ぼやき日記


8月21日(金)

 しかし、なにさらすねん、アメリカ大統領。
 「不適切な関係」やて、わはは、てなことを言うておる場合ではないぞ。
 テロに対する自衛かなんか知らんけれど、いきなりよその国にミサイルぶちこむというのは、戦線布告なしの奇襲攻撃と同じではないか。
 その場に無辜の民がいてそれを殺傷するかもしれんではないか。それに対して人道にもとる行為と責められてもシラを切ることができるのか。いくら自国の情報網が正確な情報をつかんで、テロリストのアジトを直撃したとしても、その近くに偶然いた民間人を殺傷する可能性がないとはいえないではないか。
 スーダンやアフガニスタンにはアメリカに敵対できるほどの軍備がないだろうから戦争になっても勝てるとか、そういう計算もあるのだろうが、そんな理屈が通るわけではないだろう。
 アメリカ大使館に対するテロ行為を擁護するわけではない。そのテロリストに対し、こんな無茶苦茶なやり方で「自衛」するということ自体が、常軌を逸しているといいたいのだ。
 しかも、これが「不適切な関係」から世間の目をそらすためにやったのだとしたら(国防長官は否定してるけれど)、何をか言わんや、である。正気の沙汰ではない。
 これではスーダンとアフガニスタンに対して戦線布告しているのと同じである。
 日本の首相の公式なコメントに「米政府のテロに対する断固とした姿勢として理解できる」とあったが、私には理解できない。アメリカと協力関係にある国にも事前に攻撃のことを知らせてなかったというでないか。知らせたら、やめろといわれるから知らせなかったとしか考えられない。
 TVのニュースを見ていた妻がつぶやいた。
「ほんまに1999年に人類は滅びてしまうんと違うやろか」
 そんなアホな、と自信をもってツッコミたいのだが……。
 クリントンさん、後から「あれは『不適切な攻撃』だった」てな弁解しても誰も納得しまへんでェ。

8月22日(土)

 尼崎総合文化センターまで行き、「絵本原画展」を見る。
 拙作「おどりじいさん」「おおごえこぞう」の2本の童話に絵を描いてもらった飯野和好さんがやはり絵本画家の荒井良二さんとともにサイン会をするというのを、妻の友だちから教えてもらったのだ。一度お会いしてすばらしい絵を描いて下さったことに対してお礼を言いたかったのである。
 飯野さんは画風とはまた違った穏やかな感じの方で、私のことも覚えていて下さった。
 キャラクターが描きやすいか、リズムが合うか、単純明快であるかというようなことが、文章に絵をつける時には大事なポイントだと、おっしゃった。
 できれば、今度書き上げた新作も飯野さんの絵で飾ってほしいと厚かましいお願いをすると、「描かせてもらいたいですね」と言って下さった。そうなればいいのだが。
 私が「『おどりじいさん』の喜多です」と自己紹介した時、隣にいらした荒井良二さんが「『おどりじいさん』かあ」と思わず声をあげておられた。2年ほど前の新人のデビュー作の題名を、どうやら覚えていて下さったようだ。これはほんとに嬉しいことである。
 ところで、会場でサイン会を見ていたら、もう圧倒的に女性が多い。しかも、両氏に「『MOE』をいつも拝見してます」という人がほとんどなのである。「おひさま」の名前は出てこなかったなあ。読者層が違い過ぎるか。「MOE」を定期的に読んでいる永遠の少女たちによって、絵本業界がある部分で支えられているということもあるのかもしれない。
 そちらの業界には(童話作家を名乗るくせに)あまり詳しくないということもあるが、そういう人たちの集まる場に行って初めてわかることもあるのだ。

8月23日(日)

