ぼやき日記


9月1日(月)

 昨日は興奮していて「鉄腕アトム」についてぼやくのをすっかり忘れてた。
 第21話は「湖の怪物」。いきなりお茶の水博士が行き先も告げずに出かけようとする。科学省の長官がそんな軽率な行動をとってええんか。で、お茶の水の代わりに汚染が進む湖の調査に行くのが秘書の夕子。おい、専門家を派遣せんでええんか。私はもうここでげんなりしてしもうた。夕子とアトムが湖に着いたら、わけのわからん女性がいたので、こいつが廃棄物を湖に捨てとったりしたら当たり前すぎて怒るぞ、と思うていたら、やっぱりこの女が犯人やった。しかも部下の女性を二人率いてポーズをとってアトムの前に登場する。湖にいるから「レイクエンジェル」と名乗ったらおもろかったんやけれど、さすがにそういう遊びは無し。あ、こいつらのチーム名を忘れたぞ。「ダーティーガールズ」いや違う。とにかくなんでか知らんがチーム名をつけておる。そんなチーム名をつける意味があるんか。湖には役人のくせに湖に住むといわれる幻の怪物を追う若者がいて、彼の父が作った恐竜型の潜水艦が偶然浮上してきてアトムを助ける。
 なんかもうぼやく気にもならん。もっともっと納得できる設定にしてほしい。今のアニメは質の高いものが多いから、子どもたちもこんなシナリオではあほらしくなるんやないか。バカバカしさでは「アバレンジャー」に負け、テーマの重さでは「仮面ライダー555」に負けている。私は「明日のナージャ」は見てへんけれど、妻の言ではかなり微妙な心理描写をしているらしい。この3本を子どもたちが続けた見たあとで「鉄腕アトム」を見ているとしたら、もうとっくに見るのはやめてるやろうなあ。
 シナリオは長谷川圭一。マーク・ハンドラーでもジョー・ダンブローシャでもなかった。私はてっきりこの2人のどっちかと思うたぞ。私はどこまでアトムをむちゃくちゃにするのか、最後まで見届ける気でいる。手塚ファンとして、これを見過ごしたくない、そういう気持ちやね。

9月2日(火)

 マジック9です。早かったら9月7日には優勝が決まってしまいます。私はその日をどのように迎えていることでしょう。18年前の優勝のときには、胸の奥から込み上げるものを抑え切れませんでした。泣いてました。一生タイガースの優勝は見られへんと思うてあきらめてただけに、それでも応援を続けていただけに、目の前にあるテレビの画面で吉田監督が胴上げされている姿を見て、なんともいいようのない感激が私を襲ったのでした。あれから18年。1997年にホームページを立ち上げることにした時、まず最初に決めたコンテンツは日記と読書感想文、そしてタイガースのページでした。自分が商業誌でしたきた仕事をネット上に保管、公開しようというようなのは、最後の最後に思いついたのでした。1998年はそれでもまだ1週間のタイガースの戦いぶりを雑感的に書くだけやったのに、翌年からは1試合ごとの試合評までだらだらと書くようになりました。たまに勝ったというては「タイガースは変わった。ちゃんと野球をするチームになった」などと喜び、負けたら負けたで「この粘りを大事にしていけば、主砲不在でも互角に相手と戦える」とよいところを探したりしたものであります。ここまでやって何か役にたつのかというと、「去年の今ごろはどうやったっけ」と確認するくらいでしょうか。だいたい何のために確認するのでしょうか。タイガースがらみで、ものかきのお仕事がきたのは1回だけ。しかもそれは野村監督の進退がどうかという時に簡単なコメントを求められただけでした。むろん、タイガースファンを売りにして仕事を得ようなどという魂胆なんか一切ありません。なんでここまでタイガースが好きなんか、わけがわかりません。理屈やないんです。
 マジック9です。もうじきタイガースが優勝するのです。そして、それを記録としてホームページに記すことになるのです。嬉しいです。「タイガースに優勝してほしくないタイガースファン」なる人たちが本を出したりしてます。それも一つのあり方かもしれませんが、そういう人は優勝が決まったらどこか他のチームのファンになって下さい。その年ごとに最下位のチームのファンになり、ああまた負けた嬉しいひいひいひいとよがっていたらええんです。私は、嬉しい。嬉しいから、1行だけでおしまいにして他のことを書こうとしていた日記やのに、こんなにだらだらと意味もなく文章を書き連ねてしまうんです。ほんまはO阪府K育委員の批判を書くつもりやったんです。なんでこんなことをだらだらと書いているのでしょう。
 マジック9でこうですから、優勝したらどないなるか。自分でも想像できません。今日はこのくらいにしといたります。明日はまともな日記を書きます。みなさんごめんなさい。なんで人の仕事やのにこんなに興奮してるんでしょうか。関心のない人から見たらアホに見えるでしょうね。アホやからしょうがないんです。ああ、また続けてしまいました。今日はもうおしまいにします。すみませんでした。それにしても、ほんまにマジック9なんでしょうか。頭をどつかれたら夢から覚めたりするのでしょうか。信じてええんでしょうか。あ、また続けて書いてしもうた。今度こそほんまにやめます。この続きはまた明日。いやいや明日はまともな日記になるはずで、その予定で、今から予告しておきますが、ボッティッチェリのことを書きます。タイガースってなんでしょう、マジックは商標登録の油性インキのことです、というような日記になるはずです。お楽しみに。

