ぼやき日記


2月1日(月)

 「S−Fマガジン」編集長より電話がある。昨日入稿した書評原稿でとりあげた本の中に大倉貴之さんのとりあげた本と重複しているのがあるということ。
 こういうことになるのはまあ予想されたことでね。もともとは巽孝之さんが、そしてその後任の大倉さんが「日本SF」、三村美衣さんと私が「ヤング・アダルト」という形であったのが、この1月号から3人とも「日本SF」ということになった。これやと三村さんも私もヤングアダルトの枠に縛られることがなくなるかわりに同じ本を同時にとりあげるという可能性も出てくる。
 もっとも、巽さんが担当してはった時に大沢在昌の本がだぶったこともあるから、こういうケースは初めてやないんやけどね。
 今回重なった本は、もし大倉さんが扱うのなら現在発売中の3月号でやってるはずの本。大倉さんが書かはらへんかったんやから、私が書いてもええんと違うかと思ったのに、なんと1ヶ月遅れで書かはるんやて。問題はその本がハードカバーということ。テリトリーとしては、大倉さんがハードカバー、三村さんが文庫、私が新書ノベルスというような住み分けが一応できてる。となると、編集長としては大倉さんの方を優先で扱いたいということになる。
 まだ大倉さんの原稿が入ってないので、そちらを見て互いの評する視点が違えば私の原稿はそのまま生きることになった。同じようなことが書いてあれば、私の方はその部分だけ差し換えをせんといかん。
 一応あいまいながら線引きはしてあるんやけど、こういうことはこれからも起こるやろうね。できたら没にはなってほしくないからなあ。大倉さんの視点が私と違うことを祈るや切、という次第。

 1月30日の日記で「ヴィヴィアン・ウー」と書くところを「ヴィヴィアン・スー」と書いてしまいました。それやったら「ブラックビスケッツ」やないかと妻に指摘されてしまった。訂正しておきました。

 明日は所用で遅くなります。次回更新は水曜日の深夜の予定です。

2月3日(水)

 今年も寿司屋の前に行列ができている。うちは船場の商家と違いますさかいな、海苔巻きのまるかぶりみたいなことはしません(くわしくはここここを参照のこと)。節分にはイワシと豆で十分や。
 しかし寒なったねえ。ここ門真でもうっすらと雪がつもっております。ここは大阪では比較的暖かい所やけど、うちの近所でこんなんやったら、おおかた山は雪じゃろかい。明日、私の勤務する学校では、スクールバスが走行不能な場合は臨時休校となる。それでも教師は出勤せんならん。これは台風の時といっしょ。バスが走られんもんを原チャリでは走られへんから、電車に乗って行かんなんか。
 暦の上では「立春」ですぞ。
 節分というと豆まき。豆まきで思い出すのは吉田義男元タイガース監督。私の生家から割と近くの狸谷不動尊というところへ豆まきに来てはったので、友だちと見に行ったことがある。あれは私が中学生の時のことやから、もう20年以上も前やね。吉田さんは3回もタイガースの監督に就任してるけど、その1回目の時だ。山本和行投手と工藤一彦投手、松下立美投手の4人で来ていて、サイン会もあった。工藤と松下はまだルーキー。山本
も中継ぎリリーフが多くてまだ若手といわれてた時です。あれ? 節分やったらもうキャンプインしてるから安芸に行ってたはずやぞ。おかしいな。豆の入った袋を必死になって取りにいった記憶があるから、節分の豆まきやったのは間違いないが。私は背が低くてその時分は「前にならえ!」と言われたら必ず手を腰にあてるほどやったから(つまり常にクラスの先頭に立ってた……自分より背の低い奴がおらなんだ、ということ。わかるね)、ぴょんぴょこジャンプして豆を取ろうとしてたということまで憶えてるぞ。吉田監督と3人の選手はキャンプをさぼって豆まきに来てたのであろうか。
 もしかしたら、豆まきは1月の末にあったのかもしれん。豆をまいてから安芸キャンプにいったのかな。どうもそこらへんの記憶があいまいだ。
 もし京都の狸谷不動尊の豆まきの日取りをご存知の方がいらっしゃったら教えていただけませんか。吉田元監督は毎年狸谷に詣でるという話を聞いたことがあるし。その時だけ1月にしたのかなあ。なんか気になる。

2月4日(木)

