というわけで、今月いっぱい洗濯機と同居ですわ。今は場所ふさぎやなあと感じてるけれど、なれたらそうも感じなくなるのかな。洗濯機をベランダに戻したらめちゃめちゃ部屋を広く感じることになるんやろうな。私は昼は仕事でいてへんからええようなものの、家で洗濯する妻はこれからしばらく大変やろうなあ。脱水時に洗濯機ががたがた揺れて台車からずれ落ちたりこけたりせえへんことを祈るしかないな。

2月2日(金)

 電車のプラットホームから落ちた人を助けようとして、逆に駅に入ってくる電車にひかれて死んだ人たちがいる。また、うまく助けることができた人たちもいる。助け出した人に駅長から感謝状を贈るというようなことも報道されてる。
 自分の命も顧みず人の命を助けることのできる人に対して、私は凄いなと思う。私は臆病で自分が大事な人間やから、そんなんようやらん。自分にでけへんことをできる人を羨ましいとも思う。命を落とした人に対しても哀悼の意を表したいとも思う。
 そやけど、と、ヘソマガリな私はこうした美談にちょっと突っ込みを入れたくなる。もうじき電車が駅に入ってくるという緊迫した状態ではあっても、本来ならば素人が線路に降りるべきやなかったんと違うか、と。誰かがプラットホームから線路に落ちたとする。まずすべきは自分が線路に降りることやなく、駅員に通報することやないのか。それでは落ちた人が死んでしまうやないか、それを見逃したら自分があとで後悔するやないか。そういう反論もあるやろうけれど、あえて書くなら、駅員に任せた時点で目撃者としての責任は果たしたことになるやんか。例えば私が線路に落ちたとして、善意の第三者を道連れにはしたくない。
 新聞報道でしかわからへんのやけれど、これらの行為を美談として報道したものばっかり。そやけど、これを美談に仕立て上げるほど無責任なことはないと思うね。その場にいた他の乗客は勇気のない人間やったんやろうか。勝手に素人が線路に降りてもどうしようもないということをわきまえた常識人のはずやね。
 自分の命を顧みずに人を助けようとした人をたたえることはたやすい。そやけど、そういう犠牲的な行為を美談に仕立て上げるのは、なにか危険なことやないかと思う。作り上げられた「美談」を利用して妙な「道徳」を押しつける人間が出ないとは限らん。
 人の命を助けようとする行為は確かに賞賛されるべきやろう。そやけど、それを「美談」にしたらあかんと思う。駅員に通報し、任せることが第一やないか。自分の命を守られへん者が人の命を助けられるかどうか。
 「美談」は、こわい。

2月3日(土)

 今日は節分。街を歩くと、寿司屋の前に行列ができている。年々「海苔巻きのまるかぶり」の風習は広がり、すっかり定着したみたいやね。ここここに書いたように、私の子ども時分には特定の地域にしかなかった習慣やから、意地でもまるかぶりはしまへんで。
 そのかわり、豆は食べる。数え年の数に1個加えただけ食べる。私は親からそない教わった。ゲンかつぎの意味もあるし、これはちゃんと自分に伝わった風習でいきたい。
 ところが、今日は所用で出かけていて、家に帰ったのが23時30分。入浴してこの日記を書いてたら、日付けが変わってしもた。つまりもう節分やない、立春ですわ。あらららら。立春になってしもうたら、いくら豆を食べても厄は祓われへんのと違うかしらん。
 ええい、床に就くまで日付けは変わってへんのや。テレビの番組なんか、深夜放送は25時やとか26時というように放送局では呼んでるというやないか。これはもう気持ちの問題ですからね。2月3日の25時すぎに豆を食べたということにしとこう。
 帰りが遅くなったのは、京都駅から近鉄の丹波橋駅まで乗って、そこで京阪の丹波橋駅に乗り継いだ時に、ホームで20分も待たされたからや。そう、近鉄と京阪が悪い!
 というわけで、今から豆を食べます。寝る前に食べたら胃にもたれそうやけど、とにかく寝るまでに食べたらよろし。

2月4日(日)

