ぼやき日記


12月22日(水)

 昨日は京都の「先斗町歌舞練場」へ、「花形狂言会」を見に行く。
 先月、「日本芸能再発見の会」で大蔵流狂言方、
茂山あきらさんのお話を聞いて興味が出てきたところへ、妻は前々から見に行きたがっていたので、重い腰を上げて見に行くことにしたわけです。
 前々から最近大蔵流の若手に若い女性のファンがついているということはきいておったけど、いやついているというような生やさしいもんやおまへんで。歌舞練場の客席を見渡せば、80%くらいは若い女性で占められてたね。たいていおとなしめな感じの人たちやったけど、常連さんも多いという雰囲気。すごいなあ。近鉄が「伊勢神宮へ参ろうか」と初詣のポスターに使うはずですわ。
 演目は「死神」と「靫猿」。「死神」は同題の落語を狂言に移し替えたものやけれど、演出なんかはいかにも狂言らしく変えている。実は、10年ほど前に定時制高校の講師をしていたときに、文化祭の職員劇で「死神」をしたんやけれど、台本や演出のベースがこの狂言にあることがわかった。台本提供と演出をした先生は自ら能舞台に立つような方やったから、きっとこの狂言をご存知やったに違いない。そやから、私としては「死神」を見てるとなんや懐かしい思いがしたし、初めて見るような気がせんかったね。
 面白かったのは、二つの演目にはさまって「卒業式」が行われたこと。この「花形狂言会」を引っぱってきた茂山七五三さんと茂山あきらさんが「花形」を卒業し、新たな一歩を記す記念の会やったんです。もちろん狂言役者がする「卒業式」ですから、一筋縄ではいかない。実際の卒業式のパロディというようなもので、笑わせどころ満載。客質がええので、ギャグに対する反応も早い。
 初めてこういう会に行って感じたのは、役者と観客の距離の近さですな。全ての演目が終わったあと、出演者全員が紙飛行機を投げるんだ。受け取った中に「当たり」とあったら、景品がもらえる。客席からロビーに出てアンケートを入れようとしたら、箱を持って立ってるのが茂山あきらさん。その他「花形狂言少年隊」の面々も出口でお客さんをお見送り。茂山宗彦さんかな、女の子から手編みのマフラーをもらってた。すごいなあ。アイドルですな、そうなると。この距離感の近さがええんやろうね。「お豆腐狂言」の看板はだてやないね。
 妻はすっかり気に入ってしまい、これからしばらくは狂言の会に足しげく通いそうな雰囲気。私も機会があればまた見に行きたいなあ。いやとても楽しかった。

 明日は神戸ルミナリエに行くので、たぶん帰りは遅くなると思うから、次回更新は金曜深夜の予定になります。なんか遊んでばっかりや。

12月24日(金)

 今日は学校の終業式。やっと2学期が終わった。ちょっと気が抜けています。まあぼちぼち行きましょう。どこへ?

