ぼやき日記


4月11日(木)

 テレビのCMで(たぶん発泡酒の宣伝やと思う)小泉首相そっくりの人物がいかにも小泉首相が言いそうな感じで商品の宣伝をしているのを見かけた。顔は全く似てへんというのに、その雰囲気がそっくりなんでありますね。どっかで見た顔やなあとブラウン管をにらみつけてると、それがイッセー尾形さんやということに気がついた。
 イッセー尾形さんは物真似を主とする芸人さんやない。独り芝居の俳優さんや。その彼が見事に小泉首相の物真似をしている。と、最初は思うた。そやけど、いわゆる声帯模写や携帯模写とはちょっと違うんやないかなあと思い始めた。例えば、イッセー尾形さんは口調は確かに首相らしくしてるけど、声そのものは特に似せてはいてへん。カツラなんかで首相らしく見せているけど、目を細くしたりというような顔の造作の加工はしてへん。そやのに、そこにいてるのは小泉首相のような人物なんである。
 そうか、これはイッセー尾形さんの芝居なんやと発見した時は、思わず手を打った。尾形さんは「小泉首相」という役を演じているんですね。小泉首相の物真似をしてるという次元やない。ただ似せるだけやなく、「小泉首相が商品のコマーシャルをしたら……」というシチュエーションで演技をしているわけやねんや。
 これこそイッセー尾形さんの真骨頂というべきか。コマーシャルで時の首相の物真似をするというありがちな企画で、彼やなかったらでけへん芝居をやってのけている。その観察眼と表現技法をみごとに発揮して。これこそプロの仕事というべきやね。
 ただ、尾形さんはコマーシャル・タレントやないから、あまりにその演技をみごとにやってしまい過ぎて、見ていた私も商品がなんやったか忘れてしまうくらいインパクトの強い「小泉首相」を表現してみせた。コマーシャルの企画としては面白いし、実に質の高い寸劇ではある。そやけど肝心の商品の宣伝の部分が負けてしまうというのは起用したがわの誤算やったかもね。
 時々こういうプロの芸を見せてくれるから、コマーシャルはあなどられへんね。

 明日は前任校の歓送迎会があるので更新はお休み。次回更新は土曜の深夜になります。

4月13日(土)

 昨夜はこの日記にも再々登場していただいているアニソンファンのA氏やクラシックファンのS氏、そして実はSFアニメのファンであることが判明したA氏とともにカラオケボックスで歌いまくる。アニソンの曲目が少なかったのが残念。さて、現任校でこういう二次会ができる人が見つかるかどうか。まあ、カミングアウトは先のばしでもええやろ。もっとも、現任校の生徒には授業でちらちらとほのめかしをしたりもしたんやけどね。授業できいて私の名前で検索してここを見つけたあなた、遠慮はいらんからオタクな話をしましょうぞ。どんな教師や。こんな教師や。

 上方漫才大賞にますだおかだが輝いたのは実にめでたいことではある。ところが、奨励賞の中川家が受賞を辞退したということで、いささか興醒めやね。なんでも吉本興業主催のM−1グランプリで優勝した中川家が他の賞で大賞を受賞でけへんかったことでグランプリの値打ちが下がるからというのが理由らしいけど、それはちょっとおかしいんと違うのん。
 例えば、直木賞を受賞した小説が山本周五郎賞の最終候補にあがりながら受賞を逃したとして、それで直木賞の値打ちが下がったことになりますか。ならんでしょう。同種の賞でも審査員が違うたら選考基準は違うはず。吉本興業の主張はどう考えてもおかしい。
 吉本側の面子というものもあるんやろうけど、M−1グランプリはまだはじまったばっかりで、上方漫才大賞は数十年の歴史を誇る賞やから、権威という意味では漫才大賞の方が上やないかと、私なんかは思うけどね。M−1グランプリはその場で審査、漫才大賞は何年間かトータルで見てきた上で決まるという違いもある。実際、ますだおかだは以前に奨励賞を受賞してとうとう大賞に輝いたんやないか。それやったら中川家には来年の受賞を期待したらええだけの話でしょう。辞退させる必要がどこにあるねん。
 正直なところ、これは吉本興業の思い上がりとしかとられへんね。上方の笑いは吉本が独占して当然という思い上がりと違うか。松竹芸能のますだおかだが受賞したから辞退させたということと違うか。もしこれが吉本の漫才師やったら辞退させてたか。
 気の毒なんは中川家やね。せっかく伝統ある賞を受賞したというのに、栄誉も賞金も所属事務所の都合でふいにしたわけやからね。本人たちは辞退したかったとは思われへんのやけどね。ますだおかだに大賞を受賞するだけの実力がないというなら別やけど。おそらくお互いにその実力は認めあってると推測できるだけにねえ。
 最近はNGKに松竹芸能の漫才師を出演させるなど度量の広いところを見せ始めていた吉本興業だけに、今回の辞退は実に残念やね。なによりもますだおかだに対する侮辱やないかと思う。

