ぼやき日記


5月11日(月)

 今日は一日肌寒い。雨も降ったり止んだりしていてなんともうっとおしい。この前ニュースで「沖縄が梅雨入り」などと言っていたが、へん、大阪なんか4月からずっと梅雨だわい。すかっと晴れた日なんて数えるほどしかないぞ。梅雨の晴れ間とでもいうのか、そんな感じだ。今さら梅雨入りだのなんだのといわれてももう遅いぞ気象庁。

 今日はえらく道が混んでいる。ゴトビというやつであるな。5のつく日と10のつく日を5(ゴ)・10(トー)日と呼ぶのである。これらの日はたいてい集金日になっていて、そのために売り掛け金を回収しようとする集金の車でごったがえすのだ。今日は11日だけれど、10日が日曜日だったので今日が集金日ということになっているのだろう。しかし、銀行振り替えがこれだけ発達したご時世にこんなに道が混むというのはどういうことだ。大阪は中小企業が多いので、現金をじかに見ないと得心しないというのだろうか。金融不信が続くので「ほれ見なはれ、やっぱり最後に信用できるのはゲンナマですわ」とかいうことにでもなっているのだろうか。キャッシュレス時代だのなんだのといっても、大阪は別世界ということなのだろうか。ようわからん。

 どっちにしても雨は降る、道は混む。原チャリ通勤の私にはいやーな朝。そんなことをこんなところでぼやいて人に読ませたからといって何も解決するわけではないのだが、こんな日に限って朝寝坊してギリギリの時間に出かけ、焦りまくっていた。事故を起こさなくてよかったよかった。

5月12日(火)

 食後、アイスクリームを夫婦して食べる。カップに入ったアイスである。二人ともふたを取るとおもむろにスプーンでふたにへばりついたアイスをすくう。子どもみたいなことをしている。
「うちのお流儀やねン」と、妻はいう。流儀とは知らなんだ。
「こう、三回まわして、指をこことここにかけて……」、とポーズをとる妻。
「わしづかみではあきませんか」。私はカップが小さいのでむんずとつかんでいる。
「わしづかみでは冷たい。あっ、冷た!」。わしづかみでなくとも指先は冷えるようである。
「そら冷たい。フリーザーにはいっていたんやから」。
「これぐらいで『冷たい』言うてたらあかん。お作法がなってない」。
「『冷たい』言うたンは、あんたやんか」。
「そやから自戒してンねン」。
 たいして意味のない夫婦の会話であるが、だんだん吹き出しそうになってくる。しかし、ここで笑ってしまってはお作法がなってない。妻がボケたら私が突っ込み、私がアホなことを言うと、妻が鋭く追及する。これぞ正しい夫婦の会話ではあるまいか。
 もっとも、突っ込まれたらシャレにならんこともあるからなあ。自戒しておこう。

5月13日(水)

 今日はタイガースの試合はTV中継がないのでラジオで聞く。ラジオのCMには時々秀逸なものがあって、伊武雅刀が出演している信販会社のCMなど新しいバージョンが出るのを楽しみにしているくらいだ。
 しかし、多くのCMは聞いていて情けなくなる。それどころかあほらしいと思い、何度も繰り返し聞かされると腹のたつものもある。
 たとえばある有名な鞄会社の宣伝。
 若い女性が二人、渋い中年をウォッチングしている。あれこれほめる中で持っている鞄もほめ、その鞄を持っているからにはエリートだと片方が断じる。もう片方がなぜそんなことがわかるのか尋ねると相手は小声で、しかし誇らし気にこういうのだ。
「うちのオ・ヤ・ジ」。
 そんなことをいう娘というのはいるのだろうか。最初は「なに言うてるねん」と聞き流していたが、何年も同じものを聞かされていると、いいかげん腹がたってきた。
 新幹線に乗っている二人組の女性が土産や弁当を売りにくる女性パーサーを見ながらやたら「憧れる」だの「かっこいい」だのとほめちぎる宣伝にもいいかげん腹がたってきた。客が売り子さんをほめる形をとりながら、実は自分で自分のことを「かっこいいでしょう」といっているわけですね。そこまで自画自賛するな、と突っ込んでしまう。
 他にも姑が嫁に対して流し台をほめちぎる宣伝とか、くだらないのに同じものを飽きもせずに何年も流し続けている宣伝はたくさんある。
 ラジオのCMは同じものを一日何度も流すわけだから、もう少し気がきいていて飽きのこないものにしてほしいなあと、TVを見るよりラジオを聞く時間の長い私なんかは思ったりするのである。
 ラジオをあまり聞かない人にはどうでもいいことかもしれないな、これは。