9月3日(水)

 ボッティッチェリの「春」やら「ビーナスの誕生」などの絵を見ていた生徒が、「みんな太ってるねえ」としみじみ言う。「それはね、昔は女性は子どもを産む性として太っていることが豊かさの象徴になっていたんや。そやから太った女性が美しいということになるんやね」。私がそう説明すると、その生徒は「喜多先生はやっぱり社会の先生だねえ」とこれまたしみじみ言う。いや別に、社会科の教師やからとかそういう問題やないでしょう。まあいうたら常識の範疇にはいることやないんかなあ。もっとも「飽食の時代に育った今の子にはわからへんかもね」とはその話をきいた妻の弁。ちなみに楊貴妃はでっぷり太っていて足は纏足やったから一人ではよう歩けなんだ、という話を高校時代に世界史の先生からきいたのが記憶に残っている。「マンガ世界の歴史」なんかでは現代風の美人に描かれたりしていて「嘘やん」と笑うてしまいますが。
 というわけで、予告どおりボッティッチェリの話を書きました。おもろないですか。すんまへん。毎日熱暑で疲れ切ってましてろくな文章が書けません。
 ところでマジックは7です。ああもう平常心ではいられんわい。

9月4日(木)

 今日も暑かった。私は汗かきなもんやから、いつも塩水をぶっかけられたみたいにずくずくになっている。今日は黒のポロシャツを着ていたんやけれど、ずくずくになった後で冷房のきいた部屋に入り、シャツが乾くと汗の塩分だけがシャツの表面に浮き出る。ほんまに汗には塩分が含まれてるんやなあと感心する。また冷房のない場所に行く。当然ずくずくになる。風のあたる場所に行くとシャツが乾く。さらに塩分が浮き上がる。
 黒いシャツに白い絞りの模様を入れたみたいや。その模様もなんかロールシャッハ・テストみたいな模様やね。妻から黒いシャツは当分着ない方がええなあと言われた。私は黒いシャツが実は好きやねんけどね。しかしまあこの連日摂氏35度を超える猛暑では、やっぱり黒シャツはあかんな。実はこれは絞り染めのポロシャツなんです、というてもごまかされんか。
 早く涼しくなれーい。ほんまに頭が暑さでぼけるぞお。

9月5日(金)