 妻が財布から硬貨を出して見せようとする。たぶん外国のわけのわからん硬貨が釣り銭の中に混じったんやろうと思いつつ見せてもらう。
 中央に
100という数字が書いてあるのがまず目に飛び込んだ。ははあ、100ルピーとかそういうお金と違うかな。店員は忙しいからね、よう間違えるねん、数字だけ見て。
 数字の上下に細かい文字が刻んである。
「TOKYO1964 昭和39年」
 なに? トーキョー1964? しょうわさんじゅうきゅうねん?
 裏返すと五輪のマークに聖火台が浮き彫りになってるやないですか。
 東京オリンピック記念硬貨や。正真正銘の日本のお金や。なんでそんなもんを妻が今さら。
「阪神百貨店の地下2階のパン屋さんでもろたおつり」。
 いやはや、ちゃんと100円は100円として流通してるんや。この時分というとまだ板垣退助の100円紙幣が流通してた時代ですよ。今とは100円の値打ちが違う。この100円玉も今みたいなニッケル硬貨と違うて銀が混ざってるはずや。値打ちが違う。
 コインショップに持ってったらいくらぐらいで引き取るのかしらんけど、100円以上はするのと違うかな。いったいどんな客がこの金を使うてパン屋で買い物をしたんやろ。この100円銀貨はどんな数奇な運命をたどって妻の財布におさまったんやろう。
「これ、『ぼやき日記』のネタになるでしょ」。
 なりますなります。さっそくこうやって書いてます。
 しかし、オリンピック記念硬貨か。確か「鉄腕アトム」でヒゲオヤジがとっておきの武器だといって敵にこの硬貨を投げつける場面があったぞ。実家にも大事に置いてあったはずやけど、普通の100円硬貨と同じ大きさやったんやね。もっと大きいような印象があった。
 待てよ、大きかったのは他の何かの記念で出た1000円銀貨やったかもしれんなあ。
 それはともかく驚いた。こういう記念硬貨はどれぐらい流通してるんかわからんけど、まあめったにないことでしょうなあ。どれくらいの確率でこういうことが起こるかは知らんけど、珍しいことではある。こういうのって、やっぱりラッキーなんやろうか。うーむ。

2月5日(金)

餃子とは性つく運つく女つく
 社会科の授業で、フィールドワークと称して学校の近辺をあちこち歩き回る。
 ふだん家にこもっている生徒が多いもんやから、物珍しいとみえて目についたものをあれこれと楽しんでいる。私もただ連れて歩くだけでは面白くないので路上観察を楽しんでる。
 デジカメで生徒たちが面白がったものを撮っておく。次の授業でTVにつないで見せるわけです。ついでに自分が面白いと思ったものも撮る。「VOW!」を個人的にやってるというところ。今日はその画像から2点をご紹介。
 まずは中華料理屋ののれん。「餃子とは性つく運つく女つく」というコピーがなんとも言えんね。だいたい「性」やなしに「精」やないかと思うんやけど。餃子を食べると精力だけやなしに運や女までついてくると。音読したら調子がいい。一応、五・七・五の音韻を踏んでいるわけであるな。
ドリンク剤ショウケース
 これは薬屋のショウケース。ありとあらゆるドリンク剤の瓶をずらりと並べていて圧巻である。栄養ドリンクだけやないぞ。胃薬から肝臓薬まで、ドリンク剤やったらなんでもかまわんとばかりに並べてあった。これは実物を見ていただいた方が感動的かもしれん。これらをいっぺんに全部飲んだらどないなるやろうと妙な誘惑にかられたくらい。そんなんしたら体を壊すことは請け合い。そやけど、「ユンケル」とか「ゼナ」というのは箱はでかいけど中身は小さいんですな。なんであんな背の高い箱に入れてあるんやろ。箱に入ってたら効くというもんでもなかろうに。
 ほんまになんか欲望を刺激するようなものがあれこれとあって、江坂というところ、なかなかおもろい。ビジネス街と繁華街が雑居しているような、そんな街なんであります。
 本家の「VOW!」はわけのわからんものを集めてあるけど、私はなんとなくその気持ちわかるわあというようなものの方が面白い。そして、江坂の街はそういう面白さに満ちたところやないかなあと思うた。

 明日は所用で遅くなります。次回更新は日曜日の深夜の予定です。

2月7日(日)