 今日は「なみはやドーム」で「PRINCE ICE WORLD 伊藤みどりのLET'S ENJOY SKATING!!」というアイスショーを見に行く。我が家から原チャリで5分ほどのところにありまして、実に便利。アイスショーを見に行くのは初めてで、一度プロのスケーターの妙技を生で、と思うてたんで、前から楽しみにしていた。
 いやいや、予想以上に面白かった。ショーとしての構成がうまい。ソロの演技のあとはダンスチームが群舞をして、次はアクロバットチームの曲芸、また群舞でつないで、コント風のコミック・スケートといったぐあい。リンクの間近の席で見てたんで、スケートのエッジが氷を削る音が聞こえてきたり、目の前でトリプルアクセルのダイナミックな回転を見られたり。
 八木沼純子が可愛い。いやほんま、すぐそばで子どもから花を受け取ってる時にまじまじと見てたんやけど、可愛いわ。それでも、伊藤みどりが出てくると、その印象もかき消されてしまう。
 オーラが出てるね。彼女がリンクに出てきただけで、場内の空気が引き締まる感じ。体を最小限しか動かしてないのに、するーっと滑っていく。自分の力で滑ってるんやないみたい。自然に動いている。そしてスピードがある。速度が他のスケーターとは違う。その上でトリプルアクセルやからね。あれは凄い。
 スケートリンクの側ということもあって、えらい冷えたけど、それはまあ辛抱せな。とにかく、来年もまた見に行きたいなあと思うたくらい、楽しかった。
 面白かったのは、司会の松村充と八木沼純子が会場で売られているペンライトを買うて応援してと宣伝したら、休憩時間のあと、一気に場内で振られているペンライトの数が増えたことやね。1本買うたら次の時も使えると思うて買うてみたら、実はペンの中に入っている薬液が化学反応を起こして光るようにできてるもので、1回こっきりの使い捨てやねんな。妻によると、子どもに買うてやったらしい父親が「あ、これ薬品で光るんやんか!」と悔しそうに言うてたらしい。向こうも商売、よう考えてますな。
 ショーが終わって帰ろうとしてたら、出口のところでなんか売ってる。「これはレアものです! 赤坂プリンスホテルの『ポストイット』!」。そらまあ、赤プリでないと買われへんし、そんなところに泊まることはまずない私からしたら、レアものであることは確かやけどね。しかし、そんな付箋を買うてどないしますのや。プリンスホテルも商売してますな。
 しかし、2時間、別世界に連れていってもらえた感じ。よかったよかったと楽しみを反芻してドームを出た。いつもなら、電車にのって1時間くらいかけて帰る間にまたその面白さをふりかえられるんやけれど、今日は原チャリで5分、妻は自転車で15分。あっという間に日常に戻ってしもうた。あんまり近いところで開催されるのも善し悪しやねえ。もう少し非日常の世界にひたっていたかったなあ。

2月5日(月)

 昨日の日記で「赤坂プリンスホテルのポストイット」が販売されていたということを書いたけれど、妻は「アンケートを書いて渡したらもらえるのと違うの」と言う。実は、二人ともどないしたらもらえるのかよく聞いてへんかったんです。あんまり興味なかったしね。どっちなんかな。ご存知の方は教えて下さい。

 先日、クレジットカードで買物をしたら、店員さんに「こちら、一回払いでよろしかったでしょうか」と問いかけられた。あれれ、私は「一回払いでお願いします」と言うた覚えはないぞ。なんで過去形できくんやろうか、と思うた。そういえば、どこの書店やったか忘れたけれど、「ブックカバーはおつけしてよかったでしょうか」ときかれたこともある。たいていは私の方から「つけんといて下さい」と先に言うんやけれど、その時はつけてくれもなにも言うてへんかったから、奇異に感じた。めったに行かへんけれど、ハンバーガーショップでこちらから言う前に「こちらで食べられるのでよかったでしょうか」といきなり念を押されたこともあるなあ。
 この「こちらから言う前に念を押す」ような聞き方が散見させられるようになったのはいつごろからなんやろう。普通に「一回払いでよろしいでしょうか」ときいたらええのに、わざわざ過去形にする必要はあらへんわな。「わざわざきくまでもないことであるが、念のためにきいておく」という意志を表現するため、ということなんやろうか。それやったら、こんな押し付けがましいきき方をせん方がええのに。なんか耳障りやし、不快やね。
 こういう「相手に気を遣っている」ことを強調する言い方は、かえって「気を遣っている自分」を誇示するみたいやということに気がつかへんのやろか。ほんまに最近の接客業ではおかしな言葉遣いが耳につくことが多いなあ。人とのコミュニケーションのツールとしての「言葉」の貧困になっていく状況を端的に表してるような気がするね。

 明日は都合で更新できません。次回は水曜日の深夜の予定です。

2月7日(水)

