ぼやき日記


8月21日(土)

 思えば今朝の夢見は悪かった。
 我が家に「あしたのジョー」の丹下段平そっくりのおっさんが不法侵入し、私と妻の寝床を占領している、というけったいな夢である。全体に不気味なおっさんで、気取られんように電話に近寄りこっそりと110番してたら、目の前におるではないか。そのおっさんは「どんばさばさ」という音をたてて襲ってくる。うわあわあと悲鳴を上げて目がさめた。「どんばさばさ」という音の正体はドアの郵便受けに新聞配達が新聞を突っ込んだ音やった。
 目がさめたら胸はどきどき汗はたらたら。
 それでもなんとか寝直した。と、今度は地震や。午前5時35分頃、ゆっさゆっさと部屋が揺れる。えらい長い揺れやった。1分以上揺れてたんと違うか。かなり強い地震で、妻と二人して治まるまで、いや、治まった後もしばらく身をひそめてた。あの大震災の記憶があるから、地震にはかなり過敏になる。
 妻がすぐTVをつける。あの震災以後、TV局も地震情報にはかなり力を入れてるんやろうね、NHKとサンテレビは刻一刻と新たな情報を地図に表示する。大阪は震度3。もう少し大きかったような気がするんやけど。しかし、震度の大きいところが中央構造線上にならんでいるところなど、なんか地学の勉強をしてるみたいやね。
 けっきょくそのまま目がさめて、えらい早起き。へんな夢で起こされた上に地震で起こされ、散々な朝でありました。まあ、新聞を読んだら結局また一眠りしてしもうたんやけどね。

8月22日(日)

 NTVの「愛は地球を救う」というの、やってたんですな。知らんかったわけやないけど、興味がないので見てない。ただ、昨日はナイター中継をこの枠の中でやってたんで無理矢理見せられた格好になった。
 チャーリティーマラソン番組というので募金したのは高校生のころ、KBS京都で「まり子のテレソン」というのにしただけである。これは宮城まり子さんがほぼ一人で24時間番組をするというもので、彼女自身が普段から「ねむの木学園」で実践しているということを知っているので協力したいという気持ちにさせてくれた。
 ナイターを見ていたらSPEEDが放送ブースに入ってなにやらしゃべっている。実はずっと音声はラジオで聞いてたんで何をいうておるのかまるでわからんかった。わからんでもよろしい、と思う。チャーリティー番組で特定の球団を応援するという姿勢がなっておらんと思う。なんで声を聞いてないのにわかるかとな。そらあんた、ジャイアンツの選手がファインプレーをしたら、すかさずSPEEDがガッツポーズしてるシーンが映りますのやで。一方的にジャイアンツを応援しておるのに決まってるやんか。だいたいナイター中継をしてて何が「愛は地球を救う」か。
 ところどころにしきのあきらが夜道を走ってる映像が映る。テロップに「にしきのあきら50歳、24時間マラソンに挑戦!」と出てるんで、つまりはにしきのあきらが24時間走り続けるというむちゃくちゃな企画らしい。どうせ番組終了時にゴールインしたら、感動の大安売りをするに違いない。24時間走るのは大変やとは思う。死ぬかもしれん。しかし、タレントが24時間走り続けることと老人や障害者のために募金をするのと何の関係があるんやろ。
 感動てなもん、そんなに安売りするもんと違うと思うよ。ましてや、慈善事業に名を借りて「感動!」を連発するのは感動の押し売りやないかと思うね。
 ほんまは全部見てから批判すべきなのかもしれん。そやけど、ナイター中継でちらりと見ただけでだいたいわかるよ。

8月23日(月)

 最寄り駅の北側は植え込みなんかがあって、そこに若い人たちが座り込んだりしている。
 そこで異彩を放つ人物をときおり見かける。中年のおっさんである。私よりは年上やろうと思われる。小さなラジカセを植え込みに置き、あまりうまくない歌を歌うている。それだけやったらともかく、そのおっさんはラジカセの横に箱を置き、あまりうまいとはいえん字で「ここにお金を入れて下さい」と書いた紙を貼り付けている。
 このおっさんをどのように見たらええんやろうかと、いつも思う。
 物乞い、つまりはお乞食さんなんやろうか。ただ物乞いをしているだけでは自分が哀れと思い、歌を歌うという付加価値をつけておるんやろうか。
 大道芸人のつもりなんやろうか。自分の歌で金を稼げると信じてやってるんやろうか。
 金はどうでもええ、ただそこで自分の歌を聴かせたいという人なんやろうか。自己表現をして人に見てもらいたい。ついでにそれでお金をいただければなおよい、ということなんやろうか。
 この暑いのにスーツにネクタイという姿で、日陰やったらなんぼでもあるのにわざわざ日をよけるもののない植え込みのところに座っているそのおっさんのことを、ちょっとおかしい人というようにすぽんと切り捨てられない気がする。
 この「ぼやき日記」も金は取ってはおらないけれど、あのおっさんの歌とは大差ないものやないかと、そういうように思ってしまう。
 特にそのおっさんと話をしてみたいとは、思わん。逆に、その正体を知ってしまうのが恐いという気もする。おっさんに自分を投影しつつ、あれこれ想像しているだけで、私はええのである。正体がわかった時点で、そのおっさんはパターン化されたありきたりのものになってしまう、そんな気がする。なにか得体の知れないものは得体の知れないままで置いておきたい。