 今朝の新聞で、元阪神タイガース監督、村山実さんの訃報に接する。8月22日午後11時38分、直腸ガンのために神戸市内の病院で死去。享年61。
 そういえば、最近村山さんの解説を放送で聞いていなかった。ガンの治療のために入院していたのか。
 私は村山さんの現役時代の記憶はほとんどない。若くして現役のまま監督をしたためにかえって選手寿命も短くなってしまったからだ。現役引退直後は読売TVの解説をしていた。父がよく「村山は巨人ファンか!」と怒っていたが、今の掛布もそうだがどうしても読売TVで解説をしているとジャイアンツのことを話題にしなくてはならないようになってしまうようだ。後年、なにかでそのことに触れられて、村山さんは「仕方ないんですわ」と言っていた。
 そのせいか、途中で朝日放送と契約し直した。この放送局はもちろんタイガースをひいきにしている。そちらに移ってからは解説者というよりはファン代表という感じで悲憤慷慨するという調子のものであった。放送で聞いている分にはいいけれど、この調子で監督をやられたら、冷静な采配はふるえないだろうという気がしていた。
 吉田監督の後を受けて2度目の監督に就任したのが1988年。この年はバースの途中解雇、掛布の引退など、トラブルが多かった。そんな中で村山監督は勝って泣き負けて怒り、解説そのままの監督ぶりであった。和田、大野、中野の3人を「少年隊」と呼んで売り出したりした。結局タイガースは低迷したまま。村山さんは2年間で監督の座を降りることになった。
 タイガースにはどうも派閥とかいうものがあって、監督交代の時には「村山派」と「吉田派」が暗躍するとかいう話も聞いたことかあるが、真偽のほどはわからない。しかし、村山という人はそんな暗躍するタイプの人ではなく、その情熱を生かしたいと集まってくる人たちがいたというような気がしなくはない。
 とにかく、タイガースを愛し抜いたという意味では、この人は最右翼なのではないかという気がする。入団時も金を積むジャイアンツを蹴ってタイガースを選んだそうだし、引退後、バファローズなどから監督やコーチの依頼が来た時も、タイガースのユニフォーム以外は着ないと拒んだらしい。
 そんなことせんでもよそで経験を積んでタイガースで生かしたらええやないの、そう思ったのだが、操のかたさではジャイアンツの長嶋監督と同質のものがある。
 強かった頃のタイガースを代表する名選手であり、タイガースを愛することにかけては誰にも負けなかった男であったことはその行動が示している。
 この日、球団は試合中、球団旗を半旗にすることで弔慰を示した。今岡のサヨナラホームランで勝ったのが、せめてものはなむけだっただろう。
 背番号11はタイガースの永久欠番である。

8月24日(月)

 TOKYO−FMが30代前半の男女にアンケートをとって、TVドラマ化したいマンガは何かという調査をしたそうな。でた結果が「こちら葛飾区亀有公園前派出所」で主演はラサール石井ですと。
 こらこら。
 TVアニメで声をしているからって、ドラマでもそのまま主演にというのはあまりにもイメージが貧困なんじゃないの。両津は映画ではせんだみつおが演じたことがあったけど、ちょっとちがうなあ。それに、「こち亀」は実写ドラマにしても面白くならないと思うぞ。
 私ならなんと答えただろうか。
 最近、あんまりマンガは読んでないし、もともとマンガの実写化というのは好きじゃないからな。
 特撮をばんばん使って「妖怪ハンター」(諸星大二郎)を実写化するというのはどうだろうか。むろん放送は深夜である。主演は岸田森。死んでるって。
 いかりや長介をファーザーにした「神聖モテモテ王国」(ながいけん)はどうだ。ちょっと年を食い過ぎているか。
 いっそのこと、実写版「ドラえもん」(藤子・F・不二雄)とか。ドラえもんの中には「さんまのまんま」のまんまちゃんに入っている人を推薦しよう。日本一のぬいぐるみ芸人さんである。
 どうもマンガを実写化すると、マンガであれば優れた表現になる部分が、変にデフォルメされてなにやら珍妙なものになってしまうという気がする。まだ、アニメであればともかくね。
 そうだな、大河ドラマで「陽だまりの樹」(手塚治虫)をやらないだろうか。予算と時間をふんだんに使ってぜいたくなドラマづくりをしてもらいたいものだ。
 いや、TV局が求めているのはもっとお手軽に作れて視聴率の稼げるものだろう。そんなもんは私は見たいことないから、どっちでもええよ。