 昨日行ったのは神戸。昼から「六甲アイランド」にある「神戸ファッション美術館」へ行く。「21世紀のハイカラグッズとウルトラマン展」というのを見に行ったのです。そらあなた、初代のウルトラマンからガイアとアグルまで、マネキン人形よろしくずらりと展示してあるのは壮観でしたよ。入り口のところにXIGの自動車が展示してあったり。あ、XIGというのは「ウルトラマンガイア」に出てくる地球防衛組織の名前です。ええ年をしたおっさんとおばはんがわあわあきゃあきゃあ言うんやありません、みっともない。
 円谷英二監督ゆかりの品物の展示、撮影に使われた怪獣の一部などなど実際に「ウルトラマン」に関係したものだけやない。地元の会社に出品を依頼したオリジナルグッズがまたこれがいい。スポーツ用品の会社製のバルタン星人スニーカーやとか、洋菓子店の競作でウルトラマンをモチーフにしたケーキとか、重ねるとウルトラマンの姿が浮き上がる陶製の重箱やとか、面白い製品がいっぱい。
ウルトラ指人形
 残念ながらデジタルカメラを忘れてしもうたんで会場の様子は写真でお見せできません。そのかわり、売店で買うてきたウルトラマンや怪獣の指人形をご覧いただきます。1個90円のもので、ウルトラマンファミリーは、変形したデザインのものもそれぞれ揃えたよ。夫婦二人して「青いダイナがない」「これとちがう?」「違う、それはにせもんのダイナや、もう籠に入れた」「あ、私ダダを3つ買お」「おお、このゼットンは2代目やんか。初代はどこや」「あ、これ」「ジラースがない」「はい、これ」と子どもたちを寄せつけへん。小さい子が引いてたからね。妻がレジに持っていったら、店員のお姉さんが笑うたそうや。失礼な。いや笑うわな。1個90円の指人形を7000円以上も買うんやから。オタク丸出しです。
 子ども連れの私たちより若いお父さんが、人形の見本を見て「『ガンQ』か……知らんな」とつぶやいてた。それに対し、うちの妻は「『ガンQ』より地球怪獣がええのに、なんでないの」とやたらくわしい。「コマンダーの指人形はないの?」。いくらなんでも人間は指人形にはせんでしょう。
 というわけで、収穫ほくほくで六甲ライナーに乗り、いよいよ「神戸ルミナリエ」の会場へ。私たち夫婦を試練が待ち受けていたとは、この時点ではしるよしもなかったのであった。その顛末については、また明日。

12月25日(土)

 クリスマスですね。クリスマスソングのCDかなんかかけて、ケーキだの鶏のもも焼きだの食べはりましたか。クリスマスソングというと、トニー谷の「サンタクロース・アイ・アム・橇」やクレイジーキャッツの「クレイジーのクリスマス」などの名曲がありますね。え、ご存知ない! 知らんな、普通。
 わが家ではソプラノの名花バーバラ・ヘンドリクスの透明な歌声を聴きながら、おいしいおいしいおいしいケーキをいただきました。しかし、一昨日に神戸で「ルミナリエ」を見た時点でクリスマスは終わったような気がしてるんで、なんか変な具合。
 と、強引に話を昨日の続きにつなげてしまう。これテクニックのひとつね。どこがや。
 さて、六甲アイランドでウルトラマンの世界を満喫した私と妻は、神戸市内へ。「ルミナリエ」には前から妻が行こう行こうと言うていて、ものぐさな私は毎年じゃまくさがっていたんやけれど、年々縮小されているというので、派手なうちに行っとかなあかんと思い、今年は行くことにした。クリスマスに「ルミナリエ」に行くやなんてまるで普通の夫婦みたいやね。まあええやん。
 あ、「ルミナリエ」をご存知ない方もいらっしゃるかもしれへんね。これは震災の年から神戸復興のために行われてる行事で、イタリアの「ルミナリエ」を模してメインストリートや公園に電飾のアーチを作り、夜を彩るというもの。億単位の予算をかけて飾られる。テレビで見てもきれいやなあと思うたけれど、やっぱり実物を見ないとあかんね。特に離れたところから見ると、夜の町に電飾の回廊が浮かび上がってるところなんか、言葉ではちょっと表現でけへん。
 しかし、その電飾が見えるところにつくまでが大変。神戸大丸の北側に午後6時についたんやけれど、そこから大丸をぐるっとまわって南京町の入り口を横手に見て電飾が見えたときには午後8時をまわってた。2時間もかかって、やっと入り口が見えるところについたんやから、その人出の多さがわかるでしょう。なんというか、道いっぱい朝の通勤電車状態。芋の子を洗うなんという生やさしいもんやないよ。アルミ製の弁当箱に飯粒をぎっしりぱんぱんになるまで詰めたような感じやったね。
 10分ほど待って7歩ほど進む。また5分待って3歩進む。延々そんなんの繰り返し。またアホカップルがようけいて、女のうしろから男が抱きしめた状態で人波に偏在しておる。「あたし10時には帰るからな」「なんで、かまへんやん、11時半くらいまでええやろ」「あかんわ、そんなん」「ほなら11時」「あかんて」「会社の人と飲むときはもっと遅い時間までOKやんか。なんで今日は10時やねん」「いつもは平日やからええねん」。兄さん、嫌われてまっせ。いらいらした男は「なんでこんなに進まへんのや」と毒づきながらぐいぐい後ろから押してくる。私はこけそうになったよ。妻とはぐれまいと手を握っておったんやけれど、もう少しで離してしまうところやんか。こういう時はこの混雑も楽しんでしまうのがマナーでしょ。
 警備員のおっちゃんが交通整理をしてたけれど、人の波が動き出したところで絶妙の声かけをする。「あせらないでゆっくり進んで下さい。年のいった人とお子さまがいまーす。若い人はすぐに止まります。
中途半端に年のいった人はすぐには止まってくれませーん」。これだけでなんぼ場がなごむか。
 また、ちょっと高いところに立っている警備員のお兄さんがいて、「私の足下にベンチの角があります。気をつけて下さい。私の足下にベンチの角があります」と実にわかりやすい注意を繰り返してる。確かに人波で足下の段差なんかは全然見えへんもんな。
 中途半端に年のいった私は、膝はがくがく足の裏はじんじん太股はぱんぱん。まだ翌日に終業式があって朝から出勤せんならんというのに、体力を使い果たしてしもうた。そうして見た「ルミナリエ」の美しかったこと。あの2時間があったから、よけいに灯りが神々しく見えたね。そして、その灯りと対比するように夜空に浮かぶ月の美しかったこと。まんまるで澄んだ夜空に白く光る月と、夜景に陽炎が揺れるように浮かび上がる電飾。自然の美と人工の美の絶妙なバランスがあった。
 とにもかくにも一度行ったから、これで妻もむやみにせがむことはないやろうと思うてたら、今日の夕食前にひとこと「明日も行くんと違うの」。やめてよ。

