ぼやき日記


11月11日(木)

 例によって例の如く帰りに最寄り駅前の本屋に寄る。
 「現代用語の基礎知識」「知恵蔵」「imidas」とやたら分厚いのがどかどかと平積みされてて、どれにも表紙に「2000」という数字がでかでかと書かれてる。どうもことさら西暦2000年を強調したいらしい。
 私にしたら、西暦2000年なんかはコンピュータの誤動作の心配はあるもんの、あまり感慨がわかない。わくとしたら、2001年になるときの方やろうなと思う。この気持ち、SFファンならわかってもらえるんやないかな。1984年になった時にも「おおそうか、今年は1984年やったか」という感慨があったもんです。
 なんのことだかよくわからん方もいらっしゃるやろうから、簡単に説明しておくと、「2001年」はA・C・クラークの小説とS・キューブリック監督の映画でおなじみの年号です。「2001年宇宙の旅」は今見てもやっぱりすごい映画やと思うけど、最初に見た学生時代、「2001年」なんてかなり先のことで想像もっかんかったなあ。私には2001年にはディスカバリー号が木星にむかって旅立っているという刷り込みがある。そやからきっともうそろそろ月の地表に謎の石板(モノリス)が発見されててもおかしないし、いや実は私が知らんだけでもう発見されてるかもしれんと思うと胸がわくわくしませんか。しませんね。
 一方、「1984年」というとG・オーウェル作のアンチ・ユートピア小説。全体主義社会の恐怖を描いたこれも傑作。映画化もされてる。ビッグブラザーが見ている社会というのは、高校生の私には実に気色悪いもんやということを教えてくれた。最近の日本はなんかビッグブラザーに見られたい人がどんどん出てきてるみたい。
 擬似イベントというんですか、人為的に話題を作り出して大騒ぎするという。2000年じゃ2000年じゃというのもそうやないかと思うね。別にキリストが生まれて2000年たとうがなにしようがそれがどうしたんですかという感じやね。だいたい目の前の仕事で手一杯やのに来年のカレンダーは配られる手帳が日記帳が書店にずらずら並ぶと、ほらほらほらもうじき年末やぞあせれあせれ急いで来年の支度をせいと追い立てられてるみたいで嫌やね。どうせもうじきジングルベルが商店街に鳴り響いてサンタのかっこうをしたバイトが巷にあふれるんやけど、そのクリスマスはまだ年内のことやのに、その宣伝もしてないぞ。来年のことが先にわあわあ宣伝されて年内の行事の宣伝が出遅れてるというのはなんか奇妙やと思いませんか。
 それにしても、2000という数字、私はもうすでに見飽きてきた。年が明けたら1年間その数字を見なならんというのに、今からそれでどないしよう。

11月12日(金)

 今年も「京都SFフェスティバル」の本会でなにやらおしゃべりせんならんことになってしまった。去年は架空戦記について一人しゃべりをしたんやけど、今年は三村美衣さんとの対談。まさか自分が出演することになるとは思うてなかった。
 この前実行委員長の
岡田英之さんに面白半分に「冬樹蛉さんと東茅子さんのミラクルボイス対談』を聞きたい」とか「野尻抱介さんと笹本祐一さんの宇宙開発SF口喧嘩』は聞き応えがあるぞ」などと好き勝手に企画のアイデアと称して駄法螺を吹いていたら、それがそのまま自分に返ってきてしもうた。岡田さんは実に生真面目な方で熱心にメモをとってはったけど、内心では「人の苦労も知らないで……」と怒ってはったかもしれん。
 対談の内容は「ヤングアダルト」についてらしい。らしい、というのは、まだ打ち合わせをしてないからで、そんなことでいいのか。もう来週やぞ、ええ。もっとも「京都SFフェスティバル」の伝統からいえば、前日に企画が決まってぶっつけ本番で話をしたとかそういうようなことがよくあったらしいんで、1週間前ならば親切かもしれん。
 そんなにかなんのなら引き受けへんかったらええのにと思うでしょ。そんなあなた、ゲスト出演となると参加費を払わんでええのや。ああなんというさもしい根性なんやろう。自分で自分が嫌になってくる。
 まあ、困ったら三村姐さんが何かしゃべってくれるやろう。彼女にまかしといたら大丈夫。私はにこにこしながらうなずいているだけでええぞ。そんなことを彼女が許してくれるやろうか。許してはくれへんか。しかし司会の人はたまらん代。私と三村姐さんやったら、きっと話題があっちに行ったりこっちに行ったりしてまとまらんようになるのと違うやろうか。
 というわけで、興味のある方は11月20日に
京都においでやす。私と三村姐さんの話はどないなるや皆目見当がつかんけれど、その他の企画は聞いてお得見て眼福ということになると思います。