8月25日(火)

 演芸ファンでクラシックファンである高校時代の先輩に頼んで注文してもらっていた通販のCDセットが届いた。
 題して「上方漫才名人伝説!」という10枚組のCDだ。大阪朝日放送の倉庫に眠っていた音源をCD化したものである。
 ラインナップがいい。
 中田ダイマル・ラケット、夢路いとし・喜味こいし、横山エンタツ・花菱アチャコ、砂川捨丸・中村春代、桜川末子・松鶴家千代八、松鶴家夢若・浮世亭光晴、秋田Aスケ・Bスケ、ミスワカサ・島ひろし、橘ミノル・双葉みどり、海原お浜・小浜、三遊亭小円・木村栄子、暁伸・ミスハワイ、人生幸朗・生恵幸子、漫画トリオ、島田洋介・今喜多代、平和ラッパ・日佐丸、京唄子・鳳啓助、若井はんじ・けんじ、上方柳次・柳太、海原千里・万里、若井ぼん・はやと、レツゴー三匹、正司敏江・玲児、かしまし娘、ちゃっきり娘、三人奴、横山ホットブラザーズ、宮川左近ショウ、フラワーショウ、タイヘイトリオ。
 全部わかったあなたは偉い!
 物故したコンビ、解散したコンビ、まだ現役のコンビと、漫才黄金時代を飾った人々の名演を網羅している。特に音楽ショウはあまりCDやVTRになる機会がなかったので、嬉しい。
 さっそく何枚か聞いてみる。懐かしい、面白い、芸がある。
 私は必ず朝日放送や毎日放送に音源が残されているはずだとにらんでいた。これまではVTRで横山やすし・きよしの「花王名人劇場」での舞台のセット、読売TV「お笑いネットワーク」から特に1980年代の漫才ブームで活躍したコンビを中心としたセットがあったのと、1930年代のラジオ放送をラジオから録音していたコレクターのテープをCDにしたものぐらいしかなく、その間のぶんが飛んでいたのだ。
 惜しむらくは、この企画が通信販売のみで、店頭では手に入らないことである。落語のCDは桂米朝をはじめとしていろいろな芸人のものがCD化されているが、漫才については正直いってやすきよ以外は手に入らないという現状がある。ダイラケやいとこいの名演を手軽に入手できないということがあっていいものか。かつてLPで出ていた「ダイマル・ラケット、アンコール」などはとっくにCD化されていてもおかしくないというのに。
 おかしいやないか! 責任者出てこい!
 これらの録音については「笑芸つれづれ噺」に少しずつ書いていくことにしたい。
 ああ、これらの舞台を生で聞けたらなあ!

 明日は所用で遅くなるので、次回の更新は木曜日の深夜になる予定です。

8月27日(木)

 昨日はミステリ作家柴田よしきさんのお誘いでやはりミステリ作家の近藤史恵さんの快気祝いを兼ねた会食。ミステリ関係の方々とは普段おつきあいがないものだから、ちょいと緊張したが、芦辺拓さん、有栖川有栖さん、小森健太朗さん、佳多山大地さん、元ミステリマガジンの竹内さんと、いずれも初対面にもかかわらず楽しい時間を過ごす。
 ここではちょっと書けないような業界の話もあったけれど、芦辺さんも柴田さんもSFに対していろいろと思いをお持ちであることがわかったのが嬉しかった。芦辺さんの場合、「明清疾風録」という架空戦記や「地底獣国の冒険」というSF冒険小説があるし、柴田さんには「RED RAIN」というSFハードボイルドがある。芦辺さんはしきりに「物語性の復権」を語っておられた。ストーリーの面白さがなくて、どうして読者がつくだろうか、と。
 どなたと話をしていても、ミステリについては何か危機感をもっているというのが印象に残った。間口を広げ過ぎて、ミステリ全体が倒れる可能性を危惧しておられるようである。私なんか、その間口の広さが元気のもとだと思っているのだが、外部の視点とはまた違うようである。逆に、SFがこれから元気を取り戻すのではないかと感じておられるのである。
 私はSF界にお世話になっていながらSFをまともに読んでいない書評家であるから(SF大会にも行かないしね)、今のSFが本当に面白いのかつまらないのかよくわからないという情けない状態にあるわけだけれど、こうやってミステリ作家の方たちが熱くSFを語っているのを聞くと、そうなのかもしれんなと思ってしまう。なんて主体性がないんだ! いやいや、やっぱりミステリ作家の人たちは活気がありますよ。私は圧倒されましたからね。
 こうやって、作家の人と話をすると、うむ俺も書かなあかんなあという気になってくる。家に帰ってあたためていた童話のプロットをいじくりまわしたりしてしまったものね。
 とてもとても楽しい一夜でありました。柴田さんをはじめとした皆々様方、ありがとうございました。

