ぼやき日記


10月11日(月)

 ネットサーフィンというのをやっていたら、アイドル系のサイトであるアイドルを発見した。森なつこという名前のアイドルがいるんだ。本名は作家の森奈津子さんと同じ漢字です。世の中には同姓同名の人というのはよくあるわけやけど、プロダクションの方は作家の森奈津子さんのことを知っていて名前をひらかなにしたんやろか。作風から考えると、アイドルの森なつこは全く違った芸名をつけた方が(一部の人には)イメージが固定しなくていいのと違うかと思うんやけど。森奈津子という作家の存在すら知らんという線が強いかも。
 ちなみに所属しているのは
アルテミスプロモーションというところで、ここはかつての清純派アイドルを現在も供給しようという意気込みの社長がいることで知られている。なにせ小さなプロダクションやから、なかなかメジャーなアイドルを出せない。アイドルがはやらずトレンディドラマの俳優ばかりがもてはやされたときからこつこつやっている。そのうちまたアイドルがけっこう売れるようになって、一時はアイドルを売り出すのをやめてたような大手プロダクションが再びアイドルを手がけるようになったから、苦戦してるんと違うかな。
 いうたら悪いけど、アルテミスのアイドルは地味すぎる。それなりにかわいいし親しみやすいキャラクターの女の子が揃うているんやけど、なんか華やかさに欠けるところがある。社長の趣味なんやろうねえ。けっこう熱狂的なファンもついてるみたいなんやけど、それが一般的な人気にひろがっていかんというのが、「アイドル冬の時代」と呼ばれたころのアイドル全般の状況に似てるなあ。草の根のようなキャンペーンを繰り返してて撮影会なんかも熱心にやってるしファンを大事にするプロダクションだけに、こういうところに光がもっと当たってほしいとは思うんやけど。
 ううむ、アイドルのことを書き始めたら、かつて「アイドル愛好家」で売っていた時代に帰ったような気がするぜい。
 それはともかく、
森なつこちゃん、CDデビューもまだみたいやけど、これで名前だけでもSFファンには印象に残ったことであろう。それがどうしたと言われれば、どないもならんとしか言いようがないけどね。

10月12日(火)

 上方柳次師匠の訃報に接する。10月10日午前5時、肝硬変のために死去。享年68。
 私がものごころつくかつかないかの頃、演芸番組で必ず見る顔、つまり30年ほど前の売れっ子といえば、若井はんじ・けんじと上方柳次・柳太やった。はんじ・けんじと柳次・柳太はライバルといわれてたそうだ。というのも、私が中学生になって漫才に夢中になっていた時には、若井はんじ、上方柳太がそれぞれ若くして他界し、これからベテランとして演芸会をリードするというところで解散を余儀なくされていたからね。
 それでも柳次・柳太師匠の漫才はまだ記憶に残っている。男前ですらっとしてるのに、なんやねちゃーっとした言葉遣いの柳次師匠(実は大阪俄の出身で、俄独特のしゃべり方やそうです。これは中田カウス師匠に受け継がれてる)と丸っこくてもっさりして柔らかいボケをかます柳太師匠のコントラストが面白かった。柳太師匠がもそもそっとぼけると、「にゃーにーおー」と大声を張り上げてつっこむ柳次師匠、というのはわかりやすい笑いではあった。はんじ・けんじは、子ども心にはちょっと恐かった記憶がある(どちらかというとダイビングクイズの司会の方が印象に残ってる)。
 柳太師匠が死んで、柳次師匠はけんじ師匠とコンビを組むが、キャラクターが全然合わず、すぐに解散。コンビの相性というのは難しい。その後は奥さんとコンビを組んで柳次・一枝で舞台に出てはったけど、そちらの印象はほとんどない。
 柳次・柳太は古きよき大阪漫才の間を残したコンビやなかったかと思う。なんともいえんもっちゃりしたところと粋なところが共存してるような、そんなコンビやなかったか。
 もう少しはんじ師匠と柳太師匠が長生きしてたら、漫才界のありようも今とは違っていたかもしれん。どちらも一時代を築くところまでいきながら、その時代を完成させずに終わった、という気がする。その証拠に、毎年読売テレビが放送している「懐かしの漫才コンビベストテン」でなぜかベストテンにはいらんのだもの。
 もっとも私は、なんでやねん、と思い、宮川左近ショーも柳次・柳太もタイヘイトリオもフラワーショウも放送せん番組なんか見たないわいと、ここ数年この番組は見てないけどね。
 上方柳次師匠に、謹んで、哀悼の意を表します。