8月24日(火)

 午前中はじめじめした夏の気候。昼にかなり強い雨が降ってからは、涼風の吹く秋の気候。一日でこんな変わるというのはなんやろうね。人を馬鹿にした天気ですな。雨雲を境界線にしてこっちは夏であっちが秋で、その雲が「ほらほら、秋さん、こっちへ来なはれ」と引っぱってきたという感じやね。ラジオの天気予報では、明日は秋晴れやそうな。いわれてみれば、雲の形が違う。綿雲がもりもりわいてたはずが、ほうきではいたみたいな雲に。
 こうやって、私たちがあくせくしている間に季節が変わっていくんですね。

 これではまるで森下一仁さんの日記みたいなので、私らしい話題も。なに森下さんは「こっちへ来なはれ」とは書きませんか。気にしない気にしない。
 左足の親指の爪がはがれた。
7月16日7月21日7月27日の日記に書いた、あの爪であります。有馬温泉に行ったころからシンクロ入浴をやめて湯につけたりしてたんやけど、そのうち爪の色がいやらしい色になってきて、風呂から上がって触ると爪の内側からじんわりと湯がしみ出してくるようになった。この爪腐ってるで、あかんでと思うていたら、先日寝しなにタオルケットの端にひっかかってぽろりと取れた。痛いこともなんともあらへん。ごく自然に、昆虫が皮を脱ぎ捨てて成長するみたいな感じ。爪のはがれたところを見ると、ちゃんと根っこは残ってる。よくよく見ると薄く爪が残ってる。爪というのは重層的な構造になってるのかね。上っ面の部分がはがれても皮膚にはりついてるところはちゃんと残るもんなんやねえ。かさぶたみたいな血の塊がしわしわになった爪の残りにこびりついている。肉が丸出しになってるところは敏感になってて触るとびびっとしびれが走る。ちょん、びびっ。うはは、おもろい。ちょん、びびっ。うーんしびれるう。ええ年をしてなにをして遊んでおるのか。なかなか気持ち悪いんで写真にとってここで紹介しようと思うたけど、性格を疑われたらいかんのでやめておく。
 しかし、これもあと数ヶ月したら新しい爪が伸びてきてもとのとおりになるんやろうね。生物の身体というのはうまくでけてるもんですな。
 こうやって、私たちがあくせくしている間に怪我も治っていくんですね。
 しつこいですか。気にしない気にしない。

8月25日(水)

 昨日は寝つきが悪かった。あれは午前3時前くらいかな、外をぱらぱらぷーかぷかと派手な音をたてて走る車がある。やかましいなあと思うてたら、ぱらぱらぷーかぷかの間になんや間のびした声が混じってる。よくよく聞くと「遅いから早う帰りなさい」というておる。最初はパトカーが追いかけてるんかなと考えたんやけど、ぱらぱらぷーかぷかはだんだん音が大きくなるのに「早う帰りなさい」は同じところから同じ大きさで聞こえてて全然かわらん。
 たぶん警官は交番の前をたまたま通ったぱらぱらぷーかぷかをみて、害はないが迷惑やと思うたんやろうね。そんなもんを追いかけても労力を使うだけで意味がないと判断したんかね。言い方もえらいめんどくさそうやったなあ。普通は「そこの車、止まりなさい」やわなあ。「早う帰りなさい」て、夕方に公園で遊んでる子どもやないねんからね。
 結局ぱらぱらぷーかぷかはうちの前を通ってぐるっと回って反対側を通ってどこかへ行った。その間ずっとぱらぱらぷーかぷかは鳴らしっぱなしです。まあ確かにやかましいけど、それだけやからね。前にも書いたけど、ここらへんは深夜の事故やら喧嘩やらの多いところ。ぱらぱらぷーかぷかぐらいたいしたことない、といえばいえる。
 しかし珍しくのんきな感じの警官の口調に心温まるものを感じてしまいました。なぜかその後はぐっすり寝られた。
 それがどうかしたかといわれると困るのですが。まあ寝つきの悪い人は一度お試しあれということで。試しようがないですか。気にしない気にしない。

