ぼやき日記


1月21日(木)

 養護学校におりますと、専門科目以外の授業も持たなならんというのはこの「ぼやき日記」でも再々書いているとおり。国語を受け持ったりなんかして、果たして国語教育について専門的に学んだこともない者が、こんなことをしててええんかいなと思いつつも、受け持っている以上やらんと仕方ない。
 まあ、読解とかそういうようなことは、自分でもものを書いたりなんかしてるわけで、全く専門外ということはないけどね。でも、自分でわかったつもりになってるのと人に教えるのとは別やからね。それなりに試行錯誤でやっておる。
 困ったのは、書き初め。やるやらんは担当教師の裁量に任されてるんやから、でけんもんはやらんでもええようなもんなんやけど。ただ、「校内作品展」というのがあってね、たいていのクラスはこれに書き初めを出しておるわけや。となると、うちのクラスだけ出品なしというのも生徒たちがかわいそうやからね、やらねばならんのです。
 問題は、私がお手本をよう書かんということ。普通は先生が赤い墨汁と筆を持って手本を書いたり直してやったりするんやね。私にそんなことを望むのは間違いというものだ。
 高校時代に選択科目で「書道」をとってたこともあるんやけどね。それ以来まともに筆を持ってないからね。金封に名前を書いたり「芳名録」に記名したりするのは冷や汗もの。手本なんかとてもとても。
 そこで、私のパソコンを使うことにした。そうです、パソコンのワープロソフトで生徒の書く言葉を打って、毛筆のフォントに変換するのです。インチキ丸出しのお手本ではあるが、私の判読不能な文字よりはましであろうと思う。プリントアウトしてみたら、あまりええ書体やないけど、ないよりましかとそれを使用した。
 生徒には不評でしたわ。「なあんや、ワープロか」て、言われてしもた。書かれへんのやからしゃあないやろ!
「うまいへたは関係ない! 榊莫山のようにのびのび書け!」と無茶なことを言うてなんとかしのいだ。こんなことしててほんまにええんかいな。

1月22日(金)

 「SFオンライン」で今年から「SFオンライン賞」というのを作るので推薦リスト作成に協力してほしいと堺三保さんから言われて、例によって安請け合いした。私は昔から自分がその任にふさわしいかどうかあまり深く考えずに引き受けるという悪癖がある。今回も引き受けて、担当の方が作ったリストに推薦作をあれこれ追加してみたが、ほんまに私が推薦者の列に加わってええんかね。堺さん、今ごろ「えらい奴に頼んでしもた」と後悔してるんと違うかな。まあ、私は他の人があまり読んでない範囲のものを読んだりしてるので、落ち穂拾い役としてなら適当かもしれへんかもね。
 「SFアドベンチャー」の頃も一番の若輩ということもあってわりかし落ち穂拾い的なところをしていたから、その自分からポジションは変わってへんのかもしれへん。ああなんて進歩のないこと!
 それはまあそれとして、リストづくりに参加するために初めて「メーリングリスト」なるものに加入した。いやいやびっくり。1日何回かメールをチェックするんやけど、その度に10〜20はメールが来てる。ふつうメールというと自分あてのものしか読まんわけやけど、この場合、他の人たちのやりとりも読むことになるんやね。
 リストができていく過程とか、第1回の賞ということでその賞がどんな風に規定されていくのかとか、いろんなことがわかって面白かったし、いろんな人たちのメールのやりとりとか本の評価とか、かなり参考になることが多かった。たいして力になられへんかったけど、私自身はいい経験をさせてもらったと感謝してる。
 もうじきノミネート開始やそうですので、興味のある方はぜひ投票しましょう。

1月23日(土)