4月14日(日)

 額田やえ子さんの訃報に接する。享年74。吹き替え台本というたらこの方という代表者やった。新聞では「うちのカミさんが……」という刑事コロンボの台詞の生みの親として紹介されている。まだお元気なころ、テレビのトーク番組でこの台詞が生まれた経緯を語ってはったんを思い出した。
 コロンボという人物の台詞は難物なんやそうである。これは最初に「殺人処方箋」などの吹き替え台本を書かはった飯嶋永昭さんがどこかで書いてはったけど、イタリア移民の子孫という設定でなまる上にとにかく回りくどいことばかり言う。キャラクターが強烈すぎてかえって訳しにくいんやそうな。
 額田さんは吹き替えの小池朝雄さんのしゃべり方からコロンボという人物像を組み立てることにしたというてはった。なんでも東京の下町の言葉を意識して使わはったという。額田さんが担当した回のコロンボの台詞をよう聞いてごらん。「よござんすか? よござんすね」てな言葉がポンポン出てくる。英語ではどういうニュアンスなんか知らんが、これはもう吹き替え独自のものやろう。「うちのカミさん」というフレーズもその言葉遣いの中から出てきたというわけ。
 これはもう英語と日本語に堪能というだけではでけへん芸当ですな。様々な文化を知りそれを取捨選択できる感性、そして台詞というものの演出効果、アメリカの俳優と日本の声優の個性、すべてに通じてへんとあかん。
 私は額田さんの書かはったエッセイ「アテレコあれこれ」を昔文庫で読んだ。あれは放送史の資料としても大きな意味のある一冊やったと思う。字幕では清水俊二さんが「映画字幕五十年」(やったと思う。間違うてたらすみません)というこれも貴重なエッセイを残してはるけど、洋画の受容に際して吹き替え台本と字幕の果たしてきた役割は大きい。それだけに、額田さんのような名人の残したものを文化としてちゃんと伝えていかんとあかんと思う。
 謹んで哀悼の意を表します。

4月15日(月)

 タイガースが好調やとつい「愛すれどTigers」を長々と書いてしまう。日記を書きはじめころにはへろへろになっている。そこまでせんでもと自分でも思うけど、手が動いてしまうからしかたないな。なんというかいい時に喜んでおかんとという刹那的な幸福感があるのです。一番優勝に近かった1992年でも結局最後にこけたもんね。長年タイガースファンをしてると、実に疑り深くなる。
 新聞を読むと、熱狂的なタイガースファンが「優勝や!」と騒いでいると報じられてるけど、そのうちの何人が本気で優勝を信じてるやろうと思うね。今だけでも「優勝」という言葉を使わせてもらおうという、やっぱり刹那的な絶叫であると思うな。例えば飯星景子さんは「優勝したら丸坊主になる」と宣言し、月亭八方さんは「優勝したら阪神電鉄の駅のトイレ掃除をする」と言い、亀山つとむさんは「優勝したら日本シリーズの相手チームのホームグラウンドまで歩いて行く」と約束し、山田雅人さんは「優勝したら阪神百貨店の売り子をする」と答えている。これ、おかしないかい?
 そうかて、普通は「優勝でけへんかったらトイレ掃除でもしたるわい、ふーん」というのと違うかい?
 つまり、誰もが心のどこかで「優勝してほしい、しかし例によって例のごとく裏切られるかもしれない」という思いを抱いてるんと違うかな。誰もが「優勝したら」のあとに妙に難行っぽいことを続けているやないか。
 ほんまにタイガースファンというのは業が深いとしかいいようがない。
 私ですか? 私は優勝したら……「優勝記念『ぼやいたるねん』オフ会」を開こうかな。あんまりおもしろくないですか。そうかて、ほんまに優勝するような感じがするもん。あんまり無茶なことは約束でけへんよ。あ、刹那的といいながら、その気になってる!