5月14日(木)

 今朝の「日刊スポーツ」を読んでいた妻が、ある小さな記事を見つけた。
人気女性漫画家ねこぢるさん自殺していた
 自殺したのは今月10日。発見者はご夫君の漫画家山野一さん。「ねこぢるさんはトイレのドアノブにひもを掛けて首をつり、すでに死亡していた」という。「遺書はなく、自殺の動機はわかっていない」そうである。
 私はねこじるの熱心なファンではなかったが、久しぶりに出てきたナンセンスマンガの旗手というイメージを持っていた。「ガロ」出身らしく、ナンセンスでありながらかなり理屈の先にたつマンガではあったが、その感性には独特の持ち味があり、CD−ROM化されたりとマルチメディア時代にふさわしい人気であったと思う。
 ナンセンス・ギャグを書くマンガ家は消耗が激しいという。ただ一本線を引くだけで笑わせていたマンガ家が突如生彩をなくし、あっという間につぶれていく例は枚挙に暇がない。特に計算されたようなギャグマンガの書き手は行き詰りかけると一気に奈落の底にたたき込まれるようだ。そのへんは大泉実成「消えたマンガ家」(太田出版)や、とり・みき「マンガ家のひみつ」(徳間書店)等のマンガ家インタビューを読むと特に強く感じる。
 ねこぢるも行き詰っていたのだろうか?
 新聞には元X−JAPANのhideが自殺したことと関連づけようとしていたが、特にファンだったというようなことはないようである。
 若くして才能のあるマンガ家が自らの命を絶ったこと、それがいささかショックであった。
 享年31。なぜ死を選んだか、これから解明されていくのだろうが、おそらくナンセンスマンガ家の限界というものをまたもや突き付けられるということになるのではないだろうか。ナンセンスマンガの好きな私としては、辛いことである。

 5月6日の日記から5月9日の日記まで書いた「SFセミナー合宿レポート」で大野万紀さんのお名前を間違っていました。ご本人よりメールをいただき、誤りを指摘していただきました。本文の方を直しておきました。本当に申し訳ありませんでした。

5月15日(金)

 数日前からインドの核実験について書こうとしては消し、を繰り返している。
 核実験そのものはすべきではないと思うし、そのことについてインド政府を非難することはたやすい。新聞の投書欄にもそのような投書が載りつつある。原水爆=悪、という図式でいけば、反対意見はいわば絶対善。こんなに書きやすいものはない。
 しかし、ちょっと待てよ、と思う。
 私がインドについてこれまでどれだけのことを知っていたか。また知ろうとしてきたか。インドとパキスタンの対立の歴史は知識としてはある。それが現在どのようになっているかなどということは、たとえ新聞の1面に載っていたとしてもずっと見過ごしてきているのだ。
 そんな者がインド政府に何を偉そうに言えるのか、という気がしているのだ。核実験という行為そのものだけは批判できても、だ。なぜインド政府がそこまでいったのかということなど何も知りはしない。
 インドネシアの暴動についても、だ。スハルト大統領がこれまで何をしてきたか、わずかでも関心をはらってきたのならともかく。
 私が言えるのはこれだけ。
「みんな貧乏が悪いんや」
 全アジア的不景気という背景がなければ、ここまでエスカレートはしなかったであろうと思うわけである。景気が悪い→政府が悪い→パキスタンが悪い→核実験。景気が悪い→政府が悪い→華人が悪い→暴動。誰かのせいにしてしまえば簡単だ。暴力的行為で解決しようとするのはもっと簡単だ。インドやインドネシアだけの話ではない。大統領の支持率が下がるとすぐに仮想敵国に攻撃をしかけようとしたり、黒人が韓国系人に対して暴徒と化したり、お手本となる国が大平洋をはさんでデンと座っているではないですか。
 核実験はいけないと思うが、半可通のくせにしたり顔で説教たれるような真似はしたくない。そんなこんなで書いては消し書いては消し。
 とにかく、絶対的正義を背景にこれまでインドのことなど気にもとめていなかった人たちが通ぶってえらそうに意見を投稿したりするのだけは、とても恥ずかしい行為であるように思う。だから、この件に関しては私はなにか言いたいのだけど、言えないのだ。

5月16日(土)