 新聞に、水道修理業者に電話をしたらぼったくられてちょっとした工事で100万円から請求されたという記事が載っていた。そういえば、うちのポストにもシールになったチラシが何度も入ってたけど、あれのことか。電話番号が書いてあるシールで、水道でトラブルがあったらすぐに電話できるように台所に貼っておきましょうというようなことが書いてある。うちではそのシールは妻が埃を取るお掃除用に使っていたからそこに電話することはなかったけどね。なんでも自分から電話で依頼をした場合、訪問販売と違うからクーリング・オフはきかへんのやそうです。なかなか知能犯やなあ。
 蛇口が取れて水が止まらんかったりしたら、つい電話するよなあ。
 新聞でそんな風に騒がれてるからわかったけど、知らんと電話してえらい目にあったかもしれへんと思うと、ちょっと恐いね。世の中、どんなところに落とし穴があるかわからんね。油断も隙もない。
 しかし、うまいこと考えよったもんや。台所の目につくところに貼っておけるようにシールにするというのがうまい。ガス会社が配るステッカーと同じ感覚で貼ってしまう人はいるやろうからね。毎日目にしてると、なじんできて疑わんようになるしね。そういう心理を知りつくしたうえで配ってるということやね、きっと。

1月24日(日)

 総務庁統計局が行っている「労働力調査」の用紙が配られてきた。なんでも「国民の就業・不就業の変化をとらえるため、一定の統計上の抽出方法に基づき、全国から約四万世帯を選定し、その世帯の方々に御協力いただいて実施している」のやそうです。
 今月末と来月末、そして来年の同じ月2ヶ月と4回も書かんなん。「国勢調査」というのは知ってたけど、こんなん知らなんだ。15才以上の家族全員の月末1週間に仕事をした時間を計算して書くわけです。副業も含めてということやから、私の場合、今月末は原稿締切が入ってるから、それも時間に入れなならんのやね。
 ちょっと待てよ、原稿を書いてるのは仕事やからはっきりしてるけど、書評のために本を読んでる時間はどないなるんやろ。仕事といえば仕事やし、個人の楽しみといえば楽しみやし。電車の中で読んでるうちに居眠りした時はどんな風に時間を計算するんかな。
 「無報酬の奉仕作業などをした時間は含めません」とある。うーん、報酬はあるが経費の方がはるかにかかる仕事というのはどうなるんやろ。「本業・副業・内職・臨時の仕事」みんな書くように指示してあるからなあ。やっぱり入れるんやろうなあ。
 しかしこれ、読書の時間というのはやっぱり入れたいね。好きで読んでる本だけやないからね。しかし時計を見ながら本を読んで「おーし、1時間半仕事したぞ」とメモをするというのもなんですなあ。文筆を専業でしてる人なんか、どう計算するのかな。
 なんか面倒なものに選ばれてしもたわい。さて、読書の時間を入れるか入れへんか。まだ迷っているのです。

1月25日(月)

 「S−Fマガジン」3月号が本日届く。なぜか今ごろ「京都SFフェスティバル」のレポートが載っている。私も一応おしゃべりをしたのでどない書いてあるんかなと興味津々で読んでみた。
 あららら、レポートしている和久井博人さんは午前中の企画を見てないのであった。「……講演したものだった(らしい)。」「……ひじょうに説得力があった(らしい)。」ときて「詳しくは、喜多氏のホームページをごらんいただきたい」と締めている。それって
ここのことかいな。レジュメをただはっつけただけで詳しくもなんともないぞ。ますます何の話があったんやらわけわからんようになったんと違うやろか。もっと詳しいレポートをあげてはる方たちもいるんやから。

 話は変わって、出勤途上で懐かしいものを見てしまった。「ラビット」だ。いや、「蒼白の城XXX」とは関係ありませんよ。私が子どもの頃町中を走ってたスクーターです。今時のスクーターみたいな軽量原付やないでえ。自動二輪の免許がないと乗られへんねんでえ。いやあ物持ちのええ人がいたもんやと感心した。
 どんなおっさんが運転してるんやろうと信号待ちの時に隣に並んでちらりと見てみたら、若い兄ちゃんやないかいな。中古を買うたか家に転がってたのを引っぱり出してきたか。今時分わざわざ「ラビット」に乗るというのはけっこうええセンスをしてるように思う。
 かっこいい乗り物やないですよ、「ラビット」は。そやけどね、今時の乗り物にはない独特のフォルムと重厚感がある。あれで「ラビット」というのはなんか今見ると違和感があるけどね。兎のような軽快な感じはない。30年前はあれが軽く走る単車やったんやね。
 私の乗ってる原チャリはレトロな雰囲気を狙った「ホンダ・ジョルノ」やけど、ほんまに古いスクーターにはどだいかなわん。ああ、私も乗ってみたいなあ「ラビット」。そやけど、私の運転免許では乗ってはいかんのです。私は50cc以外は乗られへんのです。指をくわえて見てるだけ。
 若い運転手の乗る「ラビット」は颯爽と走り抜けていったのでありました。いいなあ、あれ。