11月13日(土)

 税金の群
 今日、淀屋橋の駅でこんなん見つけたんで、圧倒されてしもうた。
 写真の5倍くらいの量の「税金」と書かれた習字がずらっと並んでるんだ。たまらんよ。ちょうど年末調整の書類を提出したところやったんで、なおさら。
 子どもにこんなもんを書かせて嬉しいかね、税務署は。子どもも将来税金で腹の立つことやらなんやらいろいろでてくることもしらんと書いておるんやなあ、きっと。
 こういうもんがキャンペーンになって効果をあげると本気で思うておるのかね。通勤なんかで毎日この壁の前を通ったりしてたら、きっと腹が立ってくるよ。逆効果やと思う。
 キャンペーンというと、今日の昼にうちの前の通りをブラスバンドがどんじゃかどんじゃかと行進してて思わず妻と二人でベランダから見物してしもうたけど、何のパレードかと思うたら、「覚醒剤、暴走族を町からなくそう」という警察関係のキャンペーンやったらしい。ライオンズクラブのお歴々がブラスバンドの後ろでたすきを掛けて歩いていたけど、あの人たちはこんなことで覚醒剤や暴走族が町からなくなると思うてるんか。たぶん思うてはせんやろう。
 私たちはこれだけのことをしてるんですというデモンストレーションかいな。しかも鳴らしてる曲がどうも軍歌調で、ただ家の中で聞いてるだけやったら右翼の街宣車と間違えるぞ。あのセンスのなさはなんともしようがないんかなあ。
 私自身が公務員のくせにこういうのもなんやけど、お役所はこういうことに金をかけんともう少し合理的に金を使うてほしいもんです。これ、予算はたいてい税金でっせ。悪い冗談みたいやけど。

11月14日(日)

 今日は「京都SFフェスティバル」の対談について、実行委員長の岡田英之さんと司会の中澤さんと会って、打ち合わせ。私はだいたい目鼻がついたけど、さてこれを三村美衣さんと打ち合わせをしていく中でどう変わっていくか、というところやろうな。まとまらんような気がしてきた。まあ無理にまとめる必要もないんやけど。

 帰りに「丸善」に寄る。2階の文芸書の売場のレイアウトが変わっていて戸惑う。書店というのは、お客さんに見やすいようによう棚の配置を変えるけど、慣れてきたころに変えられると困るね。目当ての本を探すのに難儀する。特に前に行って「これは次に行ったときに買おう」とか考えてた本が、レイアウトの変更とともになくなってたりというようなことがあるからね。在庫の整理というような意味でもレイアウトを変えるときに一気にやってしもうた方が書店にしたら楽なんやろうけど、お客である私なんかは困るんですよ。
 フェアをやってて棚に平積みしてた本は、そのフェアが終わったら、棚に入れんとそのまま返本する場合もあるのかな。妻に聞いた話やと、ある漫画家のフェアをしていた書店で、どれを持っててどれを持ってなかったかがわからんかったんで、その時は買わずに帰ったら、次に行ったときにはフェアが終わってた上に、その時に平積みになってた本は、棚にもなかったというから極端ですな。その漫画家の本を買おうというのはけっこうマニアックな層が多いらしいんで、平積みにしてあったのが売り切れたとは考えにくいらしい。
 書店もあの手この手で本を売ろうとしてるわけで、それに対して気まぐれな読者が文句を言えた立場やないんやけれど。棚の容量にも限りはあるしね。それやったら書店に頼んで取り置きしてもらうとか、そういう手しかないんかなあ。そやけど、妻のケースみたいにだぶりがないように確認せんといかん場合もあるし、そういう場合は取り置きしてもらいにくいわなあ。こういうのは特に解決策もないだけに、難しい問題やね。注文すると時間もかかるし、特に漫画は注文を嫌がる書店もあるしね。
 見つけたときは迷わず購入、だぶりがでてもかまわん、というくらいでないといかんのかなあ。