8月28日(金)

 今日は生徒登校日。久しぶりに教師の顔になる。
 生徒に「せんせーい」なんて呼ばれると、「おう」などと返事をする。
 幸いもの書きをしていて「先生」なんぞと呼ばれたことはないのだが、そちら方面でそう呼ばれたら激怒はしないまでも違和感があるだろうなと思う。
 教師を呼ぶ符丁として「先生」という言い方があるというように思っている。だから、教師の顔になった時は「先生」でもいいのだ。
 教師としての私ももの書きとしての私も人格は同じなのだが、要求される役割が違うわけで、当然自分の中でスイッチの切り替えをしているということである。ただ、例えば半分徹夜で原稿を書いた翌日に教師にスイッチを切り替えるのは雑作もないことなのだが、SFのコンベンションに行って自分自身も、そしてまわりに対する顔ももの書きの方にスイッチを入れてしまった状態で翌日に学校に行くと、スイッチの切り替えにもたついてしまうということはある。
 今日なんかそれに近い。今月は書評の原稿を書いたり童話の原稿を書いたりしていた上に作家の方たちと会食をしたばかりなので、スイッチか完全にもの書きの方に入ってしまっていたのだ。
 しかし、不思議なもので生徒に「先生」と呼ばれると、スッと教師モードに入ることができる。生徒がいなければ教師などというものはその存在意義がないわけだから、これはしごく当然の反応なんだけれどね。

8月29日(土)

 今日は学校主催の夏祭り。
 7月27日の日記に書いたように、夏祭りとなると神経質になってしまって焼そばなどの出店は取りやめになったりした。
 私の受け持つ学年では模擬店として教室で喫茶店を開いた。これにはある程度ねらいもある。私の勤務している養護学校は知的障害の生徒を対象にした学校なのだが、彼らはいろいろな意味で経験不足の状態にある。要領が悪いとつい周りの者が手助けをしてしまい、自分で解決するという経験をすることが少ないのだ。
 今回喫茶店をさせることにより、接客という経験を(真似事ながら)することができた。金銭の授受や注文取り、紙コップに一定の量の飲み物を注ぐことなど、生徒によってはかなり難しいこともあったのだけれど、これらは普段の授業ではできないいい経験ではなかったかと思う。
 なに、偉そうなことをいっている私だって、喫茶店でウェイターをいきなりやろうとしたってうまくいくかどうか自信がない。たくさんの客が一度に来たとして、注文を空で覚えてそれを厨房に伝え、できあがったものを間違いなくテーブルに運ぶという芸当はそれなりに練習しないとすぐにできるものでもあるまい。
 生徒たちが卒業して接客業につく可能性はかなり低い。それでも、1時間だけでも接客というものを経験しておくのは決して悪いことではないだろう。
 かくいう私も学生時代のほとんどは百貨店でアルバイトをしていて、接客から包装から苦情の受け方からいろいろと経験をしたものだ。おかげでいまだに箱を包むのとひもをかけるのには自信がある(でも、発揮する場所がない)。また、そのような仕事で見聞きしたことは、おそらく今の仕事を続けている限りはお目にかかることのないものだろう。
 毒物事件や台風の接近などで不安な要素の多い夏祭りではあったけれど、なんとか当初の目的を果たしてほっとしている。
 ああ疲れた。

8月30日(日)