 矢野の劇的なサヨナラホームランでタイガースのマジックは6に。勢いというのはすごいもんやなあ。ああもうしびれましたとも。

 「なにわ研究」という授業で上方落語のビデオを見せている。夏休み前には六代目松鶴の「酒の粕」を見せたけど、軽い噺なんで松鶴師匠の魅力を伝え切れなんだ。今日は人間国宝、桂米朝師匠。こちらはいろんな噺の映像を録画している。その中で何を見せたいか。自分が一番米朝落語で感動したものがよかろう。で、「たちきれ線香」を見せる。落語というものに親しんでへん生徒ばっかりやから、「天狗裁き」あたりのほうが面白いかもなあと思いながら、そやけどもしかしたらこれを見て落語が好きになってくれるかもしれんと思いつつ、ビデオを再生した。寝てしまう生徒もいてた。金曜の午後の授業やもんな。また米朝師匠のゆったりした語り口やと心地よくなる生徒もいてるわな。それでも最後までしっかり見てくれた生徒もちゃんといて、「先生、なんかじんときたわ」と言うてくれたのにはこちらもじんときた。もう一本、春團治師匠の「いかけや」も見せる。こちらでは羽織の脱ぎ方がかっこよかったという感想が聞けて、満足。学校やと舞台鑑賞と称して落語を聞かせる場合が多いけど、ネタを「初心者にもわかりやすいもの」という観点で選ぶから、どうしても前座噺が多くなる。ここはやっぱり寝る者が多くてもええから、大きなネタを聞かせたいところやね。そやなかったらほんまに「鑑賞」したことにはならんと思うからね。
 それにしても「たちきれ線香」はなんべん聞いてもええなあ。三味線の音が途絶えて「小糸、小糸、どないしたんや?」と若旦那がきくところ、私、あそこでいつも胸がつまります。ほんまもんはやっぱりええなあ。

9月6日(土)

 本日で満41歳。「私は誰でしょう」の年齢のところを変更しました。ハッピー・バースデイ・トゥー・ミー。

 漫画家の青木雄二さんの訃報に接する。死因は肺ガン。享年58。まだ還暦にも達してなんだとは。ポートレートを見ると、年寄りもぐっと老けて見えた。それだけ若いころから苦労を重ねてきたんやなあ。男の顔は履歴書というけど、私のようにいつまでも頼りない顔をしているのは、やっぱり苦労が足りんのやろうなあ。
 「ナニワ金融道」を友人Yくんから見せてもろうたときには、正直度胆を抜かれた。高利貸しをモチーフにして人間というものを描き尽くす内容、平面的やけれど一度見たら忘れられんタッチの絵。これは経済原論の教科書やと思うた。しかも、「ナニワ金融道」の連載を終えると「漫画家卒業」を宣言し独自の金融評論で活躍というのも異色やった。「島耕作」シリーズと比較してみたら、その人間の暗部のえぐり方の違いがよくわかる。零細労働者として地べたを這いずり回っていた者と大企業のサラリーマン出身の者の違いというのが明確に出る。
 新聞記事によると「ナニワ金融道」の連載開始が1990年。連載終了が1997年。漫画家生活はわずか8年ほど。売れてから10年強。遅咲きの桜は華々しく咲いて、さっと散った。
 謹んで、哀悼の意を表します。

9月7日(日)

 タイガースの優勝マジックは5に減った。来週中には胴上げ、ですね。まず間違いない。テレビのニュースで山藤章二さんが「熟した果実が自然に落ちるのを待つ心境」と言うてはったけれど、さすがにうまい表現やなあ。

 「鉄腕アトム」第22話は「さよならプリンセス」。ロボットが生活に溶け込んでいる様子を視察にきたお姫様とアトムたちの交流、お姫様を狙う王族の陰謀をアトムたちが防ぐ、という話。典型的な「ローマの休日」パターン。悪人が黒いスーツにサングラスという見るからに悪役といういでたちなのはアメリカ売りを考えてのことやねんやろう。ほんまの悪人ほど悪人らしく見えへんもんやというようなことを考えて作ってたんでは、単純な頭の子どもたちにはわからんやろうという心暖まる配慮やねえ。馬鹿にしたらあかんよ、と思うけど。
 話自体はまとまっていたけれど、うまいこといきすぎでどきどきもわくわくもしないというのが難しいところかな。

9月8日(月)