10月13日(水)

 眼鏡のつるが抜けた。右の耳にかかるアームの部分の根本にねじがあって、そこがゆるんだんだ。去年の9月16日の日記に書いた、あの「こむさでもーど」の眼鏡であります。買い換えて1年にもなると、がたがきはじめたのか、フレームがじきに広がるようになった。
 上等の眼鏡というのは軽い代わりに弱い。ちょっとした力を加えたら、じきに曲がる。買い換えたときの日記に書いたように、私はよく生徒から眼鏡を狙われる。今の眼鏡も買い換えてから何度跳ね飛ばされたことか。そのたんびに眼鏡屋に行ってはフレームを締め直してもろうたもんです。「これ以上曲げると、折れるかもしれませんよ」とも言われるくらい、ひんぱんに行ってるんだ。
 つるのない眼鏡はかけられん。しかたないから、学生時代から使うてる眼鏡を引っぱり出してかけてるんやけど、これが大変。度付きサングラスなんであります。夜にかけると部屋が薄暗い。おまけに、私は鼻下にひげをたくわえているので、実に怪しいというかいかがわしいというか、つまり人相まで変わってしまう。やすもんの芸能ブローカーみたいなかんじ。これに野球帽をかぶったら、淀の競馬場に行って「はい次のレースはこの馬が来るよ」とやった方が似合いそうになる。
 明日、眼鏡屋に寄ってなおしてもらうつもりやけど、もしかしたら定休日かもしれへん。となると、この人相で2日続けておらんならんということか。
 眼鏡を買うときに自分の仕事の内容を考えてなかったから、こういうことになる。あんまり上等の眼鏡を買うのも考えものやねえ。
 今日はとても疲れたことが、あった上に、家に帰ったらこれで、厄日かしらん。

10月14日(木)

 昨日の日記で書いた、眼鏡のつるは、折れてました。修理代はいくらするんかメーカーに問い合わせんとわからんそうやけど「こむさでもーど」やからなあ、高いやろなあ。ああ、眼鏡屋の甘言に乗るんやなかった。というても後の祭り。直るまでうさんくさいおっさんのままでおらんならん。日が落ちるのが早よなったからなあ、原チャリを夜に走らせるんはちょっと恐い。

 帰りに例によって例の如く最寄り駅の本屋に寄る。駅の北側でギターをかき鳴らしてる男がおって、そのまわりを制服姿の高校生とおぼしき女の子が3人取り囲んでる。地べたにべちゃーっと座ってる子が2人。あんたらそんな座りかたしたらパンツが汚れるよ、とはいいにくいな。ロータリーに腰掛けてる女の子は、ギターに合わせて歌うてる。時々間違うては恥ずかしそうに笑いながら、それでも歌い続けてる。
 この前新聞を読んでたら、家に帰るのがうっとしいんでふらふらしてる女の子が、道ばたで歌うてる男と出会うて、いっしょに歌うようになって、生きる目標みたいなもんがでけたというような記事が目についたけど、これもそうかな。
 それにしても最近は特にギター1本もって道ばたで歌うてる若者が増えたね。バブルの頃にはあんまり見んかったけど、あれ、なにかやっぱり自己主張の一つなんやろうね。「僕はここにいるよー」と示しているんかね。先日夜に京都の木屋町通りを歩いたんやけど、次から次へとギターの若者がおるのには驚いたね。
 安保がどうしたというような時代にはプロテスト・ソングやったんやろうけど、今の若者は社会に対する批判なんかは歌うてないでしょうな。なんかこの閉塞してる状況の中でもがいてるように見えるのは、私の思いこみに過ぎんのかな。とりあえずネットにはまりこんで掲示板にむやみにわけのわかったようなわからんようなことを書き込んだりする人たちも、根はいっしょと違うやろか。そんな感じを受けるんやけどね。
 本屋に入って、少しばかり立ち読みやら買い物をしたりしてから店を出ると、彼らはまだ歌うていた。いつまで歌うてるんやろう。そのままずっと夜が明けるまで歌うてるのんと違うかと、ふっとそんな気がしてならんかった。

10月15日(金)