1月26日(火)

 三木のり平さんの訃報に接する。享年75。
 こういう古い喜劇俳優さんが亡くなっていくのは寂しいなあ。いうても、のり平さんの全盛時代、私はまだ生まれてへんかったんやけど。せいぜいUHFで古い喜劇映画を見た程度。「駅前」シリーズや「社長」シリーズで森繁久彌さんのまわりをうろちょろするこすいおっさんというような役回りの演技が印象的。
 それよりも「桃屋」の宣伝のアニメーションの方が印象深い。私、高校1年に入学したての時に、クラスの女の子たちに「桃屋」というあだ名をつけられていたのであります。「喜多くんって、『桃屋』のCMみたいな顔してるわー」と誰かが言うたんですな。それから「桃屋」と呼ばれるようになった。偉大な喜劇人に擬せられたんやから文句を言う筋合いはないではないけど、「俺は漫画みたいな顔をしてるんか」と思った憶えがある。
 あの宣伝ではのり平さんは眼鏡をかけてるけど、あれはかなり古い自画像を元にしてるんやね。ある時期から眼鏡を外したんですな。なんでかというと、のり平さんの真似をして大村崑さんがまん丸眼鏡をかけて人気者になった。そしたら人から「のり平さんは崑ちゃんの真似をしてる」と言われ、「俺の方が本家本元だ」と言うて眼鏡を外したそうだ。普通本家本元は意地でも眼鏡を外さんのと違うかと思うけど、それがのり平さんの美学ということやったんやろうね。関西の芸人とはちょっと気風が違う。根っからの江戸っ子ということなんやろうね。
 しかし、「日刊スポーツ」の見出しに「最後の喜劇俳優」と書いてあったけど、それは他のコメディアンにたいして失礼と違うかね。年をとった人が死ぬとじきに「最後の……」とつけたがるのは新聞の悪い癖やね。
 伴淳三郎、フランキー堺、そして三木のり平と森繁喜劇のメンバーがどんどんいなくなっていくなあ。寂しいことだ。
 三木のり平さんに慎んで哀悼の意を表します。

1月27日(水)

 子どもの頃からタイガースの試合をTVで見てると、キャッチャーがパスボールするたびに父がいう決まり文句があった。
「昔なあ、タイガースには”ドテガキ”て呼ばれたキャッチャーがいてなあ、どんな球でもそらさへんかったんや!」
 正しくは土井垣武。土手みたいに構えてボールを捕ったんやろう。1940年代、タイガースのダイナマイト打線で5番を打った強打者と、ものの本にある。
 1950年、2リーグ分裂の時の引き抜きで毎日オリオンズに移籍、第1回の日本シリーズ(当時は「日本ワールドシリーズ」)にも出場している。そのあと、タイガースなどでコーチをして、球界を去った後は京都で呉服屋さんをしてはった。「京都新聞」で時々解説を書いてはった。ただし、名義は「若松武」。奥さんの実家が西陣織の店で、そこの苗字を継がはったんやそうです。
 その土井垣さんの訃報に接する。死因は肺炎。享年77。私にとっては伝説上の人やけど、父たちにしたら憧れの的やったんやね。闘志あふれるプレーをしただけやない。コーチをしてた時は相手のサインを見破るのがうまかったそうだ。三塁コーチをしてて、相手チームのキャッチャーがピッチャーにサインを出すのをしきりにのぞきこむ。相手キャッチャーはミットで隠して見えないようにする。本当にのぞいてたのは一塁コーチ。そういう芸当をしたと「阪神サムライ物語」(近藤唯之)に書いてあった。今、そういう芸をして相手を撹乱する三塁コーチといえば、ライオンズの伊原コーチぐらいか。
 実際にプレーを見たこともない(あたりまえや)し、野球中継の解説をしていたわけでもないので、あまり私にはなじみはなかったはずやけど、父が”ドテガキ”というたびに子ども心に印象づけられ、キャッチャーがパスボールするたびにその名を思い出す、そんな名捕手やった。どんなんや。
 土井垣武さんに慎んで哀悼の意を表します。
 しかし、2日続けて哀悼の意を表してる。これやったら「くやみ日記」やないか。なんと申していいものやら。