8月26日(木)

 最寄り駅前のいつも行く書店の文庫の棚の前で、紙を片手に本を探してる高校生らしい女の子2人組を見かける。ちらりと紙をのぞくと、太宰治の顔写真が印刷されてる。たぶん夏休みの宿題なんやろうな。太宰の作品から1冊選んで読み、感想文を書くとかいうことやないかと推測する。君ら今からやんのかいな、遅すぎるでと声をかけたくなったけど、ひげを生やした怪しいおっさんがいきなりそんなことを言うのもはばかられるものがあるので辛抱しておく。
 しかし、自分が教師をしてていうのもなんやけど、十年一日ですなあ、宿題というのは。若いうちはいろんな本を読んどいた方がええのは確かで、その中に太宰があってもかまわんとは思うけど、なんかこの、国語の教師の趣味が透けて見えて、困ったもんがあるね。
 若いうちは濫読すべしと思う。そのうち自分が面白いと思うたジャンルのものは知らんうちに固まってくる。ひとつのジャンルを極めるのもええけど、あれはどうやろう、これはどうやとあっちゃこっちゃつまみ食いするのが読書の楽しみと思う。
 国語の教師ともなると、それくらいはわかってると思うんやけど。そのプリントには太宰の写真しか刷ってなかったから、とにかく太宰を読ませたいんやろうなと思う。それで太宰と波長が合う生徒はええけど、合わん者へのフォローはちゃんとしてるんやろうかな。自分が若い頃に心打たれたのと同じ経験を生徒たちにもさせてやりたいという気持ちはわかるけど、よけいなお世話やないかなとも思う。
 宿題で強制的に読ませるんやったら、太宰以外の作家も混ぜてそこから選択できるというくらいにしておいたらどうかな。
 しかし、この時期になってやっとこさ本屋に行って宿題の本を探すという姿は、生徒の方も十年一日でありますな。そういうのを見るとほっとするのはなんでやろうかね。

8月27日(金)

 今日、「本の雑誌」より原稿依頼がある。高校生の頃から愛読していた雑誌だけに、依頼がきたというだけで実に嬉しくなってしまう。「S−Fマガジン」から原稿依頼がきたときもそうやったけど、自分にとって特別な存在であるところの雑誌の目次に名前が乗るというのは、これはもう特別な嬉しさがあるのです。ただ、内容はなかなか難しい。「ロード・ノベル」特集で旅を扱ったSF小説を何冊か紹介せなならん。最近した旅行が今月はじめの有馬温泉1泊というような者がそんな原稿依頼を受けてしまうというのはまずかったかな。ここはひとつ「桂米朝落語全集」(創元社)から「こぶ弁慶」と「七度狐」と「地獄八景亡者戯」を紹介してやな。依頼の趣旨と違う原稿を書いてどないすんねん。まあ、なんとかなるやろ。

 今日は夏休みの登校日で、久しぶりに学校へ。原チャリでいつもの道を走ってたら、またコンビニが1軒つぶれていた。実は、そのコンビニは私の行きつけの店で、学期中は毎日のように寄ってタバコと紙パックのウーロン茶を買いにいってたところ。原チャリをストップさせてしばらく空っぽになった店を呆然と見続けていた。
 店長らしいお兄さんが毎朝休むひまなく仕事をしている店で、あちらも私の顔を覚えてしまい、私がレジにお茶やら休み時間につまむ菓子を持っていくと、ちゃんと愛飲しているホープライトを出して待っていてくれていた。店にはいると「おはようございます」。雨降りの日に合羽なりで入っていっても嫌な顔もせず「単車は雨の日は大変ですねえ」。かんかん照りの日は「暑いでしょう」。店を出るときには「いってらっしゃい」。コンビニには珍しい応対で、好感を持っていた。お茶が1リットル入り100円という安さも魅力やったんやけどね。
 あの働き者のお兄さん、どうなったんかなあ。10日前に通ったときは、ちゃんと店を開けてたのになあ。あれだけ毎日のように寄っていながら、さよならもご苦労さんも言うことなくがらんどうの店を見ることになったのは、なんか辛いものがある。
 9月から、別な店でお茶を買わなならんのやなあ。コンビニの閉店をこんなに寂しく感じるなんて、思いもよらなんだ。

 明日は「ださこん2」に参加するため、東京行き。次回更新は、日曜の深夜、のつもりですが、日曜は家に帰ってからぶっ倒れて更新できず、月曜深夜になるかもしれません。さて、どちらになるか。刮目して待て!