12月26日(日)

 今日は久しぶりにゆっくり過ごせたので、たまっていた新聞の一気読みをする。京都では殺人、摂津では誘拐と子ども受難の年末やね。どちらの事件にも共通するのが、過去にあった事件の焼き直しみたいなところかな。しかももととなった事件に比べるといかにも物まね臭く、手口にしても社会に与えるインパクトにしても、かなり矮小化されているなという気がするね。内なる狂気や衝動とまともにぶつかることなく、過去の犯罪をマニュアルとして使ってるだけという感じやね。
 マスメディアを存分に利用し、報道をあたかも劇場中継のように見せた「かい人21面相」。黒く塗りつぶされたような内的世界を殺人という形で解放した「酒鬼薔薇」。これらの犯罪は社会にいろいろな課題を突きつけた。ところが、その物まねである今回の事件には、そういう衝撃がない。いや別にこれは「かい人21面相」や「酒鬼薔薇」のしたことを肯定してるんやないよ。そんな犯罪なんかないにこしたことはないんやから。
 とにかく、この年末の関西は摂津と吹田を中心にした連続放火事件といい、知事の辞任といい、殺人といい誘拐といい、ろくなことが起こってないな。どないなってるんやら。やっぱり景気が悪いとこないなるんかなあ。

 「S−Fマガジン」2月号が送られてきた。創刊40周年という区切りのいいところに自分の書いたものが掲載されてるのは、なんか嬉しいね。「日本人作家特集」の顔ぶれも、今ちょうど旬の人たちばかり。あ、「S−Fマガジン読者賞」のイラストレーター部門でおがわさとし君が5位に入っているぞ。日本人作家では野尻抱介さんが1位で藤田雅矢さんが2位で田中啓文さんが5位。知人友人がこうやって評価されているのを見ると、嬉しくもあるし、羨ましくもあるなあ。あ、藤田さんの場合、奥さんとお友だちなんです。ご本人とはごあいさつした程度。念のため。ええと、エッセイ、批評部門なんてのは作らないのかな。最も、私の書評では読者賞なんぞもらわれへんか。よけいがっくりくるだけやろうから、そんな部門は作らんでもよろしい。