1月28日(木)

 朝、出勤途中、猫の轢死体の上を原チャリで走りかけて慌ててよけた。慎んで哀悼の意を表します。これこれ「くやみ日記」やないというのに。

 今日は「耐寒徒歩訓練」。要はただただ歩き続けるだけで見学などのない遠足だ。神崎川という吹田市内を流れる川のほとりを延々歩く。私は障害が重くて体力が続かない生徒といっしょに歩いたので往復6kmしか歩かなんだんやけど、身体に問題のない生徒は往復14km歩いてる。そらねえ、景色のええところを歩くんやったらともかく、川のこっちは工場で、向こうはマンションばっかりという単調な景観やから、けっこうしんどかった。
 川もまた汚い。割と川幅があるんやけど、どろりとした緑色で、ところどころでぽこりと泡が浮いてくる。メタンガスが発生してるんですな。臭い臭い。
「こんなん川と違うで。用水路や」。
 いっしょに歩いてた先生とぼやくことしきり。
 いやあ、それでも釣りをしてる人がいてるんですわ。何が釣れるんやろと思うたら、鯉を釣り上げてたらしい。私は目撃してへんのやけど、先を歩いてた生徒が釣りをしてたおっちゃんに見せてもろうたそうな。カモメみたいな鳥も飛んでおったし、あんな汚い川でもそれなりに生態系があるんやね。生き物の生命力というのはたいしたもんやねえ。
 実は一昨年までは箕面の滝に行ってたんだ。空気はうまいし景色はええし猿はおる。まあまあ距離はあっても心安らぐものがあったね。そうやなあ、もう少し暖かくなったら箕面の滝に行ってみたいなあ。紅葉のてんぷら食べたいなあ。いやいやこんなことを書いたら妻に連れていけと言われてしまう。行きたないぞ、箕面の滝なんかには。空気がうまくて景色がよくて猿がおるだけやないか。行きたないぞ、そんなところには。

1月29日(金)

 私の好物はチョコレート。休憩時間などはコンビニエンス・ストアで買うてきたチョコレートをぽりぽりかじりながら栄養補給をしている。
 新製品が出たらすぐにお味を試してみるが、まあやっぱり昔からある「ガーナ・チョコレート」なんかの方がうまいと思うね。
 最近はチョコレートに含まれるポリフェノールとかいう成分が体にええとかいうてそれをうたい文句にしたのが出てる。私としては、
冬樹蛉さんと同じくロッテの「カカオの恵み」が一番うまいと思うしネーミングもええと思う。そのロッテから「ヘルシーチョコレート」と銘打って2種類の新製品が出てたのでさっそく買って食べてみた。しかし、身も蓋もないネーミングですわ。
 一つ目は「能力第一」。なんでもアルカリイオン処理をしたカカオマスにカカオの香気を抽出したものを加えたんやそうな。「ここ一番の集中時に。香りたつ天然カカオの香気成分」とうたっている。はあ、カカオの匂いは集中力をつけるんですか。聞き初めやねえ、そんなこと。会議の前に食べてみたけど、いつもと変わらんかったけどなあ。
 二つ目は「食物繊維」。ちょっとあんまりな名前やないかい。そのまんまや。これはカカオに含まれるリグニンという食物繊維を強化したんやそうです。このリグニンは野菜や果物にはほとんど含まれてないと書いてある。「食物繊維不足のあなたに。カラダにやさしい天然カカオ食物繊維」とうたっている。何も食物繊維をとるのにわざわざチョコレートを食べる必要はないと思う。
 どちらも味は悪くない。ロッテのチョコレートはたいていうまい。しかし、どうしてもこのチョコレートやないといかんという味ではないからね。このチョコレートを食べて健康になろうと思うて買う人がいるのかな、ほんまに。
 いくら健康にいいからというてもチョコレートばっかり食うとったら糖分の取り過ぎとか鼻血が出るとか不健康やないかと思うけどなあ。