 ここのところ歯医者に通っているので、ついつい日記も歯医者の話題になる。
 今日は、長らく抜けたままやった右上の犬歯を作ってもろうた。この歯は、実は乳歯のまま永久歯に生え替わらんと大人になってしもうたもので、もう10年くらい前にとうとう落ちてしもうたところ。その時は奥歯とつながった義歯を作ってもろうたんやけれど、結婚して大阪府パナソニック市に宿替えしてから他の歯医者にかかった時に、新しいのを作ってもろうた。
 この新しい義歯が実にはめにくいもので、ここ数年は外しっぱなし。歯の抜けた部分は大口を開けて笑わん限り目立たへんかったから、そのままにしておいてた。
 今回の歯医者は義歯は奥歯だけにしておいて、犬歯は別に作ってペーストでその両側の歯に貼りつけてくれた。鏡で見ても、それが作り物とはわからんようになっている。痲酔をばかばか打ったりして虫歯の治療には問題がある歯医者やけれど、犬歯についてはこれまでの歯医者よりも手際がよかったんで、奥歯の義歯も作り直してもらうことにした。
 しかしなんですな。ひとくちに歯医者というても得意不得意があるみたいやね。結婚前に通っていた実家の最寄り駅前の歯医者は、虫歯の治療は手際よく、削った部分を埋めるペーストも歯の色に違和感のないものにしていて安心できた。反面、奥歯に金冠をかぶせるのはあまり得意やなかったみたいで、やたらでかい。宿替えした当初に行った歯医者ははっきりいうてひどかった。前の歯医者でつけたブリッジが不具合やったんで歯茎が腫れたからそこに行ってみたんやけれど、ブリッジを外す時に土台に使われていた丈夫な歯まで根本から抜かれてしもうた。私の上の奥歯はほとんど全滅状態なんやけれど、全て虫歯で失うたんやなく、歯医者の腕の悪さで失われたものもあるんですわ、これが。抜けている歯を全て差し歯にしろと勧め、保険がきかんから20万円になると言うた。そんなん払われへんので義歯にしてくれと言うと、前述の通りはめにくいものを作った。あそこに行ったのは失敗やった。
 そやけど、新しい土地に行ったら、どこの歯医者の腕がよいのかというような情報はなかなか手に入れにくいからねえ。かかってみんとわからん。博打みたいなもんです。
 それはともかく、これで大口開けて笑うても歯抜けが気にならへんようになった。まずはめでたい。

2月8日(木)

 今まで空洞やったところに異物が押し込まれると、そこに違和感が生じて排除しようとする。右上の犬歯はまさにそんな感じやね。一日むずむずして気になってしもうた。昨日の今日やからね。もうしばらくしたら慣れてくるんやろうけどなあ。これが入れ歯やったら外すこともできるんやけど、がっちりと貼りついてるからそれも無理。ううむ。

 今日は『トレード大鑑』という大仰なタイトルのムックを買うた。プロ野球のトレードにまつわるエピソードを豊富な写真でまとめたもので、『週刊ベースボール』に発売予告が掲載されていた時からほしかったもの。いやー、江夏はやっぱりタイガースのユニフォームが一番かっこええなあ、とか、落合のジャイアンツ時代の姿は間が抜けておるなあとか、田淵はやっぱり縦縞やないとあかんなあとか、川口は赤いユニフォームの方が黒とオレンジのユニフォームよりも似合うてるなあとか、いろいろと思う。他意はあるけど、まあそれはよろし。
 最寄り駅前のいつも行く本屋で見つけたものは、立ち読みでできた折皺が目立っていたから、買うのをやめにした。もう一軒、いつもあまり行かへんあんまりはやってない本屋に行ったら、美麗なものがあったので、そっちを買う。ムックの表紙は少し固めでビニールコーティングしてあるから、折り皺がつくとめちゃくちゃ汚らしい感じがするからね。どうせ自分もつけるかもしれへんけれど、買う前からついているのとまた違う。
 だいたいムックを立ち読みする人というのは、ふだんあまり本を読まん、つまり本を大切にしようというような心のない人が多いのかしらん。それとも、書店に並んでいる本は売り物やという認識があらへんのかもしれへんな。私はこの類いの本を立ち読みする時は、皺がつかへんようにかなり苦労してページをめくる。スーパーでりんごを手にとってかじったりして味見をした挙げ句にもとに戻すような真似は、したくないからね。
 週刊誌で興味のあるゴシップ記事だけ立ち読みする時もそう。皺がついたり指でこすれて印刷がはげたりせえへんように気をつける。さもなくば、もう既に多数の立ち読みのためにぼろっちくなってしもうてるものをよる。隣で女性週刊誌を立ち読みしている年輩の御婦人なんかは、めくったページを丸めて読みふけってるやないか。ちょっと、ここは美容院の待ち合い室やないでえ。
 今日は美麗なものが手に入ったからええけど、野球のムックなんかは何軒か本屋をまわっても折り皺の入ってるものしかなかったりするから、いつもこううまくはいかへん。
 立ち読みのマナー、なんてものは特に決まってるわけやないけれど、やったらあかんことくらいわかりそうなもんやけどなあ。自分が金を払うて買う時に、立ち読みでしわしわになったのを棚に戻してからきれいなのを探し出して買うおっさんを目撃した時は、さすがにどたまをかち割ったろうかという気になったね。それやったら自分がしわしわにしたのを買えよ。