 久々に完全休養日。とはいっても、書評の仕事が一つ入ったのでそのための読書でほとんど1日を費やす。読書のBGMにはいつもクラシックのCDをかけているんやけど、今日はピンクレディのベストCDなんてものをかけたりする。
 今でこそミリオンセラーのCDを連発する歌手やグループは多いけれど、ピンクレディーというのは特別やなかったかというような気がする。そらあなた、今のミリオンセラー・アーティストとは露出度が違いましたな。TVをつけたら歌番組からコマーシャルからピンクレディーの姿を見ない日、ピンクレディーの歌を聞かん日はなかったね。こうやって20年近くたってから聞き返しても振り付けも歌詞も鮮明に蘇ってくる。まあ、私の場合は、当時小学生の妹たちがピンクレディーの大ファンでTVを見ながら振り真似をしたり歌ったりしてたからね。否応無しに目に飛び込むし耳にはいるし。
 しかし、阿久悠という作詞家と都倉俊一という作曲家がどのような戦略でピンクレディーを売り出していったかというのが、ヒット曲を発売順に並べて収録したCDを聞くとようわかるね。実際、ピンクレディーの新曲発表というのはひとつの事件というような感じで報道されてたりした記憶があるからね。
 たぷん「UFO」が「ユーフォー」という発音で完全に認知されたのはピンクレディーのヒット曲があったればこそやないかという気がするね。
 そんなことを考えてしまって本の中身が頭に入らないやないですか。BGMとしては失敗でしたな。
 ところで、ピンクレディーって、ちゃんとハモって歌ってるし、けっこう歌がうまいんですわ。歌詞は面白いし曲もなかなか凝ってたりする。あの頃はそこまで考えて聞いてなかったけど、なかなかたいしたもんやったんやねえ。

2月8日(月)

 私の今好きな漫画に「かってに改蔵」(久米田康治)というのがあって、これは「週刊少年サンデー」に連載されてるんやけど、まあばかばかしくておもろい。
 この漫画に「坪内地丹」といういつもひどい目にあわされるキャラクターが出てくる。彼は実は鉄ちゃんという設定になってる。「鉄ちゃん」というのは鉄道マニアの人のことを茶化したような呼び方だ。「おたく」というのも初期にはそういう使われ方をしてたんと違うやろか。
 私は鉄道にはてんでうといので地丹くんが「キハ系の気動車好き」などというても何のことやらさっぱりわけがわからん。たぶん私と友人Yが「吉田浩はええなあ」「田中秀太は何をしてるんや」とタイガースの若手の話をしてても興味のない人が聞いたらいったい誰の話をしてるのやらわからんのと同じであろう。あるいは私と老舗の若旦那A氏が「マッケラスの演奏は古楽器の奏法をうまく使うてるねえ」「ガーディナーはモダン楽器よりも古楽器で合唱の入ってる方がええね」などと話をしていてもクラシックなどモーツァルトとベートーヴェンの違いもわからない人には何のことやら理解不能なのと同じであろう。あるいは私と作家のTさんが「六代目と米朝とどっちの『らくだ』がおもしろいか」という話をしていても……しつこいですね。
 で、「キハ系」が何なのか、私も妻も気にはなってたけど、あいにく身近に鉄道マニアがいない。いや、いないわけではないけどわざわざ「『キハ系』って何?」とはちょっとききにくい。例えば、私の勤務する学校の校長。「鉄道ファン」を愛読し机に鉄道模型を飾っているくらいお好きな方なんやけど、わざわざ校長室に行って「あのう、『キハ58系』いうのはどういうようなもんなんですか?」とききにいくというのは、ちょっと何ですよねえ。妻のお兄さんは学校の先生で鉄道研究会の顧問をしていてやはりかなりのマニアなんやけど、お住まいは川崎市。わざわざ長距離電話をそのためだけにかけるというのも、ちょっと何ですよねえ。
 というわけで「キハ系」は我々夫婦にとって永らく謎になっておったんですが、たまたま妻のお兄さんが別な用事で電話をしてきてくれたので、妻についでにきいてもらった。
 そうですか。「キハ系」というのはディーゼル車で東北や山陰などで今でも活躍中の人気のある車両なんですか。子ども向きの鉄道の本にもちゃんと載ってるんですか。いやその「子ども向きの鉄道の本」は本屋にいってもどこに置いてあるんかようわからんもんで。いやあさすがに鉄道研究会の顧問。妻がきいたら即答しました。もしかしたらすごく初歩的なことをきいたのかもしれへんね。「星新一って、どんな作家なんですか」とSFファンにきくような。
 今ふと思いついたんやけど、インターネットで検索したら「キハ系」もすぐに見つかったのと違うやろか。SFファンのサイトかてかなりあるんやから、鉄道マニアのサイトもけっこうな数になるような気がするぞ。そこに気がつかなんだとはあさましや。
 ともかく、「キハ系」の謎は解けたぞ。今晩はぐっすりと眠れるわい。

2月9日(火)

 1月23日の日記で書いた「ぼったくり水道修理屋」が摘発されてましたなあ。うちに置いてあるステッカーを見た妻が「ここやここや」と確認してたぞ。ところが、ステッカーはもう1種類あって、フォーマットも内容もほとんど同じでシールのイラストが違う。業者の名前と電話番号も違う。ダミー会社かな。そちらもいずれは摘発されるやろうけど。