12月27日(月)

 今年も「年末特別警戒」というのをやっている。去年もやっていた。毎年やっている。去年の日記にも書いたけれど、相変わらず「焼肉焼いても家焼くな」と子どもが言うてる。やめてくれよ。今年は「サンマ焼いても家焼くな」やて。今じぶんサンマを焼く家がどこにある。
 ほんまに、子どもたちは「マッチ一本火事のもと」て、わかって言うてるんやろうか。去年も書いたけど、今どきマッチを家庭で使うというようなことはめったにないと思うぞ。
 私の子どもの頃は、マッチなしでは生活でけへんかったと思う。まずガスコンロが自動着火やなかったからね。ガスをシューと出しておいてすっとマッチの火を近づけるとポッという音とともに火がついた。石油ストーブは円筒形のもので取っ手をコリコリコリとひねると芯がでてきてそこにマッチで火をつけた。ストーブを乗せる台のところにマッチの軸がようけほかしてあったなあ。大人がタバコをすうときもたいていマッチやった。
 今でも自動着火やないコンロはある。でも、たいてい電熱やら放電やら「チャッカマン」みたいなライターなんかでつけるよね。ストーブはエアコンやファンヒーターにとってかわられている。タバコは百円ライターの普及であまりマッチはつかわんようになった。だいたい喫茶店でレジのところにおいてあるマッチも木のマッチやない。ブック型の紙マッチがほとんどですな。
 こうやって考えると、ほんまにマッチは家庭から、いや、日常生活から姿を消しつつあるなあ。私ら子どもの頃からマッチをする習慣があったから、ライターのガスがなかってもさして困らんけれど、今の子どもは困るんと違うかな。器用に片手でマッチをするというような芸当をする人も結構いたけれど、ああいう芸もすたれていくんやろうな。あれは私はでけへんね。薬指と小指でマッチ箱を支え、親指と人差し指でマッチをつまんでしゅっとするてなことをしている人を見んようになって何年になるかな。
 となると、「マッチ一本火事のもと」などというセリフも消えていくんやろうな。「ライター一個火事のもと」になるんかね。ちょっと無理があるな。そのかわりが「焼肉焼いても家焼くな」ということになるのかな。それはちょっとやめてほしいもんです。

12月28日(火)

 昨日今日と、正月に向けての買い物に行った。夫婦二人の小所帯でも、用意せんならんものは用意せんならん。
 親戚の子どもにあげるお年玉にはいつも考えさせられる。お金であげるほど大きくないので、物であげることにするわけやけれど、いったいどんな物をあげたら喜んでくれるか、やね。子どもだけやなしに親も喜んでくれそうな物にせんといかんと、いろいろと気を遣うものです。
 で、妻方の甥っ子にはビデオをあげることにした。デッキやないですよ、テープですよ。説明せんでもわかりますか。そらそやね。生テープやないですよ、映像の収録されたものですよ。説明せんでも……しつこいな。
 甥っ子は大の電車好き。これは親の教育のたまもので、義兄は鉄道マニアなんです。そこで、電車の運転席にカメラをすえて始点から終点まで撮りっぱなしにしたビデオを買うことにする。これがいろいろ種類があるんでびっくりした。JRはもとより、東京、大阪、奈良、京都の私鉄もシリーズで並んでいる。うーむ、鉄ちゃん人口というのはかなりあるのやろうね。市場が成り立つほど。
 その中からなんとか1本選び出したけれど、私は鉄道ファンでもなんでもないんで難しかった。それから、アニメーションや特撮のコーナーで東映動画の名作「わんわん忠臣蔵」と「仮面の忍者赤影メモリアル(全2巻)」というビデオを見つけたので、それに加えて爆チュー問題のシングルCD「でたらめな歌」とまとめてレジに持っていく。自分用のビデオ3巻CD1枚とお年玉用のビデオ1巻をわけて差し出し「贈り物の包装で……」と言うと、店員さんは迷わず私用のかたまりの方を指さして「こちらですね」と言うた。違ーう。確かにアニメと特撮とポンキッキーズときたらそちらの方が子供向けに見えるかもしれへんけどね。店員さんからしたら子どもへの贈り物のついでに自分の好きな鉄道のビデオを買うてるように見えたんかもしれへん。おっさんが「わんわん忠臣蔵」と「仮面の忍者赤影」と「爆チュー問題」を買うたらいかんのか。子どもが鉄道のビデオを見たらいかんのか、え。などとは言わずに「こっちです」と鉄道のビデオを示しましたよ。
 しかしなんですな、私は鉄ちゃんに見えたんかな。私は哲ちゃんであるが鉄ちゃんではないぞ。まあその、どっちにしたってオタクであることにはかわりはないけどやね、そこはそれ、気分の問題。鉄ちゃんには間違われたくないなあ。鉄道マニアの人から言わせたら、「アニメ・特撮オタクといっしょにせんといてくれ」ということになるか。