 親分肌という言葉がある。
 一人の人間がそれよりも下位の人間を率いていろいろな面で面倒を見る。
 かつてはそのような人物がいた。例えば、石原裕次郎。石原プロを率い、石原軍団と呼ばれるチームを作り、石原裕次郎がTVドラマなどに出る時は彼の傘下の俳優たちが顔を揃えた。例えば、橋田寿賀子。彼女が脚本を書いたドラマには常に同じ顔ぶれの役者が揃う。その脚本に疑いを持つと、その番組には出られない。安田成美はそのために朝ドラを降板しなくてはならなくなった。
 そのグループに入っているとそれで自分のポジションもあるし、楽なことは確かである。しかし、そのポジションから踏み出すことは難しくなる。なによりもその親分がいなくなると、その集団のまとまりはとたんに悪くなる。親分はある種のカリスマ性を持っていなければならないからである。
 子分たちが次々といなくなった時、その親分は孤独になる。過去の名声のみが残り、後は何もない。
 私は親分の傘下に入りたいとは思わないし、自分のポジションは自分で決めたい。たぶん、現代においては一人の親分に率いられることを潔しとしない人間が増えつつあるのではないかと思う。カリスマ性のある親分が子分を率いて思うがままに生きていく。それが許される時代ではなくなっているのではないかと思う。
 かつて「シナトラ一家」を率いていたフランク・シナトラの訃報に接する。私には若いころの「錨を上げて」などのミュージカル映画に出ていたシナトラが好ましく思われる。功なり遂げてぶくぶく太り「マイウェイ」という自己満足的な歌を朗々と歌うシナトラはその貫禄は認めるものの、なんとも気恥ずかしい存在であった。
 享年82。時代遅れの親分は、子分たちの死をみとってから、親分らしく最後に逝った。

5月17日(日)

 大きい本屋さんには人がいっぱい来ているんですよ。今日、おしゃべりサークル「たちよみの会」の帰りに京都のある大きな本屋さんに寄ったんですよ。2階が映画館になってる本屋さんといえば、京都を知ってる人ならわかると思うんですよ。
 そこの本屋さんは棚と棚の間が狭いんですよ。人がいっぱいだと、間をすり抜けるようにしないと通れないんですよ。しかたないから蟹さんのように横歩きをして通り抜けようとしてたんですよ。そしたら、若いお姉さんがですね、棚の下の段にある本をのぞこうとしていきなり腰を突き出してきたんですよ。ちょうどそこに私の股間があったんですよ。そこにお姉さんのお尻が出てきてですね、股間をこするわけですよ。
 だからといって私の下半身が興奮したわけではないんですよ。でも、なんだかおっちゃんは困ってしまったんですよ。ここでびっくりして立ち止まるわけにはいきませんからね、そのまま横歩きで行き過ぎたんですよ。そしたらですね、お姉さんはお尻を突き出したままでありますからして、まるでですね、マッチをするみたいにこう股間がお尻をするんですよ。
 ほんの一瞬のことでありますからね、お姉さんはちっとも気にしてないと思いますですし、まわりの人たちだって気にもとめてないと思うんですよ。ただまあそういうことがあったということで、私はなんだかとっても一人で勝手に困っていたんですよ。
 2階が映画館になってる本屋さんはもうちょっと棚と棚の間の幅を何とかしてほしいんですよ。妙なところで純情になってるおっちゃんは、今日はほんの一瞬だけど困ってしまったんですよ。なんともはや。

5月18日(月)

 修学旅行まであと10日と迫ってきた。
 受け持ちの生徒は高3なので、いっしょに行くことになる、などと他人事のようには言ってはいられない。4月17日の日記に書いたように私は修学旅行の担当なのだ。それもこの4月にいろいろな理由からいきなり担当をまかされてしまったのだ。
 修学旅行の担当というと、どういうことをするかおわかりだろうか。
 まず1年生の時に担当になると、どこらへんに行くか計画をたて、旅行会社にプランをたててもらう。飛行機利用をする場合、その理由書を書類にまとめて教育委員会に提出しなければならない。しかし、自分が行きたいところを選んで計画をたてることもできるし、楽しい時期でもある。
 2年生になると、計画をより具体的に進めていくことになる。今回のように1学期に行くとなるとここで下見に行くことになる。私はこの段階ではまだ担当ではなかったが当時の担当者の依頼で同行した。下見の結果を元により現実的なプランを練っていくのだ。ここはけっこうしんどい。でも、やらなければならないことはそれほど多くはない。おおかたは旅行会社にまかせておけばいいからだ。
 3年生になると突如しんどくなる。実施1ケ月前には計画書や予算表など詳細をまとめて教育委員会に提出しなければならない。そこいらは4月17日の日記に書いた通りだ。
 その一方で生徒への事前指導の計画をたてたり教師が持つ指導用のしおりを作ったり。仕事はいくらでもある。
 実際に旅行に行っても常に事故がないか気を配らなくてはならない。
 つまり、3年になってから担当になるとしんどいことばかりかかってくるのである。
 ただ単に生徒をどこかに連れていって宿舎で酒を呑むのが教師の仕事だと思っていたら大間違いなんであるよ。そこまでの道のりが大変なんであるよ。
 あと10日、天変地異なんぞ起こりませんように。