4月16日(火)

 まだ4月中旬なんか。いやあ、環境が激変するとこんなに体感時間が違うものか。1ヶ月前は毎日が早く過ぎて困るくらいやったけど。
 仕事のリズムをつかむのにまだ時間がかかるし、生徒との接し方も手探り状態。そして、職場の同僚との人間関係を作っていくのもまだまだこれから。それやのに、新たな仕事が待っている。ゴールデンウィークまでこの状態が続くんやろうなあ。10年前、あちこちの学校を講師として転々としていたころのことを思い出す。新しい学校にいくたびにストレスがたまり、足の古傷が痛くなったり未治療の虫歯がうずいたり。現在は妻帯していたりストレスを逃がす薬をのんだりしてるんで痛むことなどはないけど、むしょうにキャラメルをしゃぶりたくなったりしている。これはストレス食いというやつやろか。
 昨年度に同じ養護学校から私より一足早く高校に転勤していった先生が、しばらく養護学校のまわりを歩いたりしていたという話を聞いたけど、それはその人なりの精神安定法やったんやろう。別に元の学校に戻ろうという気持ちはなくても、気持ちを落ち着かせるには慣れた風景を見たりするのが一番やったんやろうね。
 まあ、生徒は明るく楽しいし授業勘も戻りつつあるんでぼちぼちやっていくだけでありますね。最終的には現任校が自分の学校になってしまうのには1年はかかると思う。
 いやほんま、「ゾウの時間、ネズミの時間」ならぬ「転勤前の時間、転勤後の時間」という本を書きたくなるよ。まあ、それだけ毎日力入れてやってるという証拠なのかもしれんけど。

4月17日(水)

 世界史の授業でイスラームを教えるからというわけで初版で買うてから長い間ほったらかしにしていた(積ん読というべきところかもしらんが、本棚に収めてはあったから、こういう場合はなんというんやろ)解説本をとりだしてきて読むというような、そういう付け焼き刃をしていてええんか。もともと知識はあったけど、それを再確認しているというようないいわけはしません。知識はないけど興味はあってきちっと読みたいと思うて買うた本ですからね。まあ買うといてよかった、ともいえるし、こういう機会でもなければまだまだ手に取るのは先のことやったやろうとも思うし。で、ありますからして、全冊揃えて買うた「ちくま文学の森」やら「講談社大衆文学館」やら「夢野久作全集」やら「富士に立つ影」やら「大菩薩峠」やら「山田風太郎傑作大全」やら「荒俣宏コレクション」やら「知の再発見叢書」やらその他もろもろの本もいつかきっと手に取る日がくると信じておるのであります。今月買うたヤングアダルトの新刊ももちろんきっと全部読む日がくるはずやし、大量の架空戦記(未読のものがまたようけあるんだ、これが)もきっときっと読む日がくるはずや。問題は、シリーズの途中まで買うてたけど読まんようになって続きを買わんうちに絶版になってしもうたようなものでありますね。これ、ふと思い立って読み始めたはいいものの途中で切れてしまうことになることははじめからわかってるから、結局手に取らんままに終わってしまいそうな気がする。角川文庫版の「ヴァンパイヤー戦争」がそうです。最後の1冊だけ買い忘れてて気がついたら品切れになっておった。古書店に行った時には探すようにしてるんやけど、みつからんねえ。まあそれほど真剣に探し求めてるわけやないからみつからんのやけどね。角川書店さん、10巻だけ再刊するというようなことは……しませんな、きっと。そのうち徳間デュアル文庫あたりから復刊されていちから揃えるということになるのがオチやな。もっとも、そうなるとそれをきっかけに読み始めたりすることになるかもしれへん。
 それはともかく、そろそろ小説を読まんとあかんな。書評の締切りも近づいてきたことやしね。授業がらみとか書評とか、仕事に関係ない本は読まれへんのか、私は。うううむむ。