 今日も今日とて仕事帰りに駅前の本屋に寄ったら、昨日書いたギターの若者はまだおるやないか。しかも、ギターの弾き手は2人に増えている。それを取り囲む女の子も4人に増えている。一晩で増殖したらしい。1週間もしたら、10人くらいでギターを弾いてて大量の女の子が地べたに座ってそれを聞いてたりするかもしれん。ああ恐い。でも、まる一日そこでそうやってたような気がするぞ。おかげでラジカセのおっさんはどこかに駆逐されてしもた。

 やっと学校でする劇の台本が完成した。タイトルは「西遊記 妖怪がいっぱいの巻」。
 養護学校の劇は、とにかく生徒全員を出してなるべく長い間舞台におらせるということを考えねばならん。保護者にとっては、自分の子どもがどれだけ成長しているかを見たいわけやからね。
 で、何とか完成した劇の筋を妻に話したら、けっこう受けた。「西遊記」というのは、設定はたいていの人が知っていて、あとは以下にアレンジするかというところにかかってくるわけで、はたしてこれがほんまにおもしろなってるかどうか心配やったけど、妻に受けたのなら、まあ大丈夫やろう。
 とにかく30数人の生徒を全員出さんならんのやから。というわけで、おなじみ三蔵法師一行のほかに偽物の三蔵一行を出す。この三蔵法師はすぐに弟子を増やしたがるという性格にして、やっつけた偽物一行まで弟子にしてしまう。
 妖怪は金角銀角をメインにすえた。ノートパソコンをにらんでいた金角が、ネットで三蔵一行のやってくる情報を得、世界中にメールを出して妖怪たちの助っ人を集めるということにすれば、どんな妖怪でも出せる。その助っ人を考えるのが楽しかった。まずはキョンシー、次いでチャイナドレスのカンフー娘々、ドラキュラ一族がヨーロッパから、鬼太郎とネズミ男と猫娘が日本から、ウサギ娘が月世界から、最後に牛魔王がやってくる。チャイナドレスにウサギ娘ときいて変な連想をしてはいけません。私は低俗な台本は書かんのや。全員揃ったところで「モンキーマジック」に乗って妖怪たちにダンスを踊らせる。
 お釈迦様のでかい手が妖怪たちを押しつぶしたり、かなり大がかりにしたるねん。なんだかんだいいながら、自分の趣味をめいっぱい出しておるなあ。こういうたわいないものであっても、ものを書くという行為はやっぱり楽しいね。どんな劇になるのか、なんか楽しみになってきたよん。

10月16日(土)

 夕食時に、妻と話をしてて奈良に行きたいなあという話になった。畑の真ん中にごろごろと遺跡の転がる明日香村とか、法隆寺やら薬師寺やら興福寺やらええお顔の仏さんを見たくなってきた。
 ずいぶん前、大和朝廷を舞台にした小説を書きたくなって、プロットを立てたことがある。今のところお蔵入りしてるけど、いつか書けたらええなあと今も思うているんですが。それはともかく、やはり明日香村の空気を吸うて来なければと日帰りで行ったりもした。自転車を借りてもよかったんやけど、当時の人の距離感覚をつかみたかったんで、わざわざ歩いてみた。亀石やら酒船石やら猿石やら石舞台やらをまわって、飛鳥大仏までたどり着いた。寺はこぢんまりしたもんで、坊さんがラジカセのスイッチを押してテープで解説。あいまにいびきの音がしてなんじゃいなと思うたら、隣の部屋で別な坊さんが寝ていた。なんか京都のお寺とはまたひと味違うのんびりした感じでまた行きたいなあ。
 妻と意見が一致したんは、興福寺の阿修羅像はええなあという、しごくまっとうといえばまっとうなこと。中学時代に遠足で行ったきりやから、長いこと実物を見てない。その遠足で、買い物をしてはならんという規則やったけど、こっそり財布を持っていって、阿修羅像の絵はがきを買うたのを思い出した。めったに行かれへんのやから、手元にぜひ置いときたかったんやね。ところが悪いことはでけんもんで、見つかってしもうた。買い物をした何人かが生活指導の教師の前に並ばされて注意されたんやけど、他の者はみんなお菓子を買うて食うておったのに、私だけが絵はがきでまたぬけぬけと「勉強のためにほしかった」などと言うたもんやから、先生も「勉強熱心なのはええけどなあ……」と実に叱りにくそうにしてたのが記憶に残ってる。単に阿修羅像が好きやからというだけのことやったんやけどね、ほんまは。
 日記やのに昔のことばっかり書いてるなあ。まあ、今日の食事中に現実に話題になったことやから、ええか。
 そういえば小学校の遠足で薬師寺に行ったとき、しつこいですか。ごめん。