 ゆうべ、就寝して1時間半くらいたったころ、むりやり起こされた。
 妻に、ではない。電話がかかってきたわけでもない。
 蚊、である。
 右足の裏、右の踝、左の踝と合計3ケ所もかまれ、かゆくてかゆくてしかたがない。
 特に足の裏だ。爪でボリボリとかくが、ちょうど土踏まずの敏感なところで、かけばかくほどびびびとひびいて目が冴える。
 しかし、体は完全に睡眠状態に入っていたのか、動かすのにかなりの労力がいる。隣で眠ってる妻を起こさぬようにのろのろと体を起こし、やっとのことで隣のキッチンへ移動する。流しのところにだけ電灯をつけ、キンカンを出してかまれて赤くはれたところに塗る。
 しみる。
 ぬりぬりぬり。塗ってからふうふうと息を吹きかける。
 ふうふうふう。
 ひんやりする。
 乾くまで待つことにし、すでに入っていた朝刊を広げて読みはじめた。
 頭は半分ぼやけているので読んでいても内容がよく理解できない。
 それでもしばらく読んでから、またキンカンを塗る。
 ぬりぬりぬり、ふうふうふう。
 寝室の電灯がついた。妻がベランダに出て鉢植えのアロエを取りにいっている。どうやら私の足をかんだ蚊は、攻撃目標を失って妻に襲いかかったらしい。
 妻がアロエの歯の肉の部分を手の指先に塗っている。私は蚊取り線香に火をつけた。けむいが、蚊は臭いを嫌がって逃げるのか、あとは寄りつかなくなるのだ。
 何度かキンカンを塗ってかゆみがおさまったので布団にもぐりこむが、中途半端な寝方をしたせいか、今日一日体がだるくてごろごろしてしまった。
 妻は一度目がさめたらなかなか寝られないので、本を読んだりしたそうだが、結局徹夜になり、外が明るくなってからやっと寝直したそうだ。
 深夜の蚊のせいでひどいめにあった。
 外はコオロギが鳴いたりしていて秋らしくなっているのだから、蚊もおとなしく退散しなさいよ。
 足の裏は、まだなんとなくかゆい。赤いかみあとがぽっちりとついている。

8月31日(月)

 入院している友人の見舞いに京都へ。
 その帰りに河原町にある書店に寄る。例によって架空戦記の新刊などを両手でないと持てないほどレジに運ぶ。
 以前、同じ書店でかつての同僚と会い、「喜多さん、すごいですねえ」と驚かれてしまったことがある。よくよく見てみればレジに並んでいる人たちはたいてい雑誌を1冊とか文庫本を1冊くらいしか手に持っていない。実はそれが当然なのだが、出てくる新刊を片端から買おうなどという者はそうそういないわけであるな。お仕事だから仕方ないんだけれど。
 で、この書店は広いフロアにたくさんの本が並んでいるし、大手チェーンということもあって話題の新刊など大量に平積みにしてあるわけだ。それを見ていて、ふと感じた。
 こんなにたくさんの本は、本当に必要とされているのか?
 確かに平日の夕方というのにお客はけっこう入っている。レジもそれほど暇そうにしているわけではない。一日の売り上げがどのくらいかは知らないが、店を維持するに足る売り上げは確保しているのであろう。
 文庫や新書の棚には旧刊がぎっしりと詰まり、本を手にしてくれる読者を待っている。しかし、その多くは売れなけば期限がくると返本され、出版社の倉庫におさまり、注文がこないと絶版の憂き目にあう。新刊は毎月大量に出ている。その分、そのような目にあっている書物はどれほどあるのだろう。実際、私の持っている新書ノベルズの大半はとっくの昔に書店から消えている。文庫化もされていない。
 本当にこんなに新刊が必要なのだろうか?
 あっという間に品切れ絶版になる本の中には、実はじっくりじわじわと売れるようなタイプのものもあるだろうに。
 書店を出る時、ちらりと振り返ってみた。壁全面を覆いつくす本が、なんとなく怖く見えてきた。

 明日は所用で遅くなるので、次回更新は水曜の深夜になります。


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