12月29日(水)

 夫婦そろって風邪でダウン。最初は妻が、今日になって私が布団にくるまっていた。年末であれやこれやとやらねばならないことが多いのに、体力が落ちると気力だけではもたんね。
 昼間、布団にくるまりながら珍しくテレビを見る。たぶん関西ローカルやと思うんやけど、毎日放送で
「蝶々・鶴瓶の負けられまへん」という番組をしている。これは前から新聞でも紹介してたんで、ちゃんと録画もした。
 笑福亭鶴瓶とミヤコ蝶々のロングトークなんやけれど、ゲストに白木みのる、夢路いとし、喜味こいしといった人たちを招いて、蝶々師匠からいろいろな思い出をうまいこと引き出していた。また、鶴瓶師匠が蝶々師匠ゆかりの土地をたずね歩くロケをところどころに挿入し、貴重な証言を収録している。
 こういう番組を、大ベテランの芸人さんが息災なうちにちゃんとやってくれているというのは嬉しいことやね。本人が引退する気がなくても、どうなるかわからんからね。また、この番組の映像の一部分はのちに他の番組で引用されることはあるやろうけれど、これをまるまる再放送することはおそらく1回あるかないかというところやと思うんで、ぶじ録画できてよかった。
 それにしても、蝶々師匠の座り方は、かなり足腰が弱ってるなあという感じ。2年ほど前に蝶々一座の公演を妻といっしょに見に行ったけれど、その時も座る場面は必ず座椅子で立っているときは動きから見ても腰にコルセットかなんかをはめてるみたいやったからね。それでもまだ動きは達者やったから、あの時に見に行っておいてよかったかもしれへん。とはいえ、口の方はお元気で、しゃべっている相手にぐさぐさとつっこんでいくのを聞くとそのタイミングといい言葉の選び方といい体にしみついた「藝」が全く衰えてないことを感じさせる。番組の終わった後で「蝶々・雄二」の漫才をCDを出してきて聞いてみたんやけれど、全盛時のしゃべくりと今のしゃべくりがほとんど変わってないことを確認した。
 この番組はおそらく放送局ではちゃんと保存しておくことやろうけれど、できればビデオでもDVDでもええからカットした部分も補って発売すべきやないやろうか。少なくとも、関西以外のファンに対して何らかの形で提供せんといかん、そういう番組やと思う。新聞のテレビ欄でゴールデンタイムの番組を眺めていたら、このうちのひとつでも削って全国ネットででけへんかったんかなあと、少々無茶なことを考えたりもした。あかんやろうなあ。スポンサーがつかへんやろうし、数字もとられへんやろうなあ。ああ、あの話芸を全国の人に聞かせたい。

12月30日(木)