10月17日(日)

 本日は、「たちよみの会」例会で京都へ。会員Y氏、細井威男さんかつきよしひろさん京大SF研岡田さんと田中さん、そして私が出席。岡田さんは京都SFフェスティバルの実行委員長で、いろいろと企画案を教えてもらう。私も調子に乗って、好き勝手に「こんなんどうですか」「この人とこの人を対談させたい」と口出しをする。受けそうなということしか考えてないんで、内容よりもメンツの面白さを狙ったような案ばかり出す。なんか悪いことをしたな。そやけど、実現したら面白いのになあ。どんな案を出したか。そんなこと書けませんよ。実現したら「これは俺のアイデアや」と吹聴してまわることにしよう。

 例会のあと、「丸善」に寄って、立ち読み。遅れてきた妻も合流。「ダニエル・キイス文庫」のコーナーができてたけど、それを見ながらあれこれ好き勝手なことを言う。版型のことがぼやきの種になる。普通の文庫と横幅は同じやけど、縦の長さが違うんやね。普通の文庫より頭一つ長い。文庫でなし新書でなしというけったいなサイズ。「本棚に並べにくいんですよね」「活字を大きくして字間行間を幅広く取るためやろか」。実際、今は平台に置いてあるからええけど、しばらくしたら棚に入れるわな。これ、書店泣かせやと思うね。書店の文庫の棚には入らんのと違うか。
 ほかには「クリスマス前に出したら売れ行きが違うやろうに、今時分いっぺんに出したのはなんでやろう」「表紙の絵はハードカバーのものをそのまま使うたほうがよかったんと違うか」と言う人もいた。
 「ダニエル・キイス文庫」という企画自体はええんと違うかと思う。この作家一人で一つのブランドとして人気があるという感じやからね。早川にしたら思いきった企画かもしれん。これをSF、NV、NFというような感じでばらしてしまうと、平台から文庫の棚に移したら個人文庫にした場合よりも売れ行きが落ちる可能性が高いからね。もしかしたらハヤカワ文庫のコーナーに置かれたらあまり人が行かないかもしれんので、わざわざ版型を変えて他の目立つところに置いてもらおうという作戦か? もしもそうやったら、自分とこの文庫全体が売れにくいというように感じてるということになるけど、できたら他のハヤカワ文庫といっしょに置いておいてSFにも関心を持ってもらうきっかけにしてほしいようにも思うけど。たぶん「ダニエル・キイス文庫」以外には目もくれないという人の方が多かったりするやろうなあ。

10月18日(月)

 やっとこさ眼鏡の修理が終わり、眼鏡屋に取りにいく。度付きサングラスからもとの眼鏡に掛け替えたとたん、視界明瞭、六根清浄、御山は晴天。ほんまにサングラスというのはあたりが薄暗く見えていかん。小説なんかで昼も夜もサングラスをかけている登場人物が出てきたりすると、作者は夜にサングラスをかけたことがないのではないかと疑るようになってしまった。
 あたりが薄暗いというだけで、心持ちというのは変わるね。だいたいものが見にくい。どんなおいしそうな料理でも美しい花でもくすんで見える。私の基準で美しいとは感じられん女性が若干ましに見えるということはあるかもしれん。おおそうか、ハードボイルド映画で常にサングラスをかけている主人公がなんでこんな女を口説くんやという理由が今初めてわかったぞ。
 話を眼鏡の修理に戻す。いくら修理代がかかるかひやひやしてたけど、杞憂に終わった。なんと無料やったんです。なんでもメーカーが不良品交換扱いにしてくれたとか。買うて1年以上たってて何度も床に投げられてつるの折れた眼鏡が不良品ということはないと思うけど、顧客サービスなんやろうということで、ありがたくちょうだいしておいた。ただより高いものはない。またそこで眼鏡を買わせようという魂胆なんやろうけど、またブランド品をつかまされたんではたまったもんやない。だいたいよほどの理由がなかったら私は新しい眼鏡なんか買わんぞ。また壊れたときはどうするか。度付きサングラスがあるからええの。多少世の中が薄暗く見えても、人相が悪くなっても、別にかまわんの。
 そんなにようけ眼鏡を持ってたかてしゃあないやん、なあ。

