ぼやき日記


10月11日(水)

 そろそろ秋の新作チョコレートが出揃いまして、今年もいろいろと試食してみております。ただ、今年はバナナクリームを焼きチョコレートでくるんだ「バナナのチョコ包み」みたいな準チョコレート菓子が多く、本格的なものはあんまりあらへんね。おいしいところはここ数年ずっと秋になると発売されてるものばかり。
 しかし、おいしいのを見つけましたよ。「明治ブラック プレシャスカカオ」がそう。なんでも「プレシャスカカオ」というのは世界のカカオ豆のわずか0.02%という貴重なカカオ豆やと箱に書いてある。そのカカオを40%ブレンドしたチョコレート、というのが売り物。能書きはよろしい。一口食べてみる。ビターであります。その苦みがよろしい。かなり濃い味のチョコレートやけれど、薄くて小さいのでもたれる感じがせえへん。去年「銀座スヰート生チョコレート」に続く明治のヒットやね。
 ただ、これでは苦すぎるという人もいてるかもしれへん。そういう方には森永の「カカオ70」がお薦め。こちらはセミスウィート。やはりカカオの香りが豊かな感じで味は濃い。形は正方形で「プレシャスカカオ」よりも少し大きめで厚みもある。それだけにおいしいおいしいと立て続けに食べるとちょっともたれる感じかな。一枚ずつ味わって食べましょう。なに?そんなにポテトチップでも食べるようにチョコレートは食べませんか。いやでもおいしいチョコレートはばこばこと口に入っていくやろ、ねえ。
 さて、11月にはいると冬季限定のチョコレートが発売されるようになる。あの傑作「メルティキッス」が早く店に並ばへんかなと首を長くして待ってる状態なんですわ。
 今年は本格チョコレートに当たりがあって、私は嬉しい。鼻血が出ないようにセーブしながら味わうとしましょう。

10月12日(木)

 私、「読書感想文」のコーナーで笹本祐一さんの「天使の非常手段を「天使の非常階段」と間違って書いてました。ご指摘いただいた寺舘伸二さん、どうもありがとうございました。しかし、なにをボケとるのかね、私は。「もう一度『非常階段』の漫才が聞きたい!」という潜在意識でもあったんか。そこまでファンと違うたんやけどなあ。手が自動的に動いてたとしかいいようがない。笹本さんにはご迷惑をおかけしました。12日の早朝に直しておきました。お詫びの上、訂正いたします。

 ミヤコ蝶々さんの訃報に接する。享年80。ここのところ体調がよくなく中座のお別れ公演にも出演でけへんかったあたりから、この日のくるのを覚悟してたけれど、実際に訃報に接すると、やっぱり寂しい。
 4年ほど前、近くの市民会館で「蝶々劇団」の公演があり、妻といっしょに見に行った。腰が悪いらしく、座っている座椅子も特製のもので、子役といっしょに盆踊りを踊るシーンがあって手は動いてるんやけど動きはかなり限定されていた。お芝居のあと、トークショーがあり、達者な喋りで場内を沸かせていた。そらもう面白かった。話芸とはこういうことをいうんやなあと感じた。実際、「蝶々劇団」はこのトークショーが売り物の一つやったわけで、私ら二人もそれが目当てで行ったようなもんやった。1回だけでも行っといてよかったなあと思う。生であの芸に接することがでけたんやから。
 そういう意味では
去年の12月に笑福亭鶴瓶さんが蝶々さんに話を聞く番組を録画しておいてよかった。言いたいことをずばずばと口にし、それでいて後味は決して悪くない、あの話芸をじっくりと聞かせる、そういう記録が残ったんやから。
 なんぼ長生きしても、もう昔のような舞台はでけへんかったやろう。それでも蝶々さんがいてるというだけで、上方の演芸界の重石になっていたんや。
 戦後、二代目ミスワカナを襲名したりした。南都雄二(当初は上方トンボ)さんとの漫才で一世を風靡したけれど夫婦と世間に知れてからは「これまでのネタはでけんようになった」と漫才はやらへんようになってトーク番組の草分け「夫婦善哉」の司会で人気を博した。そのため、残念ながら、全盛時の漫才の音源はほとんど残ってへんらしい。CD化されているものはほとんど舞台にかけてなかったネタである。それを聞くと、その時点でもう蝶々さんの話芸は確立していたことがわかる。また、若くはつらつとした口調は晩年のものとは違う魅力がある。
 渥美清主演の「続・男はつらいよ」ではラブホテルてるの経営者で寅さんの実母を演じてたけど、その演技も印象に残る。山田洋次監督の過剰な演出に呑み込まれることなく渥美清とがっぷり四つに組んでのやりとりは、さすがに迫力があった。蝶々さんの出演した映画で、今一番手に入りやすいのはこれくらいやろうから、その芸を知りたい方は一度見ていただきたい。
 最近は箕面の自宅で猫を友として過ごしていると、トークショーで話してはった。その猫たちは、どうなるんやろうか。
 上方を代表する芸人が、また一人……。謹んで、心より、哀悼の意を表します。