2月9日(金)

 いきなりメールマガジンの登録完了というメールが来た。「ラズコファション通信」なんてメールマガジンを読む気もないし登録した覚えもない。誰かのいたずらやろう。なにしろ私はフルネームをアドレスにしてるから、偶然の一致という可能性は極めて低い。メールアドレスは公開してるし、いたしかたないといえばそれまでやけれど、いったいどこの誰が何の目的でこういうことをするかね。なんとも困ったもんです。

 妻が風邪をひいた。私も実はここ数日体がだるく、のどが痛い。同じ症状らしいけど、さてどっちがうつしたんやろ。妻のご両親が風邪をひいたんで、妻は実家にお見舞いにいってるから、そこでうつされたという可能性もあるけれど、そこらあたりはちょっとわからん。
 で、連休もあるし、熱も上がり気味やったんでなんとか病院に行ったんやそうです。家の近所にある総合病院で、診てくれるお医者の先生は行くたびにかわったりする。患者の情報はカルテが頼り。妻が長い間待ってやっとのことで診察室に入ると、いきなり「どうです。ぐあいはよくなりましたか」と聞かれたそうな。風邪をひきかけて医者に診てもろうてるのにようなったもなにもないもんやけれど、実は妻は同じ病院に去年の12月に風邪ひきで診察してもろてて、先生はカルテの日付けを見落としたか12月と2月を見間違えたかして、こんな珍妙なことを言うたみたい。妻がびっくりして「風邪をひいたんで診てもらいに来たんですけど」というようなことを言うと、先生もすぐに間違いに気がついたそうな。いくら大阪の病院やいうたかて、先生がボケて患者にツッこまれてどないすんねんな。
 妻が「今週の月曜に実家にお見舞いに行ったんです」と言うと、先生は「ちょ、ちょっと待って下さい、お話はあとで」と言うたそうな。それもそのはず、妻は先生が聴診器をあてている時に話しかけたんですな。小さく響く心音を集中して聴き取ろうとしてる時にしゃべったらあかんがな。そら先生の耳に妻の声がわんわん響いたことでしょうな。妻も無茶をする。先生だけやあらへん、患者もボケてます。
 薬を飲んで、妻はちょっと楽になったみたい。私はさてこれから熱が出るんかな。明日と明後日は出かけんならんというのに、いやはや困ったもんです。

2月10日(土)

 行方不明となっていたイギリス人女性の遺体の可能性のあるバラバラ死体の一部が発見されたというニュースが各新聞の一面を飾っている。
 殺害の嫌疑をかけられている容疑者O氏の性癖に興味がある。白人への異様な執着、薬物を用いて相手を完全な支配下においた形での性交、その様子をビデオに撮りコレクションしているという粘着性。資産家の家に生まれて、物欲は全て満たされる環境にあったみたいやけど、なにか精神的に満たされへんものがあって、とてつもないコンプレックスを、特に白人に抱いているという印象を与えるね。普通はこういうような性的な妄想は現実は行うことはでけへんのやけれど、O氏はそれを実行した。それだけの金があり、それをとどめる者もいてへんかったというわけか。
 しかし、白人女性を中心とした外国人ホステスを揃えたクラブの存在というのは、O氏のような欲望を持った男性が潜在的にかなりいてることを暗示してるように思う。外国人への抜き難いコンプレックスをもった人たちが多数存在するから、そういうクラブの営業が成り立つとするのは極論かな。需要のないところにそういうものは成立しないから、これは当たらずとも遠からずやないかと思うんけどね。
 ともかく、O氏にかけられている嫌疑がほんまやったとしたら、彼がなんでそういう性癖をもつに至ったか、その生育歴が知りたいね。10年以上教師をしていると、生徒の人格形成にどれだけ家庭環境、特に親子関係が重要な役割を果たしてるかということを実感する。O氏がこのようになった根本の原因に家庭環境があったと、そういう風に感じる。ゴシップ的な好奇心もあるけれど、それ以上に一人の人間の人格形成の過程というものについての興味をそそられる人物であることは間違いないね。
 そんな風にとらえてしまうのは、私の職業病なんかもしれへんけどね。


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