4月18日(木)

 SF作家デーモン・ナイトさんの訃報に接する。享年79。私がもっとも海外SFを読んでいた80年代半ばに翻訳された『魔王子』シリーズが印象に残っている。主人公はそれなりにかっこええんやけど、そやからというてヒーローとなるにはいささかセコい人格。敵は『魔王子』というわりにはこれまた小者。それなのにストーリー運びがうまく、ぐいぐい読まされた記憶がある。ハヤカワ文庫のカバーが萩尾望都さんで、それにだまされたというかんじがしないでもなかったけど。それ以外ではアンソロジストなどで活躍したというお粗末な知識しか私にはない。私にとっては『魔王子』の作者。それだけで十分。あれは面白かった。活躍のわりには翻訳の数が少なかったという印象がある。追悼版ということで『魔王子』が再刊されへんかな。
 てなことを書いてしまいましたが、そのあとご指摘のメールをいただきまして、『魔王子』の作者はジャック・ヴァンスであるということを思い出しました。この日記の記述はないことにしたいのですが、一度書いたものをこっそり隠蔽するのは私の信条に反しますので間違ったまま残しておきます。
 間違いをおわびしつつ、謹んで哀悼の意を表します。

 今日、「哲学入門」という授業で「友人」をテーマに生徒たちにそれぞれの友人観を書いてもろうた。その中で「メル友は本当の友達か?」という質問をしてみたところ、意外なことに本当の友達といえないという答えが多かった。これはおそらく携帯電話のメル友とパソコンでのメル友とはっきり区別せえへんかったからやろうと思う。
 携帯の場合はメールを送るにも文字数は限られているし、端末で辛うじてつながっているという感じになるから友達としては関係が深まりにくいのかもしれんな。携帯のみのメル友というのがいてへんからそこらあたりは想像するしかないわけやけど。
 それに対し、例えばホームページを見ているうちに知り合ったメル友というのは、その人の考え方やとかもわかるし、送る文字数も多い上に、メールのやりとりも携帯に比べるとゆっくりしたもんやから、それだけいろいろと考えてメールは書けるからね。わりと腹を割って本音を語り合えたりできる。昔の文通に近いかもしれん。
 それにしても(うちの生徒だけかもしれへんけど)若い世代が意外に直接のおしゃべりやなんかを重視していたりするというのが、私としては興味深かった。
 さて、あなたはメールのみで面識のない友人を本当の友人と感じてはりますか。

4月19日(金)

 歓送迎会は一次会で辞去し、帰宅してからメールをチェックすると、次々とツッコミがきておりました。
 はいそうです。『魔王子』シリーズの作者はジャック・ヴァンスです。デーモン・ナイトではありません。
 ちゃんと調べて書けばええのにうろ覚えをそのまま書くからこないなる。
 古沢嘉通様、風野春樹様、伊藤正一様、向井淳様、白城様、ご指摘ありがとうございました。ジャック・ヴァンス様、すみませんでした(ヴァンスさんからメールがきたわけではありません)。デーモン・ナイト様、ごめんなさい(ナイトさんからメールがくるわけがない)。
 今後はちゃんと調べてから書きます。あ、前も同じようなおわびを書いたような気がするぞ。うー。何の進歩もありゃせんじゃないかいな。わしゃアホじゃ。うー。

 明日は「日本芸能再発見の会」例会で作家の難波利三さんの話を聞く(くわしくはこちら)。よって更新はお休み。日曜日は「たちよみの会」なので、ぜひご参加のほどを。次回更新は日曜深夜の予定です。


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