 今日は一日中年賀状書き。これだけは年内に出しておきたかったので、風邪ひきでしんどかったけれど、なんとか書き上げて出すことができた。去年の日記にも書いたけれど、表書きと添え書きは必ず手書きにしてるから、指先が痛くなってしまう。ほんまに毎年同じことを書くけれど、添え書きは難しいねえ。一人一人考えて書かなならんので頭を使う。その頭が風邪で働かんのやからどないしようもない。これ、元日に来た年賀状を見てうまいこと書いてる人がいたりするとなんとなく悔しいね。この人にはもう少し気のきいたことを書きたかったなあ、なんて思うからね。まあ、後の祭りなんやけれど。
 書いてしもうたものはしょうがないんで、すぐに出しに行く。夕方6時頃、まだ開いている市内の本局やと受け付けてくれるから、うまいこといったら近県なら元日につくかもしれへん。年賀状専用の箱に入れようとしたら、私の横手で若い男性が郵便局の人になにやら質問してる。
「あのう、これ、今出したら、いつ着きますか?」。
「1日に着かなかったら、2日は配達は休みですから、3日になるでしょう」。
 局員も答えようがなかったんやろうね。答えられんような質問をするなよ。微妙な線なんやから。私が思うように、うまいこといったら元日に着くかもしれへんけれど、間に合わなんだら3日になるかもしれへんという、ぎりぎりの時間やねんな。
 それくらい自分の頭で考えられへんのかなあ。
 年賀状を書いたというだけでなんかほっとしてしまい、横になる。微熱がある。妻の風邪は治りかけてるみたいやから、今度は私の番かな。確か去年は私が風邪をひいた後で妻にうつしてしもうたはずや。今年は妻の風邪がうつったみたい。逆襲されたな。1年がかりの逆襲か。うむむ。

12月31日(金)

 なんたることか、今日は大晦日。
 例年、ここには「来年の抱負」などというものを書いているんやけど、今年はやんぺ。
 あ、「やんぺ」がわかりませんか。「やめ」というのを私ら子どもの頃は「やんぺ」とか「やんぴ」とか言うてたんやけど、言うてませんでしたか。あれは方言やったんやね。
 話を戻そう。「抱負」などと言うものを書いても空回りするだけで読み返したら恥ずかしくなるだけやから、もうそういうものは書きません。
 しめ飾りの話を書く。
 実家では玄関のところに必ずしめ飾りを飾っていたんで、結婚して今の団地に移ってからもしめ飾りは欠かさない。暮れに買いに行ったときに、いろんな種類があるんで迷うんやけれど、団地サイズの小さな物があるので、結局はそれを買うている。ここ2年くらいになるかな、新しい商品が出回るようになった。「リースしめ飾り」というのである。なるほど、若い夫婦がクリスマス的な感覚でつけるということなんやね。うちの向かいの若い夫婦は引っ越してきた当初からネームプレートに凝ったりクリスマスにはリースをつけたりして玄関のドアを飾るのが好きな家なんやけれど、今年は期待に違わず「リースしめ飾り」を飾ってはります。私にはその感覚がちょいとわからん。橙も裏白もついてないしめ飾りに縁起物としての意味があるんかいな、という気がするね。
 ちなみにわが家では普段は祇園祭で買うてきた「我蘇民将来子孫也」と書かれたお札の貼ってある粽を飾っております。ちょっと前にお札がはがれたので、もし「巨旦将来」が来たらどないしようかと心配してたんやけれど、妻が鬼門のところに「我蘇民将来子孫也」のお札を貼ってくれているそうなので大丈夫であります。なにあなた、「巨旦将来」も「蘇民将来」もご存知ない。それでは伝奇小説の書評はできませんぞ。そんなもんしませんか。

 というわけで、今年一年アホなことばかり書いてきましたが、今日がアホなことの書き納め。また来年もアホなことばっかり書きますけれど、ひとつよろしくお願いいたします。よいお年をお迎え下さい。

 と、書いて気がついた。この文章を読んではる時点では、もう年は明けてるんですな。


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