1月30日(土)

 仕事帰りに妻と待ち合わせて映画を見に行く。いやあ、映画なんて久しぶりやなあ。実は某市の市役所に勤めている妹が組合の斡旋だといってくれたタダ券があったんで、行かな損ということで、なんともさもしい夫婦やねえ。
 京都市内の映画館のみ通用というタダ券なので、京都の「朝日シネマ」にいく。ここは東京の「岩波ホール」と同じようなプログラムを組む小さな映画館。見にいったのは
「宋家の三姉妹」(メイベル・チャン監督)。私は「宋姉妹 中国を支配した華麗なる一族という本を読んで映画の内容に関心があり、妻はミシェール・ヨー、マギー・チャン、ヴィヴィアン・ウーといった女優陣にひかれてこの映画を見ることにしたのだ。
 世界史の学習をしている高校生はぜひ見に行くべし。中国近代史を実にコンパクトにまとめている。しかし、歴史の流れを追うので手一杯で、運命に翻弄された三姉妹の愛憎の華やかなドラマを期待して見に行くと肩すかしを食らう。中国返還前の香港と日本の合作映画なんやけど、そのせいか中国にも台湾にも日本にもアメリカにも遠慮したような歴史描写やね。その遠慮のしぐあいは見事で、どの国からも文句のでないような描き方をしてる。そういう意味では、中国、台湾、そして日本いずれも本当の意味で戦争にケリがついてないんやなあと感じたね。
 妻に言わせると、せっかくすごい女優を並べてるのに、ただキャストが豪華だというだけで女優を生かしてないという。私は香港や中国の映画にうといので、いや、映画俳優全体にうといのでそこらへんのことはよくわからんけど。
 それでも孫文にしろ蒋介石にしろ、実物の写真から受ける雰囲気を見事に再現してるし、三姉妹の性格づけもはっきりしてる。そういう意味では非常にわかりやすい映画やね。中国近代史が2時間でわかるというありがたい映画でした。

1月31日(日)

 今日は「S−Fマガジン」の原稿を書いて過ごす。今回は面白い本が多かったんで、書きやすかった。ほんまに面白いと思う本がない時はしんどいからね。
 夕食時に昨日買うてきたCDを聴く。珍しくクラシックやない。「ATOM KIDS TRIBUTE TO THE KING"O.T."」というCD。手塚治虫へ一流のアーティストたちが捧げるアルバム。忌野清志郎が歌う「少年マルス」にはぶっとんだ。「ジェッターマルス」の主題歌は私はあまりいいと思うてへんかったんやけど、認識不足でした。大槻ケンジは夜明けのカラオケのように「海のトリトン」を熱唱してるし、細野晴臣はオリジナル曲「Omukae de gonsu」でどう聴いてもスパイダーやヒョウタンツギがとびまわってるとしか思えない世界を表現してるし。宮沢和史はよほどのファンでないと知らないような「カノン」という短編を歌にしてみせてる。
 このアルバムは去年の11月に出てたんやね。ちいとも知らなんだ。アーティストそれぞれの手塚治虫に対する思いがこもったなかなか面白いアルバムやね。
 このアルバムを聴いた後、オリジナルの「鉄腕アトム」のCDをかけてみた。手塚治虫自身の思いのこもったヴァージョンということになる。これがまたいいんやねえ。名曲やねえ。エパーグリーンやねえ。やっぱり手塚治虫は私の原点であるなあ。母乳みたいなもの。
 もっとも私の母乳は「ウルトラマン」とか「東映動画」とかまだ他にもあるけど。


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