10月13日(金)

 昨日、ミヤコ蝶々さんが猫と暮らしていると書いたけど、今朝の新聞を読むと犬と書かれてた。私の思い違いか。裏をとらんと書いてはいけませんな。

 イチローのアメリカ・メジャーリーグ移籍発表の報に接してあれこれ考える。
 つまり、これは日本の野球との訣別を意味してるんやけれど、ジャイアンツ中心の日本プロ野球に対する批判ととらえてもええのやないかと思う。
 イチローがなんぼ活躍し、前人未踏の境地に達しようとしていても、パ・リーグの主催試合に観客が入らへん現状。フリー・エージェントや逆指名ドラフトで寄らば大樹の陰とばかりに優秀な選手が集まる現状。これではイチローに見放されても仕方ない。週刊誌の口さがない記事には「長嶋さん、今度はイチローがほしい」てなことを書かれたりしているのを見た日には、あの人気監督の餌食になる前に国外脱出を計りたくなったとしても彼を責めるわけにはいかへんね。
 ブルーウェーブとベイスターズは日本の球団の中で最もビジネスとして野球をとらえているチームやと私は常々考えてる。特にブルーウェーブはチームに所属する選手がメジャー行きを希望することに対して最も寛容なチームで、過去長谷川、木田が実にスムーズに円満にトレードされている。そういう意味ではイチローはいいチームにいてると思う。これがジャイアンツやったとしてみなさい。あの唯我独尊オーナーはイチローがなぜ退団したがっているか理解できず、金さえ積めば残留するものと思いこみ、それでも彼の意志が変わらんとみたらコミッショナーに働きかけて日本選手が外国でプレーすることを禁止する新しい野球規則をこしらえようとするやろう。それは無理やとコミッショナーが答えたら、リーグを脱退するの反対する奴は別のリーグを作れやのと恫喝をかけるに違いない。そうなるとイチローは引退し、サッカー選手に転向するかもしれへんぞ。
 何度でも書く。日本のプロ野球はイチローに見放された。ON対決などと過去の遺産に頼っている場合やないぞ。次は誰が日本野球を見捨てるのか。私は、ジャイアンツの高橋由伸あたりに見捨ててほしいと思う。唯我独尊オーナーがあわてふためく姿を見たい。松井は「僕は日本でがんばります」と宣言してるから、せめてジャイアンツを見捨ててタイガースにきてちょうだい。
 どうすればよい選手に見捨てられへんプロ野球になるのか。答は簡単。ジャイアンツにリーグ脱退してもらってGリーグという2チームだけのリーグを作る。残りの11球団は新チームを加えて(ニッセイあたりのノンプロチームが母胎となるというのはどうかな)リーグを維持し、プロ野球全体の繁栄を目標としたチーム運営をしていく。
 金と人気だけがほしい選手はみんなGリーグに行き、140試合完全テレビ中継してもろたらよろしい。Gリーグの優勝チームは毎年ジャイアンツなんやから唯我独尊オーナーもさぞ満足することやろう。
 イチローがいてへんようになるということは、それくらいの改革をせんとあかんというくらいの大事件やとコミッショナーには認識していただきたい。そやないと大鵬一人勝ち、千代の富士一人勝ち、二子山部屋一人勝ちの時期にファンを失ってしもうた大相撲みたいになるぞ。

10月14日(土)