8月29日(日)

 昨日と今日は「ださこん2」に参加するため、東京へ。いつも東京に行くときは目的のイベントに参加するだけで終わってしまうので、今回は早めに東京に着いて、寄席に行くことにする。
 正午に東京駅に着いて、そこから新宿へ。「末広亭」に行くことにして間違って西口にでてしまう。「末広亭」が東口にあるということがわかったので、なんとかして東口に回ろうとするが、地理不案内の上に区分地図ではどうやって西から東に回ればよいか皆目わからん。小一時間あっちうろうろこっちうろうろし、なんとか見つける。汗だくになり、それだけでへろへろに疲れてしまう。
 そやけど、寄席の雰囲気を十分に味わい、めったに聞かん東京落語をもの珍しさもあって十分に堪能。
 「ださこん2」では完全徹夜。閉会後に団体で入った喫茶「ルノアール」で「徹夜はしんどい」とぼやいてたら、山岸真さんが「喜多くんは『やねこん』に行ってないだろう。俺は、『SFセミナー』『やねこん』そして今日と必ず徹夜だぜ。『京フェス』でも徹夜するだろうから、1年に4回も合宿完徹するんだぜ」と言われてしもた。山岸さんは私と同い年。お互い徹夜のこたえる年になりましたなあ。
 新幹線で大阪へ。家に帰ったらもう動けん。それでもなんとかレポートをあげねばと思うたが、いきなり友人Yが遊びに来ると電話してきて、それどころやなくなった。
「ださこん2」のレポートはよって、明日にずれこみます。
 ああしんど。もう日記なんか書かれへん。とてもやないけど、無理。
 あれま。けっこう書いてるやないかいな。睡眠不足が過ぎて、ハイになってるんかもしれへん。気をつけんとなにを書き出すやわからん。続きはまた明日。刮目して待っててくれはったみなさん、すんません。
 ああしんど。

8月30日(月)

 というわけで、「ださこん2」のレポートです。
 面白かった。
 あ、それだけやったらあきませんか。
 寄席に行ったあと、新宿駅から水道橋へ。乗換の四ッ谷駅でホームに立ってたら、浅暮三文さんと偶然出会い、水道橋駅の改札では矢田貝和男さんを中心とした「プレださこん」の人たちと出会い、中華料理店で夕食。初対面の人であっても、ネット上でよく見る名前なんで、すぐにうち解けた雰囲気になっているというのが、ネット者のイベントらしくてよいですね。
激突!東対寮
 まずは「幻想文学」東雅夫さんとファンタジー作家寮美千子さんの対談で開幕。
 面白かった。
 それだけではあきませんか。
 寮さんは威勢のいいお姐さんという感じで、話し始めたら止まらん。童話作家としてデビューするために傾向を調べ対策を錬り、新人賞を受賞できるような話を書いたら目論見通り受賞したという。私のように偶然受賞してしまったというのとは違う。ただ、誤算やったのは、デビューしたら好きなのが書けると思うたら編集者から「受賞作のようなものがあなたの持ち味だと思う」と言われ、なかなか自分が書きたいものと相手が書かせたいものが一致しなかったそうだ。他、自作について語り、今後の活動について語りといった具合。東さんが「天沢退二郎さんにインタビューしたときに……」と話をもっていくと、「ああ、アマタイね」「アマタイ……」と意表を突く言葉が返ってきたりというこのどっちに話がいくかわからんというスリリングな展開が実に楽しかった。
 実は、あとで寮さんと童話雑誌の編集者について個人的に話をしたんやけど、自分が思っていたのと同じように寮さんも考えていることがわかって納得がいった。ここではちょっと書けへんような内容ではあるんやけどね。
 対談のあと、u−ki総統の音頭で乾杯、参加者紹介などがある。そのあとは一気に宴会モードへ。誰と話したとか細かいことは省略。とにかくいろんな人とお話ししました。私を「ネットの人」として認識してはる人もいたりして、私はもともとファンダム出身でネット歴わずか2年やのに、ねえ。つまり自分のサイトをもっているというのがどういうことであるかというようなことなんやろうね。
 「架空書評勝負」の時は寮さんと話しこんでたので、よくわかりません。オークションは参加してません。
激突!「もてない男」論争
 で、オークションの最中に、u−kiさんと鈴木力さんが
「もてない男」(小谷野敦)について論争を始める。
 面白かった。
 しつこいですか。失礼しました。
 これは最初から論点がかみ合ってなかってそのかみ合わないところで私を含むまわりの人間がぼこぼこ突っこんだりして帰って話がややこしくなり、それが面白かった。実用書として有害やというu−kiさんと文芸書として面白いという鈴木さん。これでどないして結論を出せというねん。
 このあと、私はあっちこっちでまたいろんな人と話をしてたんやけど、夜が白々と明けたころ、東洋大SF研の田中香織さんが大森望さんに「大森さんと小浜徹也さん(東京創元社)はどっちが年上なんですか?」と質問をしたことから一気に面白い企画が立ち上がる。片っ端からSF関係者の名前を挙げていって、彼女がそれらの人々をどれくらいの年齢であるかと考えてもらい、彼女の見るSF界を形にしていく。若い女の子が、おっさんたちをどう見ているかというようなことがわかる。自分はどう見られているかということもわかる。
 田中さんの次は野田令子さん、その次は京フェス岡田さん……という具合に次々と聞かれていってたけど、私は途中で脱落。
 感動のエンディング。「ダサコン大将」に選ばれたのは、田中香織さん。ほんまは大森さんと同点やったんやけど、会場の拍手で田中さんに。
 u−ki総統があいさつのなかで、「SF」というひとつの方向性ではなく、ネット上でいろいろな方向性をもっている人たちが交差しあい、それが「ださこん」という場所に集まってくる、そのことに意義がある、というようなことを言うてはったけど、私が「ださこん」で感じたのは、まさにその面白さやったね。
 インターネットという世界が今後も拡大していくなかで、単なるオフ会にとどまらん動きというものがでてきてて、それが新たな人材を生み出し、SFやファンタジーの魅力がそういう人たちの力によってさらに広められていく。そこで知り合った人たちが一晩直接語らう。新しいなにかが生まれていく、そういうエネルギーというものを感じた。
 実に楽しかった。これまでの2回は東京やったけど、次回は「西でやります」ということなんで、できたらまた参加したい。
 スタッフのみなさん、楽しい一夜を、ほんまにありがとうございました。