 「本の雑誌」12月号に拙稿「SF旅物語のきわめつけはこれだ」が掲載されております。興味のある方はご一読をお願いします。

11月15日(月)

 仕事が忙しくて疲れている上に帰りに雨が降って合羽を着て原チャリに乗ったりしたもんやからよけいに疲れて家に帰って読んだ本があまり自分の趣味に合わんかってなおさら疲れてへろへろになっていてこの日記を書こうとパソコンを立ち上げたのに気がついたら地雷を探すゲームに没頭したりしてますます疲れてああこらいかんと日記を書き始めるのはええけどあまりに疲れてるんで脳味噌が腐っていて何も思いつかんのなら日記など書くなと自分で自分をののしるのはとても疲れる。ああこれだけ書いたらまた疲れた。

11月16日(火)

 仕事が忙しくて疲れている上に帰りに木枯らしの中を原チャリに乗ったりしたもんやからよけいに疲れて以下略。

 腕時計の電池が切れたので交換に行く。ふだん私は腕時計はせんのやけど、ダイニングのテーブルに置いてタイマーとして使うことが多いので、電池が切れると不便でしかたない。
 この時計はまだ私が学生時代に何かの祝いで親に買うてもろうたもんで、液晶デジタル腕時計のかなり出だしのもの。カシオ製の時計で、竜頭を押すとデジタル時計からアナログ時計に画面が切り替わるという、今はどこでも手にはいらん奇怪な時計である。液晶でアナログの針が表示されるというような、いったい何を考えて作られたんやらようわからん時計やけれど、買うてもろうた当時は常にアナログ表示にしてた憶えがある。
 タイマーはついてる、ストップウォッチはついてる、アラームはついてる、なんでもできる便利なもので、腕にしてるよりもダイニングに置いといた方が何かと便利。腕時計にそんなごちゃごちゃと機能はいらんわな、実際。
 結局、社会人になってから懐中時計を買うてもっぱらそれを使うてたんやけど、数年前に壊れてからは、時計を持ち歩かなくなった。不便やないね。携帯電話に時計がついてるし、万歩計にも時計がついている。これ以上時計を持つ必要はありませんな。それに、電車に乗ればホームに時計はあるし、町を歩いてたらコンビニに時計がある。何も時計を持ち歩かんでもたいてい間に合う。
 ところで、時計屋で電池交換を待っているとき、ちょうど午後6時になった。3分前くらいから、順番に置き時計やら掛け時計の時報が順番に鳴り出してやかましい。「スターダスト」がかかったかと思うと「ミッキーマウスマーチ」が鳴る。「アニーローリー」に「ドラえもん」、全て無機的な電子音なんで気持ち悪い。もう片端からスイッチを切りに行きたいくらい。
 よう考えたら時計屋の人は毎時間これを聞いてるわけやね。慣れたら感覚が麻痺して何にも感じんのやろうけど、なんでそんなにようけ時報をならす必要がある。スイッチを切っといても不都合はなかろう。だいたい時計屋なんてそんなに常に客がいるわけやなし。何か時報を大量にかけておかんならん隠れた理由でもあるんかな。ときどきメーカーの社員が客を装って時報がかかってるかどうか確かめて「おたくはあの時計とこの時計の時報をつけてませんでしたね、ふふふふふ」。笑わしてみたけど、笑うただけで時計屋に対してなにも圧力をかける理由がないぞ。
 時計屋さん、なんであんなにいっぱい時報が要るんですか。私には皆目見当がつきませんでした。