 ライオンズの松坂大輔投手が免許停止中に自動車を運転したことが発覚した。立派な無免許運転で、即、免許取消ですね。そうかて、恥ずかしながら私もやったことあるから知ってます。もう10年以上前になる。
 その頃は京都の実家から大阪市内の学習塾に通勤してた。駐車違反やらねずみ取りに引っ掛かったのやらでちょびちょびと累積点数がたまってたのが30日の免許停止になったんやった。講習を受けたら1日ですんでいたんやけれど、講習は受けずに1ヶ月みつからなんだらええんやろと不届きなことを考えて運転した。帰りの電車は毎日終電で、駅まで歩くには遠く、きつい坂をいくつも越えんとあかんかったから自転車ではしんどい。原チャリしか手段がないという状況ではあった。もうあと少しで免許が帰ってくるという時、検問に引っ掛かってしもうた。悪いことはでけんもんです。
 さてそこからは自転車で駅まで通いましたよ。最初は坂のところで膝が笑い出し、降りて押して越えたこともあった。途中で塾を辞めて京都市内の定時制高校に勤務するようになってからはバスのある時間に帰れるようになったから、自転車通勤は4ヶ月くらいで終わったけどね。取り消し期間がすみ、免許試験場で試験を受け直して真新しい免許を受け取ったときの嬉しさ。以降は1度だけスピード違反でパトカーに呼び止められて青い切符を切られたけれど、それも低い点数の違反やったんで、現在は常に満点状態。それもこれもあのしんどい自転車通勤の記憶があればこそであります。
 つまり、そういう違反を起こしたあと、その違反について二度と過ちを繰り返さないということが大切やと、私は思うんやけれど、松坂の意識は違うみたいやね。「来年いいピッチングをしてファンのみなさんに償いたい」やて。違うでしょう、それは。「二度と交通違反はしない気持ちで走ります」というのが筋と違うか。仕事をがんばるのは当たり前やん。ほなら、この違反が発覚せんかったら来年はええかげんなピッチングをするつもりやったんかいな。
 落語で商家の旦那が丁稚に小言を言うときに「だんだんだんだん増長しくさって。米の飯がてっぺんにのぼったとは貴様のことじゃ」というセリフがあるけど、誰か松坂にそない言う旦那はいてへんもんですかいな。

 明日は「たちよみの会」の例会です。御都合の合う方はのぞいてみて下さい。

10月15日(日)

 今日は「たちよみの会」で京都へ。京都SFフェスティバルがあと1ヶ月後に迫っているというので、そちらの企画に関して打ち合わせしたりもする。というても今年は私は前にでておしゃべりするようなことはございません。さすがに2年連続で出たら、3年目はない。そのかわり、裏方でお手伝いすることになっている。ゲストにSF作家のロバート・ソウヤーが上洛してくるということで、その歓待に関わってちょっとばかり動くことになった。京都観光をするので、名所旧跡に精通した私が案内する、などということではありません。だいたい私の語学力で案内なんかできません。いやまあしかし大物ゲストが来るとなかなかあれこれと気を遣わんならんことであります。まあ、いつも「たちよみの会」を盛り上げてくれている人たちへの恩返しというところか。

 私は毎日のようにこうやって「ぼやき日記」を書いてるわけやけれど、それとは別に、プライベートな日記もつけている。というか、もともとそちらは10年以上書き続けているわけで、そこそこの冊数になってきた。ノートは、A5版のワイヤーとじのものを愛用しているんやけれど、最近このサイズのノートが手に入りにくくなってて困っている。
 長年使うてきた同じ種類のノートはもうどこにも売ってない。表紙が硬くて紙質もよく、万年筆の引っかかりもよかったんやけれど、手にはいらんものは仕方ない。そこでこの前同じサイズやけれど違うメーカーの出しているノートに変えた。これは京都の「丸善」で買うたんやけれど、まあまあ気に入った。それが残り少なくなってきたから、ちょうど京都に行ったことやし同じ店ならあるやろうと「丸善」の文房具売場に足を向けた。
 あらへん。売ってない。店員さんにきいたら「取り寄せましょうか」と言う。そこまでせんでもかまへんのやけれど。同じサイズのワイヤーとじのものを探す。あるにはあったけれど、罫線の幅が広かったり、ルーズリーフにとじたりできるようにミシン線がはいっていたりとどうも使いにくそうや。結局ここで買うのは断念したけれど、B5やB6、A4のノートやったらいろんな種類のノートがあるのに、なんでA5だけあらへんねん。
 なんでもBサイズを中心に使うのは日本くらいなもので、国際的にはAサイズのものが標準やということで学校や官公庁ではここ数年B4やB5の書類は公式には使わず、A4を使うよう推進している。そういう時代になんでA5がないんや。まあ、文房具店はここ1件やないから他のところで探すけれど、日記帳は文字通り毎日使うものやから、気に入ったものを使い続けたい。しばらくはあちこち文房具店をまわってええノートを探すしかないのかな。困ったものです。

10月16日(月)