 自民党総裁選挙告示で新聞はにぎわってるけど、なんか盛り上がらんなあ。ここはやはり野中さんが出馬して小泉首相と一騎討ち、くらいでないと。誰か首相になってもおかしくない、というのが自民党総裁選挙でしょう。失礼ながら、藤井氏、高村氏は実績で見劣りがし、静香ちゃんは首相になるにしても失言をぼこぼこしそうで怖い。いっそのこと静香ちゃんが総裁になって総選挙をし、菅首相の誕生、というようになったほうがええかもしれん。
 どっちにしても小泉総裁の再選は堅いでしょう。結果が見え見えでほんまにおもろない。派閥というのは弊害もあるけれど、自民党内で小さい政党が政策を競い合うという側面もあった。そういうものが見えなくなった以上、派閥なんぞに何の意味があるのか。
 「凡人・軍人・変人」が争った小渕、梶山、小泉の時の総裁選、そして小泉対橋本の一騎討ち的な戦いになった前回の総裁選などは物足りないまでもまだ首相を決定するというような重みがあったなあ。吉田学校の繁栄、そして三角大福の抗争、いずれもドラマチックでスリリング。日本から「政治の時代」は過ぎ去ったという気がする総裁選でありますね。

9月9日(火)

 タイガースは負けたけれど、カープも負けたんでマジックナンバーは4に。実況アナウンサーはテレビでもラジオでも負けてるのに余裕しゃくしゃく。というか、甲子園で決めてほしいから負けても平気という感じかな。
 仕事から帰ってマンションのエレベーターに乗ると、買い物帰りの妻と偶然に乗り合わせる。えらいようけ買い物をしてるなあと思うたら、なんと近所のスーパーでは「阪神おめでとう ちょっと早めのVフェア」と称して安売りをしていたんやて。なるほどねえ。そういう手もありましたか。いつ優勝が決まるかわからんから、仕入れの量や売り切るタイミングなんかを調節するのは確かに難しいわな。関連企業やったらそういうわけにもいかんやろうけど、どうせ便乗バーゲンやからね。もう優勝は決定的やからこういうこともできる。こちらも余裕しゃくしゃくの部類かな。
 それにしても優勝決定は甲子園でしてほしいやとかなんとかいう贅沢なことを言えるやなんて、信じられへんな。これが接戦やったら「どこでもええから早いとこ優勝を決めてほしい!」と悲痛な叫びを発しているところやろうに。贅沢を言うたら罰が当たるぞ。

9月10日(水)

 総合学科だけにある「産業社会と人間」という科目(私の勤務校では「ライフプラニング」と呼ぶ)の一環として、北野勇作さんの講演を企画し、今日がその当日。高校1年生の生徒たちに「夢をかなえる」ということについて自分の体験を語ってもらう。
 北野さんにはかなり無理をいうてお願いした。公立高校のこと、それほど高い謝礼も出されへん。北野さんもSFファン対象で講演や対談はしても、高校生相手は初めてということで「ほんまに僕でええんですか」と言うてはったんやけれど、私は「ぜひお願いしたいんです」と押し切った。
 北野さんは、自分が作家になりたいと思うたきっかけや、就職して仕事をしながら原稿を書いてはった時期のこと、新人賞受賞をきっかけにフリーになった時の気持ち、本が出ない時期でもずっと書き続けてはった頃のことなどを高校生たちにていねいに語りかけてくれはった。そして、高校生の時期に「自分の好きなこと」を見つけてほしいと呼びかけてくれはった。
 ああ、北野さんにお願いしてよかった、と思う。
 生徒たちは「一番好きなことをやっている者にはどうやったって勝たれへん」という言葉や「好きなことを続けるというのは〈努力〉をするということではないと思う」という言葉が印象に残ったようで、感想のプリントにも「北野さんのように、好きなことを見つけて夢がかなうように続けていきたい」ということを書いてくれていた。
 もっとも、作家の講演というものを初めて聞く生徒たちがほとんどで(高校1年生やったらあたりまえかな)、こちらで用意したペットボトルのお茶を北野さんが飲むのに妙に反応していた。講演会では講師がしゃべっている途中でのどを湿すのは当たり前やねんけどね。水差しがあればよかったんやけれど。
 もったいないことに居眠りをする生徒もいたりしたけれど、真剣に聞いてくれる生徒もかなりいたんで、私としては成功したと思うている。今日、わからんでもええ。将来、何かの折りに今日の話をちらっとでも思い出してくれたら嬉しい。それだけでも北野さんにお願いした値打ちはあると思うている。
 講演を承知してくれはった北野さんに感謝している。そして、私のわがままを許してくれた同僚の先生方にも。
 SFファンのみなさんにもお聞かせしたかったなあ。でも、学校の授業やからね。すんまへん。

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