11月17日(水)

 昨日、時計について書いたところ、作家の田中哲弥さんからこんなメールをいただいた。

「液晶で、アナログとデジタルの切り替えができるカシオの時計というのは実はぼくも高校生のとき買ってもらって、今でも電池交換をして持っているのですが、これはジョン・バダム監督ロイ・シャイダー主演のヘリコプター映画『ブルーサンダー』で主人公が使っていたもので『ブルーサンダーの時計』として、欲しい人にはたまらないものなのであります。
 G-SHOCKがブームだった頃、売り買いの掲示板にそれがどうしても欲しいという書き込みをした人がいて、ぼくは誕生日祝いに買ってもらったものなので売るわけにはいかないが、スペックなどは教えてあげましょうとメールをしたら、もう何年も探しているが見つからず、いつまででも待つので売る気になったら言ってくれと言われたほどです。
 液晶でのアナログ表示というのは、今後見直される可能性のある方式だとぼくは思います。なぜ今ないのか不思議なくらいです。奇怪などと言わず大事にするべきだと思いメールいたしました。基本的にカシオやタイメックスなど安物時計の好きなぼく個人としては、カシオの名作としてベスト3に入るものだと思っております」。

 豚に真珠、猫に小判、喜多に時計、ということだったのですね。
 何の気なしにお料理タイマーとして使うていた時計が、時計の好きな方には垂涎ものやったということやね。しかし、これはマニア心理としてはよくわかる。薄汚い古本で知らない人にはどうでもいいものでも、私にとってはのどから手がでるほど欲しくなる、というのと同じことやと思う。
 昨日は「奇怪な」と書いたけれども、ここは「貴重な」と訂正いたします。確かに、いわれてみればタイマーとして使うてるときに、液晶のアナログ表示であるがためにずいぶん使いやすい思いをしているのは確か。私も何かのお祝いにもらったものなんで、手放す気はないし。
 時々「土蔵に放り込んであったがらくたと思っていたものが、非常に高い値で売れた」というような話を聞くけれど、まさか自分が日常使うているものが、見る人によっては宝物であったということがあるとは思うてもみなかった。
 これからもたぶんお料理タイマーみたいな使い方をしていくことになるとは思うけれど、もう少し大切に扱うことにしよう。でないと、その型の時計を欲しがっているような人に対して失礼やということがわかったからね。
 田中さん、ありがとうございました。

11月18日(木)

 劇の本番が終わるまでは年賀状どころやないんやけど、今日、本屋でCD−ROMつきの「年賀状デザイン集」の本を立ち読みしたりしていた。
 ここ2年、つまりパソコンを買うてからは宝島社の出してた「Macがいちばん!」という雑誌の付録CD−ROMから図案をいただいて年賀状を作ったりしてた。ところが、これが廃刊になってしもた。今年はどうしようかなあ、鉄腕アトムの絵が入った官製年賀ハガキを買うて、それに「謹賀新年」「今年もよろしく」と刷ったらええか、というようなことを考えてたわけです。
 そやから、「デザイン集」もただどんな絵柄がのってるんかなと思うただけで買う気は全然ない。ところが、ある1冊を手にしたとたん「こら買わな」と思う。
 それは「週刊アスキー年賀状スペシャル2000」という本。いしかわじゅん、青木光恵、唐沢なをき、寺島令子、開田裕治、永野のりこ、ソルボンヌK子などなど濃いメンバーが好き勝手に描き下ろした(としか思えん)イラスト素材がこれがもうおもろいというかすごいというか。辰年の年賀状やということなんか度外視してるね。干支を間違えたんかといわんばかりに猿ばっかり描いてる人がいるかと思うと、MacのG4マシンにマグマ大使の手足を生やした絵を描いてる人がいる。レインボーカラーとかじりかけのリンゴのデザインのビキニを着た女の子を描いている人もいたら、核爆弾が落っこちる絵を描いてる人もいる。
 これのどこが年賀状やねん。と突っ込みをいれつつも、もうこんなおもろい絵がフリー素材として発売されててやね、しかもこれはいわば年末までの期間限定でしか手に入らんとなると、いてもたってもいられんようになった。気がついたらレジにその本を持って立ってたね。
 家に帰って妻に見せたらこれがまあ大喜び。趣味の合う人が身近にいるのがこんなにありがたいときはない。二人して「ええやんこれ」「おお、これもすごい」「こんな絵の年賀状をもろたら相手が引くよ」「うわははは」「わはははは」とおおいに盛り上がる。
 このイラスト集を使うて年賀状を書くかどうかは、まだわからん。わからんけど、コピーしてデスクトップの壁紙にしたくなってきた。いやあ、税抜き1280円がちっとも高いことないと思うね。
 ところで、このイラスト集はBMP形式で収録されてる。これはWindowsの標準やね。そやのに、描かれてるイラストにはiMacやらiBookやらアップルマークやらがとびかってる。漫画家はたいていMacを愛用してるからなあ。まるでMacユーザー向けに作られた素材集みたい。ハイブリッドCD−ROMやから別に不都合はないけれど、わざわざBMPで収録してるのに、中身はApple社の宣伝みたいやったりするのはなんとなくおもろいね。