 ここのところボランティア的な仕事を立て続けに引き受けている感じ。今日は障害者共同作業所主催の「成人のつどい」の実行委員会。一昨年度に卒業させた生徒が早くも成人ということで、障害者向けの「成人式」のお手伝いをすることになった。
 養護学校の仕事というのはあくまで「教育」の範疇であって、「福祉」やない。そこらへん誤解しはる方もいてはる。「養護学校で障害児教育をしています」と言うと「福祉のお仕事は大変ですね」と反応が返ってきたりする。いちいち反論するのも面倒なんで「まあ、学校ですから、基本的には勉強を教えてるわけですよ」程度の返答ですましている。
 そやけど、障害者共同作業所の仕事は完全に「福祉」ですわな。卒業生への連絡係とはいえ、学校の仕事とは別にするわけやからこれは「福祉」やし、それでお金をいただけるわけやないから(それは作業所の職員の方たちも同じ)ボランティアということになる。つまりふだんの私の仕事とは全く違う世界をのぞいていると、そういうわけでありますね。
 ただ、私としては「障害児教育」はあくまで仕事でありますから、福祉を仕事としている人たちの情熱は頭では理解できても全てに賛同してのめり込むようなことはでけへんのも事実。ひとつ間違えると「福祉教」みたいな感じになる危険性もなくはない。もっとも、今日参加した集まりに関しては、そこまでヒートアップしているような感じやなかったけどね。それでも就業時間がすんでから仕事の延長である行事の運営会議をしたりしてるんやから、その情熱については私の感覚とはちょっと異質なものではある。
 そしたらおまえはなんでそんなものに参加してるんやと反論されるかな。まあ、頼まれたらついつい請け合うてしまう「安請け合いの喜多」という性分のなせるわざとしか言いようがない。それと、異質な世界に対する好奇心というのもあるかもしれんね。いろんな人たちを見て知らない世界に接するということの面白さを求めてるのかな。
 しかし、一度気にあれこれ重なってしもうてるので、体力が持つかどうか、そこが心配。ま、倒れん程度にぼちぼちやりまっさ。

10月17日(火)

 今朝コンビニに寄って職場で飲むお茶を買うてたら、お菓子のコーナーに「ウルトラマンティガ・ポテトチップス」を見つけた。発売元はもちろんカルビー。プロ野球がオフになったんで、定番の「プロ野球チップス」のかわりにお目見えしたものらしい。昨年は「仮面ライダー・チップス」で懐かしの仮面ライダーカードを復活させて話題をまいたけれど、今年はウルトラマンティガですか。しかし、なんで今さらウルトラマンティガ。放送が終わって数年たつけれど、おっさんの郷愁を誘うというわけでもない。もしかしたらトレーディングカード単体で売ってないものを探したらティガにいきあたったんかな。トレーディングカード市場のことはあまり知らへんのでそこらあたりは推測でしかないけれど。まあ、トレカファンをひきつけるものでなかったら出しても売れへんからね。そこらあたりは計算があるに違いない。ただ、そのあたりの事情に通じてない私のようなものから見れば、やっぱり今さらウルトラマンティガのカードつきチップスを発売するのかようわからん。とりあえずひとつ買うてみる。なーんや、怪獣や。私としてはレナ隊員こと吉本多香美のカードが当たることを期待してたんやけれど。カードの裏の番号をみると、怪獣のカードの他にもいろいろと種類があるみたい。20枚ごとに色違いで分類してあるようです。もしかしたらレナ隊員ばっかりのカテゴリーがあるかもしれへん。ううう、それやったら集めてしまうかもしれへんぞ。しかし毎日ポテトチップスを食べていたらまた太ってしまうぞ。それでなくとも最近会う人ごとに「太りましたね」と言われておるというのに。ここは自重するしかないのか。うう。

10月18日(水)