5月19日(火)

 少し前の話だが、最寄の駅前に新しく回転寿司の店ができた。
 「一皿百円」というチラシにひかれて、先日食べに行く。どうも貧乏性なものでこういう宣伝には弱いのだ。
 休みの日の晩飯時に行ったので、中は満員。ちょうど妻といっしょに出かけた帰りだったので、疲れていたこともあって、持ち帰りを注文する。
 家に帰って食べると、箸でつまむたびにシャリがばらける。別に米がパサパサになっているというわけではないのだ。つまりこれはシャリを握っていないということだ。
「握り寿司やないね、これは。丸めてあるだけや」
「100円は100円、ということか」
 妻と二人でぶつくさ言いながらたいらげた。
 妻の見るところによると、カウンターの中に職人らしき男性が一人いたが、あとはバイトのような若い男の子が2人ほどついていたそうだ。もしかしたらその男の子たちの丸めた寿司かもしれない。もし職人らしき人の手になるものだとしたら、そんな寿司屋はダメですね。
 私は特にグルメというわけではないからえらそうには言えないけれど、寿司職人の腕というのはこの「握り」にかかっているのだと思う。丸めるなどというのは論外であるが、だからといって握り飯のようにシャリをぎゅっと固めてしまってもおいしくない。ふんわりとしながらシャリがぽろぽろと落ちることがない、そういう寿司は食べやすいし、おいしく感じる。
 たとえ値段が安くても丸めただけの寿司なんぞ、100円の金を払う値打もない。
 結局、寿司の口直しにカップラーメンを作って食べた。何のために寿司を買ったのか。これこそ安物買いの銭失いの典型である。自分の貧乏性が、恨めしい。

5月20日(水)

 生徒と雑談をしていて、「もう一度赤ちゃんに戻りたい」というようなことをある女の子が言う。「先生は?」ときかれて、一瞬考えた。
 架空戦記じゃないけど、どんな人間にも分岐点というのはある。そこで自分が違う道を選んだら、大幅にその後の人生も変わるだろうな、と思われるところだ。
 「そやなあ、二十歳の頃かなあ」と、答えた。これには根拠がある。大学に入学して、どんなサークルに入るかちょっと迷ったのだ。選択肢として、SF創作同人、落語研究会、マスコミ研究会というのがあった。浪人している時は「大学に入ったらSF研に入ろう。そして会誌に小説を発表しよう。いずれはプロになろう」などと考えていたのだ。だが、実際に入学してみると、目移りするんですね。SF研はあったのだけれど、ちょうど分裂騒ぎがあって新たに「SF創作同人」を名乗るサークルがあった。ここの会誌はかなりハイレベルだと感じられた。そこで「入るならこちら」と決める。ところが、説明会に行ってみるとなんだか人が少ない。どうも大学内では無認可の団体らしい。ちょっと躊躇する。
 もしここで落研に入っていたら、どうなったかとも思う。実際、若手落語会と称して新人勧誘をしていたのだ。あまり上手とはいえない。あとで何人かプロの噺家を出していると知ったけれど。で、やめにした。落研からプロになっていたかどうかはわからないが、私の性格からいくとプロを目指すことにはならなかったと思う。
 マスコミ研究会はその名前だけにひかれたのだ。どんなことをしているか説明会に行ってみてつまらなそうなのでやめにした。「マス研」に入ったからといってマスコミに就職できるということでもないし。
 で、結局「SF創作同人」に入ったわけだ。それからはファンダムに片足つっこみ、会誌に載せた作品が商業誌に掲載され、SF大会のスタッフをし、そこで妻と知り合い、「SFアドベンチャー」で書評をし……と現在に至るのである。
 で、あるからして、やりなおすとしたらやはり大学のサークル選びあたりであるように思ったのだ。あの時、落語研究会に入っていたらたぶんSF方面に顔を出すことはなかっただろうから、今ごろ単なるいちびりのサラリーマンになっているかもしれない。
 で、もう一度二十歳のころに戻ったとして……やっぱり「SF創作同人」に入るだろうなあ。SFやってきたおかげでたくさんの個性的な人たちに会えたのだし、その出会いを失いたくはない。
 もっとも、二十歳に戻って大学の図書館で「SF全集」をきちんと読みたいという気はしなくもない。そうだね、戻るならその頃くらいかなあ、やっぱり。


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