 読書感想文「銀河熱風オンセンガー」(山本正之)で書いた内容に一部間違いがあって、メールでご指摘いただきましたので、訂正しておきました。知らないことを調べもせずに書くからこういうことになる。今後は十分気をつけなければ。ご指摘いただいたみなさま、ありがとうございました。

11月19日(金)

 今ちょっと脱力している。なんでかというと、今日は劇の予行があったからで、ここで生徒たちがなんとかうまいことやってくれたんで、ああ一山越したわいとほっとしておるのです。本番は28日やから、まだ気を抜いてはいられへんのやけど、きちっと本番と同じ形で、しかも他の学年の生徒たちが観客として見ている中でやって、これなら本番、親の見ている前でもなんとかなりそうという手応えがあったんで、やれやれてなもんです。
 舞台の上に立って、人前で何かをするというのはめったにでけん体験やからね。緊張、達成感、挫折、なんでもええ。養護学校の場合、何らかの形で全員が出演することになっているんやけど、一般の学校やったら、舞台に立つのはほんの数人やからなあ。私は出たがりの嬉しがりやから、小学校の時と高校の時と舞台に上がって演技したりしている。妻にきくと、そういう経験はないとのこと。ま、普通の人やったらたいていそうですわな。裏方にまわることの方が多いはず。
 そういう経験をしていても、教育実習で初めて生徒の前に立ったときは、足が震えた。それどころやないね。講師で食いつないでた頃は、毎年のように勤務校が変わったから、その都度新学期の最初の授業では足が震えた。それでも人前でしゃべるのは仕事やから、それほど苦にならん。こういうのはやっぱり場慣れ、ですな。
 いや、生徒たちはいい経験をしてるねなどと喜んでる場合やない。明日は「
京都SFフェスティバル」で百戦錬磨のSFファンのいる前でしゃべらんならんのや。昨年は一応レジュメを作ってそれにそって話をしたけど、今年はそんなもんはない。一応電話で対談相手の三村美衣さんと打ち合わせはしたんやけど、だいたいが古い付き合いなもんやから、なんか関係ないあほな話ばっかりしてて、出た結論が「だいたいそんなとこかな」「まあそれでええんと違う」「しかしまとまらんで、これは」「無理してまとめる必要はないか」。これ結論とはいいませんね。さてどないなるやら。生徒より一足お先に本番を迎えるという感じかな。
 ただ、ほっとしたおかげでひきかけている風邪が表に出てきたみたい。さっきから咳が止まらんよ。ほんまに明日は大丈夫か、自分でもわからん。

 というわけで、明日は泊まり。明日の更新はできません。20周年パーティーにも行くことになってるんで、日曜の深夜に更新できるかどうかは微妙なところ。月曜深夜の更新になるかもしれません。悪しからず。


てなもんや伝言板 お気軽にご利用下さい。

メールはこちらまで。どうぞよろしく。


過去の日記へ。

ホームページに戻る