8月31日(火)

 東京へ行くたびに(というたところで年に1〜2回しか行かへんのですが)、東西文化の違いというものをあれこれ考える機会があって、帰ってから、あれはどうやったこれはどうやったと考えるんですね。
 水道橋の駅を降りて東京ドームの方へ行く途中に、たこ焼き屋がでかい看板を出してる。「京都で生まれた京たこ」という店なんやけど。私、京都で生まれ育ち、大阪府パナソニック市に住む今でも用事で京都に行くことは多い。それやのに、「京たこ」なる店の存在を東京に行くまで知らんかった。だいたい関西におったら、たこ焼きの本場はやっぱり明石、ソースを塗って青海苔のかかってるんは大阪、京都で生まれたたこ焼き屋のチェーンは対してありがたいことはないと感じるはずです。
 東京の人にしたら、関西の地名やったらどこでもたこ焼きは本場の物という感じになるんかな。それがようわからん。
 まあ、東京駅で土産を買うときに「なんで『草加せんべい』やら『ひよこ饅頭』やら『鳩サブレー』が東京土産になるんや」と思う。東京独自のもんは人形焼き以外にはないんか、よその名産を東京の土産にすんなや、と腹では思うてても口には出さん。今書いてたらいっしょですか。気にしない気にしない。
 もし東京文化がそういう感覚なんやったら、「関西」でひとくくりにして同じことにしてしもうてもしかたないかもね。もっとも、大阪の土産物屋には伊勢の「赤福」も京都の「八つ橋」もいっしょに売ってるけどね。ただし、それを大阪土産と偽って売ってるわけやないということだけは明記しておかねばなるまい。ほんまの意味での大阪名物は「岩おこし」か「えびすめ」くらいしかないもんな。にぎやかしに伊勢やら京都の名物も置いとかんとしゃあないという感じになるかな。
 とにかく、「京たこ」は関西人の私にはなんか違和感がある。ただ、この前神戸に行ったときに、阪急の三ノ宮駅で「京たこ」の店を見たときにはびっくりしたけどね。なんでやねん。
 ところで、京都の「京たこ」の店はいったいどこにあるんやろ。そんな全国展開してるのに河原町近辺で見かけんというのは不思議であるなあ。


てなもんや掲示板 読む書く

メールはこちらまで。どうぞよろしく。


過去の日記へ。

ホームページに戻る