とりみき
 
1月19日の日記で書いた研修シリーズの、本日は最終日。やはり吹田から我孫子まで原チャリで行く。今日はいい天気で気温もぬくかったんでよかったよかった。
 SFファンのみなさん、街を気持ちよく走ってて写真の看板を見た時の驚き、あなたならわかってくれますよねえ。なんやなんや、いつから漫画家の「とり・みき」は大阪に店を出すようになったんや。私ゃ、そない思うたよ。
 実は焼き鳥屋やったんやけど、思わず単車を急ブレーキで止めて、しばらく呆然と眺めたね。入り口の看板には「鳥みき」と書いてあったから、正式名称はそっちなんやろうけど。屋号の由来は、店の大将が「三木」さんやからか大将の奥さんの名前が「美樹」さんやからかしらんけど、まさか「とり・みき」さんのファンやからということはないやろうね。
 なぜか鞄にデジカメが入ってたんで、思わず撮りましたよ。これはもう全国のSFファンに知らしめるのが私の使命やとは思わんかったけど。日記のネタが目の前にあるのに、これを撮らん法はない。
 しかし、この調子でいけばこの日記はますます「VOW!」になってしまうぞ。そこで研修の話を書こうと思う。思うけど、雰囲気がまるで違うので、そのレポートはまた明日。

2月10日(水)

 ひーとくちのめば、ねーむけすっきり、エスタロンモーカ、エスタロンモーカ。妻がさっきからラジオCMのコマソンを歌っている。えらく楽しそうだ。冬樹蛉さんはごぞんじであろうか。

 昨日の予告通り、研修に行った話を書くことにしましょう。私が今回受けた研修は「福祉教育について」。学校で福祉についてどのように教えるか、というようなことがテーマだ。あれこれと面白かったんやけど、こまごまとレポートするのもなんやから、印象に残ったのを一つだけご紹介しておくことにする。
 一番面白かったのが「インスタント・シニア体験」という実習。これは体にいろんなものをつけて高齢者になってみる、というもの。
 まずは
耳栓。スポンジ製の本屋でも売ってるものだ。耳が遠くなった状態を体験するというわけ。続いてゴーグル。フィルターがかかっていて、これで白内障の状態を再現する。視野狭窄になるように、ゴーグルのレンズの部分はかなり小さい。続いては両ひじにつけるサポーター。普通のサポーターやないよ。ビニール製で中に空気が入ってる。これをはめると関節が曲がりにくくなり、背中に手がまわらんようになる。それから、利き手におもりをつける。砂袋を巻きつけるんですな。筋力が低下した状態を体験してみるということやそうだ。手には薄いゴム手袋を2つ重ねた上に、人指し指と中指、薬指と小指をそれぞれテーピング。触覚の低下と指先の巧緻性の低下を実感させようというもの。利き足には分厚いサポーターを装着して関節が曲がりにくいようにし、両足首には左右違った重さのおもりを巻いて平衡感覚を失わせ、最後に杖を持つ。
 「インスタントシニア体験中」と大書されたゼッケンをつけて準備完了。この格好で何をするかというと、建物を出て信号を渡り、コンビニで買い物をし、自動販売機で飲み物を買い、公衆電話で週間天気予報を聞き、階段を昇り降りし、車椅子に乗ってフロアを1周し、調べたことをメモする。めちゃめちゃきつい。
 特にコンビニは大変やった。妙な風体をしたおっさんやおばはんが店の中をうろついていると、そら目立つ目立つ。買い物に来ていた子どもが「この人たち、なんでこんな格好してるん?」とでかいでかい声で親にきくんだ。好きでこんなけったいな格好してるんと違うわい。さすがに店員さんは慣れているのか、妙に親切。公衆電話の前で小銭を落した人なんか大変やね。見えんのやもの。いっしょになって探したけど、小銭が地べたの色と同化してどこに落ちてるんかまるでわからん。
 ひととおりやって機具を外した時の体の軽いこと。年はとりたないもんですなあ。長生きしたらあんな具合になるんか。いろいろと持病も出るやろうし、よけいしんどいんやろうね。
 このプログラムはカナダで開発されたものやそうです。いろんなことを考える人がいるもんですなあ。器具で人為的に身体の機能を低下させてるわけやから年をとったら同じような状態になるとは限らんけど、それなりに高齢者の不便さというものを体験できたのは実に興味深いことやった。
 年をとる時は一気にとるんやなくって、じわじわととるもんですわ。時間限定で老人になるというのはきつかったよ。
 というわけで、昨日で研修は終了。福祉というのは奥が深いのでわずか数回の研修でわかったような気になってはいかんのだが、何も知らんよりはましやからね。


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