 今日も今日とて最寄り駅前の書店に寄る。毎日寄っている。
 駅の裏ではたいていギターと歌のおにいさんが路地裏ライヴを開いていて高校生らしい女の子のギャラリーが数人とりまいてるんやけれど、今日は茶髪に厚底靴のおねえさんが季節はずれの盆踊りの練習をしてる。前に一人手本を示す女性がいて、二人の女性がそれを見ながら手を右に左に動かしている。動きが違うと最初からやり直し。体育会系みたい。そやけどどうもそういう雰囲気の人たちやない。
 どうやら、あれが噂に聞く
パラパラなる踊りらしい。帰ってから妻にきくと、何人かでチームを作ったり大きな会場で団体で一糸乱れずあの盆踊りをやるんやそうですな。そんなにみんなと同じことをしていておもしろいんか、と私は思うけど。
 彼女たちはきっと学校の運動会やら体育祭でマスゲームをさせられたりしたことがあるやろうけれど、それを自発的にやっている、または流行に乗り遅れないようにやっている、友だちに嫌われたくないからやっている、というようなところなんやろうか。いや、確証はありませんよ。あらへんけどやね、そんな気がする。
 まあ何事においても熱中できるものがあるのは悪いことやない。それにしても、変なもんがはやるんですな。あまり深く考えへんでも決まったパターンを修得すればそれで連帯感が味わえるところがミソなんかもしれへん。
 これもしばらくしたらすたれてしまうんやろうね。それであと20年くらいしたら「懐かしのパラパラ復活」てなことになって、中年になった彼女らが若者といっしょに手を左右に動かしてたりするかもしれへんね。今、老年期を迎えた人たちは若い頃はドドンパを踊り、壮年期を迎えた人たちはゴーゴー喫茶に集った。我々の世代やとディスコでフィーバーしてたわけですな。もっとも、ディスコブームを作った俳優は今では鼻からコードを垂らした宇宙人に扮してサイバネティクスの布教映画に出演しているわけですから、世の中どない変わるやわかりません。
 それはともかく、パラパラの練習は、やっぱりどう見ても盆踊りの変形にしか見えへんなあ。ものすご一所懸命にやってたから、きっと彼女たちには楽しいことなんやろうなあ。誰が仕掛けたか知らへんけど、はたから見てたらなんとなく気恥ずかしい。人前で練習するのはやめといた方がええんと違うかと思うけど、それはおっさんのおせっかいというものでありますね。

10月19日(木)

 本業の方がいろいろと忙しくなってきて、ものかきのお仕事がはかどらん。へろへろになって帰ってきて、本を開く気にもなれへんのじゃ。雑誌は読んでるけどね。そろそろ「S−Fマガジン」から依頼されたこともやらんならん。ゲラも読まんならん。こんなところでパラパラがどうしたの、ウルトラマンティガのカードがこうしたのと書いている場合やあらへん。ところで今日買うた「ウルトラマンティガ・チップス」にラッキーカードが入っていた。お、もしかしたら運が向いてきたかな。よしよし。

 自民党の亀井静香政調会長が、「長野県知事選で田中康夫さんが当選されたが、あの人は批判だけで、県民生活をどう変えるか、一切話されない。知名度だけで国民の代表が生まれ、パフォーマンス政治が行われるなかで、生活は大丈夫か」と選挙の応援演説で言うてはりますな(10月19日付朝日新聞より)。それやったら自民党はなんで強行採決までして「非拘束名簿式」の比例代表選挙制を通そうとするんやろうね。なんでもこの法案が通ったら、自民党は次の参議院選挙で知名度の高い候補を並べて大量の得票を狙い、余分の票で他の候補まで当選させるつもりやそうやないですか。これまでなんの政治的な行動やら発言をしてないタレントやスポーツ選手を担ぎ出すつもりやと報道されておるぞ。知名度だけで国民の代表が生まれ、そんなパフォーマンス議員が大量に作られるなかで、国民の生活は大丈夫か。少なくとも田中康夫新知事は当選してすぐ、具体的なアイデアを発表しているし、かつては作家による反核アピールを出したり、神戸の震災ではボランティアとして被災者の救援に尽力したりしてる。震災の時に視察と称してちょっとだけ見に来て被災者の生活保障についてほとんど尽力しなかった議員と比べたら、「批判だけ」という批判にはなんの根拠もないと思うぞ。
 不思議なのは、この問題発言が大々的に報道されてるんやなくて「発言録」という政治家のコメントを集めたコーナーにちょろりと掲載されてるだけということ。国会が空転してめちゃくちゃになってるときに、その原因である法案を自ら否定するようなことを言うてるわけで、これは野党やマスコミにしたらどんどん突っ込めるところと違うかね。天に唾するようなことをぬけぬけと言うてるのに、この餌に食いつかんとはなんたることか。
 現状ではどっちのミスが多いかで勝敗が決まるということになると思うんやけれど、亀井政調会長の発言なんか、完全にミスのような気がするんやけどなあ。私程度の者でもそう思うことに、なんで気がつかんのか。それとも知ってて知らんふりしてるのか。
 政治の世界はやっぱり不可思議でありますね。

 明日は所用のため更新を休みます。次回更新は土曜深夜の予定です。


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