10月19日(火)

 風邪をひいて寝る。そんなもんひいて寝んと布団ひいて寝えや、というのはダイ・ラケのネタ。熱はたいしたことないんやけど、鼻水とくしゃみが止まらん。いったん出かけたんやけど、原チャリで走ってたらゾクゾクしてきたんで引き返す。
 寝ました寝ました。うんと寝ました。けったいな夢を見た。SF関係者が次々と出てくる夢をね。悪夢かもしれん。誰と誰が出てきたか、ですか。そんなもん言われへん。まあ、悪夢かもしれん。
 風邪をひいた理由はだいたいわかる。気温です。ついこの間まで連日30度を超す夏日が続いてたかと思うと、一気に最高気温20度というようなこの極端な気温の変化に身体がついて行かれへんかったと、そういうことやと思う。私はだいたいホメオスタシスがどこかおかしい体質やと医者に診断された変温人間なんで、こういう極端な変化に弱い。
 ふだんから体を鍛えてないから、ちょっと体が弱るとじきにダウンしてしまう。まあ、学習発表会が始まったらなんやかんやで忙しくなると思うので、もっとひどくなる前にこうやって休んでおいた方がええんかもしれへんね。
 そのわりに日曜休日はなんやかんやと出かけてるやないかですと。そういうときはなんや調子がええの。仕事を休むから休んだ効果があるの。休みの日に休んでも精神的には何の効果もないの。仕事にいかんならんというプレッシャーから1日でも解放されるからええの。たまった仕事は次の日にやったらええの。やらんならんと思うとしんどいなあ。あ、いらんことを思い出してしもうたやないか。どないしてくれる。
 というわけで、今日の日記は実に簡単なものになってしまった、と書くはずやったのに、分量はほとんど普段と変わらんやないですか。なんでや。

10月20日(水)

 毎週「週刊プレイボーイ」は買うてるのに、おもろい記事を読み逃してたもんです。西村真悟防衛政務次官と大川豊の対談だ。大川豊が西村次官を挑発して本音をぼこぼこ言わせてる。「今は尖閣諸島に行くよりも、六本木の風俗店に行くほうが難しくなってきましたわ」とのっけから爆笑ものの発言。大川豊が「自衛隊は軍隊である」と発言するかときくと「ボクの意見を聞かれたらね。政府としての見解以外に、政務次官たるオレの意見を聞きたいんやったら言うたろうやないけ」と応じる。北朝鮮の不審船については「ホンマに撃って、そんで撃沈する」。そういう答弁をこれからの国会でもやってくれるかと問われると「やりまんがな」と豪語。(以上、「週刊プレイボーイ41号」より引用いたしました)
 くわしくは当該記事を読んでもらうとして、これがさっそく新聞に採り上げられ、発言の責任を問う。西村次官も「やりまんがな」と豪語したんやから、問題になっても自分の信念を貫いて次官としてやっていくんかと思うたら、なんのことはない、今日の夕刊を読んだら辞任しますてか。どうせやったら次官に居座って自分の思うところを語り続けてほしかったね。西村次官を選んだ小渕首相に心中させる覚悟で。
 西村次官の父親は衆議院議員を務めた西村栄一。時の首相吉田茂に委員会で詰め寄り「バカヤロー」という暴言を引き出し、ついには解散総選挙に持ち込んだという、戦後政治史に名を残す人物や。父は「バカヤロー解散」の火付け役となったんやから、息子は「やりまんがな解散」くらいやったったらどうや。これくらい覚悟の上でオレを選んだんやろう、トカゲの尻尾切りですます気かという気概を見せてほしかったね。
 しかし、せっかく前の日に現物を買うてるのに、翌日の新聞でその記事のことを知ってあわてて読むというのはちょっと恥ずかしい。新聞より先に自分のページで「こんなん載ってたでえ」と紹介するくらいでないとね。この記事、表紙にも書いてないし目次でも見出しは小さめ。ぱっと見たところでは気がつかんところにこういう爆弾を仕掛けておくとは。見出しでは「最も『物騒』な政務次官・西村真悟インタビュー」となっている。最近ぱっとせんかった「週刊プレイボーイ」やけど、今週はお見事でした。


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